古河のこと 〜雑記・雑感 22〜
快晴。気持ちがいい。
こんな日は、タブレットの画面などとはおさらばして、空を見上げていたい。
しかし、そうもいかない。
空の向こう側に、記憶をたぐる。
茨城県に古河という駅がある。
普通は通過してしまうだろう。
しかし、県境は、県境が設けられるだけの地理的理由がある。
なので、県境を旅するのは面白いと思う。
私が思い出すのは、その県境の街、古河のことである。
古河にお住まいの方も結構いらっしゃるとと思う。思い出を語るときは、大抵、いい印象を持つ。なので、安心して欲しいが、旅人にはもちろん誤解もつきものである。
私は古河に渡良瀬遊水地を歴史遺構として見物に行ったのである。
田中正造という明治の人物がいる。歴史漫画では、古河の鉱毒で農民が苦しんでいるのを天皇に直訴しようとして捕まってしまうところが記憶されている。
しかし、その後、鉱毒対策として谷中村を遊水地にすることが決定される。しかし、反対運動が起こり、田中正造はそれに反対して谷中村に移住し、抵抗を続ける。
直訴以後の話は、それなりにエグく、だからこそ教科書などに載ることはない。結果として、谷中村の廃村化は遂行され、現在は遊水地になっている。
ちなみにその顛末は荒畑寒村という人の『谷中村滅亡史』という本で詳細が読める。古い本なので、岩波文庫になっている。
このエピソードは、色々な思いを想起させるものだが、私はそれを今に準えて理解しようとする意志はない。
古河駅からは遊水地まで絶対に歩いては行けない。遠くて、大河に隔てられているから。橋がない。橋は遠い。
実際、古河の人からするとあれは栃木市なので、古河を引き合いに出すなと言われそうだ。遊水地の展望台は、群馬県邑楽郡にある。
私も実際には車で行くことのほうが多い。なぜなら遊具広場とかがあって、子どもがのびのびできるからだ。
でも、私は、古河にいくつもりで遊水地に行く。なので、古河。
なんだろう。県境の不思議を考えさせられる、古河。
遊水地の真ん中に島があって、まあまあの撮影ポイントだと思う。私はここで空を見上げた。とても青い。古河にはそういう思い出がある。
じゃあ、車で行けよということもあるが、もう一つは古河公方公園にも行ってみたかったときは、電車で行った。それでも歩いていくには結構遠い。
古河公方も歴史の教科書ではちょいと触れられるだけだが、室町幕府は東国の運営を鎌倉公方に委ね、その鎌倉府が分裂した際に、片方が拠点としたのが古河であった。だから、古河公方という。
その古河公方の第5代義氏の墓を訪ね、子どもを遊ばせるために、連れて行った。子どもには、室町幕府の東国支配について話すのはまだ早かろう。そんなことに興味を持つのはもっと後でいいと思うが。
そんな史跡も古河にはある。
後、駅から行った時の一番の目的は「永井路子旧宅」と古河文学館であった。
永井路子は、歴史小説が好きな人なら割と有名な作家。マドモアゼルという雑誌の元編集者で、私はそれで知ってたりする。
古河文学館は、そんな永井の蔵書がもとになってできた史料館。
私が覚えているのは、『皇帝のいない八月』というテロ小説(?)を書いた小林久三の回顧展をやってたとき。1970年代の殺伐とした雰囲気を感じさせる小説ですよね。
こんな、中世、近代、文学の馨りを感じさせる街、古河。
県境の不思議を感じさせる街、古河。
最近行ってないので写真もないけれど。
私は、古河が好き。
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