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本の廃棄を検討する 2

前回は、検討した結果、廃棄ナシという結論に達しました。

今回目についた新書はどうですかね。

今谷明『室町の王権 足利義満の王権簒奪計画』(中公新書 2008 第11刷)

微妙な本を引いてしまった。今谷史学(なるものがあればだけど)、そういうのにハマっていた時期があって、それでたぶん購入してる。これは、捨てられないなあ。

斎藤勇『カンタベリ物語 中世人の滑稽・卑俗・悔悛』(中公新書 1984)

よく間違われるらしいが、この斎藤勇(さいとう・いさむ)氏は、孫に殺害された斎藤勇(さいとう・たけし)氏とは、異なる人物である。

西洋中世文学については、正直、今後読もうと思うことがあるのかないのかわからないので、わかったふりをするには、こうした解説的な本をさらっと読んでおいた方がいいと思うので、今のところは捨てないでおく。

家永三郎『数奇なる思想家の生涯 田岡嶺雲の人と思想』(岩波新書 1969 第6刷)

家永三郎本は、なんとなく気になって集めていたものなので、これは捨てられないなあ。

田岡嶺雲についての研究は西田勝氏の集成がアップデート版なんだろうけれども、手に入りやすいものではないので、せっかくなので田岡本の一つとしても家永本の一つとしても、これは捨てられない。

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書 2019 第9刷)

これは、ホットなトピックを扱っている本だと思って買ったものなので、それらのトピックがわかった以上は捨ててもいいかなと直感的に思った。

認知に問題を抱えた非行少年をどう変えるか、が第7章で書かれていて、これらはなるほどと思わせるものの、やってしまった行為の被害者に対する補償には何にもならんなあ、と思う。宙ぶらりんな気持ちになる。

やられた方が更生とかよりも、厳罰を求める気持ちもわかるし、更生している場合も多いし目立たないので、成果としてはあると思うんだけど、わかんないよなあとも思う。

捨ててもいいけど…。

水谷千秋『女帝と譲位の古代史』(文春新書 2003)

歴史研究者は、主著をガツッと真面目な出版社から出して、論文集的なものを出して、あとは比較的そこをベースに社会啓蒙の本を出していく、という流れで推移することも多い。

主著が吉川弘文館とか、日本史系の真面目な出版社から出ているかどうかで、新書の信憑性も決まって来るケースが多い。

水谷氏は、まさにそうした日本史研究者の出版計画の王道を行っている。この新書は、水谷氏がフィールドにする古代王権のうち、女帝について考察した一冊である。

リサイクル本で、内容的にも後回しかなあと思う反面、パラっと読んでみると面白そうだ。持統、元明、元正など、名前は知ってるけど、そういえば何したんだっけ、という人もいるので、いつか読むかもしれない本として、捨てられない。

高橋哲雄『ミステリーの社会学 近代的「気晴らし」の条件』(中公新書 1995 第5刷)

この本には、誤植があって、著者経歴の年号が1981(昭和6)年になっている。1931年の間違いなのだろうけれども、なんともはやである。

「社会学」とあるけれども、どちらかというと著者は経済史の人で、『二つの大聖堂のある町』(これも私は持っていたと思う)の中にあったキーワードがスピンオフして、この本になったと述べられている。

なるほど。

探偵小説の社会学や文学社会学のようなものが好きで、この本もその流れで、ブックオフ105円均一で購入したっぽい。だからまあ、他の本もあるから捨てられないかなあ。

麻井宇介『ワインづくりの思想 名醸地神話を越えて』(中公新書 2001)

麻井先生の本を捨てるわけないだろう!

ウスケボーイズ!ウスケボーイズ!

というわけで、今回は、『ケーキの切れない非行少年』以外は捨てられないという結論に達しました。

ケーキについても、どうなんだろうねえ・・・。 

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