ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』19第三編「五 熱烈な心の告白 《まっさかさま》」
何か重大なことを忘れている気がするけれど、あまり気にしないことにした。スタエフの録音をしようかなと思ったけれど、話す内容はオースターの文庫本のことだけだし、それを言っても自慢ですかと言われるだけなので、覚悟ができたらやることにする。ドストエフスキーの感想も、いまいち気分じゃないし、そもそも『サーニン』の下巻を、家にないと勘違いして新刊で買っちゃって、なんだかな、という気持ちになったので、気が向くまで待とうと思った。
そんなどうでもいいことを書いていたら、ドストエフスキーのことを書いてもいいかな、という気持ちになって、気も乗らないまま書いている。というか、単純に今日はぜんたい気分が乗らない。朝からwifiのつながりも悪いし、昼ご飯を食べるタイミングもなんか悪いし、車の点検に行っているけれども、微妙に中途半端な時間で、やることすべてが中途半端になりそうだ。
というわけで、この節は、ドミートリイがアリョーシャにカテリーナのところにいって、「よろしく」と言っといてくれ、ということを長々と書いている章。すなわち、金はいらないし婚約は破棄、ということを言いに行ってくれということのようだ。「ようだ」というのは、あんまりちゃんと気持ちを乗せて読んでないから、というかなんか今日はどうも気持ちがぼやぼやしていけない。
この気持ちは、きっとみんなが文フリの余韻に浸っているところ、乗り遅れ感というか、置いていかれちゃった感があるからかもしれない。みなさんの文フリ報告を聞いたら少しは心も落ち着くのかもしれないけれど、とにかくおっさんの更年期はあんまりよろしくない。
それにしてもグルーシェニカという女性は、そこまで人を狂わせる力があるというのだろうか。人を狂わせる女性がいるということは否定しないけれど、逆もしかりで、わかる人にしかわからない。という、当たり前のことだけ思った。