カフェ・アンセーニュ・ダングルと歴史散歩

何もできない三が日。

私は別にそれでも一向にかまわない。

なぜなら、私には空想の世界という救いがあるからである。

もちろん、空想を空想と理解していながら空想しなければいけない。

空想を救いと信じたら、それに裏切られたときの落差が大きい。

裏切られたときの落差を怖がる私は、昔から何にも期待せぬことを日常の振舞いとして、習得してしまったのだろう。念仏と同じである。

2000年前後、カフェブームがあったとき、私も大学の後輩と一緒に、原宿や表参道に叢生したカフェやダイナーなどに行っては、くだらないことを話していた。

最近、代々木練兵場のことを調べていて、明治神宮の宮廷駅の建造と現行の原宿駅への移転の古い新聞記事を読んでいたとき、宮廷駅の近くにあった、アンセーニュ・ダングルという喫茶店がまだ営業していることを確認した。

22年前から、まだやっているのか、とびっくりした。あのころはもう少し晩くまでやっていたように記憶しているが、今は21:00に閉店するらしい。遅くに行って、コーヒーを後輩と飲んでいた時に、今はすっかり大物になった関西のお笑い芸人コンビの一人が、これまたご意見番のようになったお笑い芸人の弟の方ともうひとかたを連れて、談笑されていたことを思い出す。

「あっ、芸能人だ!」と、まだ20代前半だった私たちは色めきたったが、生来の臆病癖で何もできなかった。いや、今考えると、プライベートで来ているところで、あれやこれや言われたら嫌だろう。話しかけなくてよかったと思っている。実際、ただ、穏やかに話されていて、テレビでみる丁々発止ではない姿に好感を抱いた。

未だに、営業されているということに驚き、それならば久しぶりに行ってみようかと思うが、実は目的はそこではない。徳川綱吉の時代に、例の生類憐みの令が出され、東京中の野犬が収容された場所が、そのアンセーニュ・ダングルの近くにある延命寺付近だった、という古い新聞記事を読んで、そこに向けて歩くのが、目的なのだ。

原宿駅の混雑する竹下口を出て、竹下通りには下りず、坂を上るように北へ行く。1990年代は、斜めに曲がる道の角には代々木ゼミナールがあった。そこを線路沿いに歩いて行き、最初の路地を右に回ると、アンセーニュ・ダングルがあり、まっすぐいくと、延命寺がある。

1967年11月17日付の『朝日新聞』のコラム「時は元禄」にこう書いてある。

将軍綱吉のころ、生類憐(あわれ)みの令というのがあった。犬の保護令である。飼主に対し「犬には必ず一日一匹、白米三合、ミソ一日十匹ごとに五百目、干しイワシ一升」食べさせるようお触れが出た。殺したり、傷つけたりすれば、打首や流刑に処せられた。さわらぬ犬にたたりなしと、犬を手放す飼主がふえ、野犬は、やがて府下だけで十万匹に達した。幕府は市中の内外に野犬の収容施設をつくり、これを犬囲いと呼んだ。犬囲いの一つが、いまの原宿宮廷ホーム東側、延命寺付近に伝わるチンコロ屋敷跡である。屋敷に近い延命寺は長い間、犬墓の寺として知られていた。

1967年11月17日『朝日新聞』

この「チンコロ屋敷」は『新修渋谷区史』にも掲載がある。『新修渋谷区史 中巻』の1357pに、この「チンコロ屋敷」の話が出ているが、文化7年に出た『新篇武蔵国風土記稿』の頃には、すでに伝説になっており、どこにそれがあったのかはわからなくなっていたようだ。

「古へチンコロ吉兵衛と云へる屋敷守ありしにより此名あり、当時の地主を伝へず、今年寄又三郎が居住地となる」

『新修渋谷区史 中巻』p.1357


ちんころ屋敷とは、中野にあった犬の大囲いに対し、このh四方の犬を入れておく小囲いのことで、風土記稿の頃には忘れられてチンコロ吉兵衛が伝説化したものと思われる。延命寺には今なお犬墓を伝えている。

『新修渋谷区史 中巻』p.1357

子どもの熱もあっさりと下がり、今日は元気だが、大事をとって休ませる。隔離も一応、続けている。

そんな中、今年はもっと美術館に行ったり、史跡散歩をして、何もないところに歴史的空想をたくましくしようと思い、このような稿をしたためた次第。


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