鎖国の悲劇・ジャガタラ文 〜こいしやこいしや〜

「ジャガタラ文」をご存知でしょうか。

1639年、江戸幕府は海外からの船を完全に渡航禁止とし、逆に幕府初期は奉書船といって交易可能な船を定めていたのですが、それも禁ずるという命令を下しました。

1637-38年において戦われた島原の乱の影響かもしれません。

「今から来てもダメだし、行ってもダメだ」。

これだけなら、まだ良かったのかもしれない。

けれど、九州各地に住んでいた、混血の庶民を集めて、バタヴィア(今のジャカルタ)に追放する、という施策も行ったのです。

追放された人々が、宗教とは関係ない手紙(=文)を送るのは容認され、その文のことを「ジャガタラ文」と呼ぶのです。

ジャカルタは当時「ジャガタラ」と呼ばれていたらしいのですね。だから「ジャガタラ文」となった、らしいです。

らしい、というのは私の慎重さゆえで、西川如見が記録した「ジャガタラお春」の文が有名なものなのですが、これは如見の創作だとする意見が、江戸時代から言われているようです。

ただ手紙の写しは現存しているようです。微妙なラインです。

ただ、創作であったとしても、おそらくはこうした人々のことを話として聞いたから(西川が)想像できた、ということはありうるので、空想とは言い切ることはできません。(厳密な意味での)史料とは言えませんが、さりとて、声なき人々の思いは現実化しているとも思われます。

その後、「こるねりあ」という女性の文が2通、「こしょろ」という女性の文が1通見つかって、紹介されることとなりました。平戸オランダ商館に所蔵されています。

ただ、こしょろの場合は、パッチワーク的さらさ(綿織物)の中に、文章が書き込まれていて、原本の提示はない。綿織物に文がもし書かれていたら、それはそれで、逆に当局に目をつけられるんじゃないかと思うのですね。

だから「こるねりあ」は史料、「こしょろ」は原本が出てこない限り史料とは言い切れないかも、そんな感じの文物が残されているようです。でも、僕は、やっぱり史料と信じたいですね。史料といってもいいんじゃないでしょうか。

もちろん「こるねりあ」のものは、キチンと紙の形で残っているので、これは史料でありましょう。

けれど、こしょろの方は、更紗(さらさ)に書き込まれたものが、パッチワークされた座布団カバーみたいなものに残されていて、これは文章は原本があったのだけれども、永続性を高めるために、このような形にどこかの時点で誰かがしたのかもしれないと思わせるものでもあります。

どうなんだろう。

このこるねりあとこしょろのものは昭和2年の本には記載があり、それ以前は「お春」のものだけだったので、その辺の事情が明らかになっていけば面白いなと思いました。

1958年にこの発見についての論文があるようですが、デジタル化されてないので読めません。読んだらまた書き加えることもあるかもしれません。

ただ、こうした追放があったのは事実であり、追放された人々が祖国を思って嘆く、通信する、という事象は蓋然性(ありうる度合い)が高いと思われますので、今後、リアルな文の形が、男性が差出人のものが見つかってくれば、よりバラツキは自然だとみなされることじゃないかと思います。

今のところ、女性の文だけがあり、故国を嘆く女性とその文、という着想がロマンチックすぎるきらいがありますが、創作のインスピレーションとしては非常にいいものだと思います。

皆さんは、どう思われますか?

肝心の「ジャガタラ文」の内容ですが、「お春」ものが有名です。『ナガジン!』さんの説明から引用させていただきます。

では、『長崎夜話草』に掲載されたお春の「ジャガタラ文」を見てみよう。

 千はやふる、神無月とよ、うらめしの嵐や、まだ宵月の、空も心もうちくもり、時雨とともにふる里を、出でしその日をかぎりとなし、又、ふみも見じ、あし原の、浦路はるかに、へだゝれど、かよふ心のおくれねば、
 おもひやるやまとの道のはるけきもゆめにまちかくこえぬ夜ぞなき(後略)

そして、結びの文章は以下の通り。

あら日本恋しや、ゆかしや、見たや 。
           じゃがたら
            はるより

https://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/smart/t201210.html

こしょろのものも。

うば様まゐる
  日本こいしやかりそめにたちいでて又とかへらぬふるさとゝおもへば心もこころならずなみだにむ せびめもくれゆめうつゝともさらにわきまえず候共あまりのことに茶つゝみひとつしんじあげ候あらにほんこいしや   
                                   こしょろ

https://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/smart/t201210.html

ちょっと表現の類似が見えるかな、と私のような近代史専攻は、思ってしまうわけですが、まあ、そんなことはさておき、悲劇にしばし耳を傾けたいと思います。

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