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つげ義春『つげ義春の温泉』(ちくま文庫)
今日は暑かった。
さすがに飲む、ということで、シャトー ド ラ マルトロワのアリゴテ2020を開ける。この味わいについては別リポートで。
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さて、それらをグイッといきながら、読んだエッセイはつげ義春の『つげ義春の温泉』だ。昭和40年代から50年代にかけて、つげ義春が訪れた地方の温泉の写真をひたすらに掲載し、巻末に温泉エッセイを並べた書籍だ。
私の両親はどちらも岩手出身である。一人は、八幡平の近くの寒村。戦前に、ちょっとした事件があった土地。そのことはどこかで話す事があるかもしれない。
一人は、遠野市の南部にある上郷村。叔父が芥川賞を受賞した若竹さんと同級生である。私が子どものころはまだ東北新幹線が開通しておらず、特急で6時間ほどかかった。
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たいていは、遠野に先に行って、のちに沼宮内に行く。途中花巻という駅を通るが、ここにもいい温泉がある。
つげ義春は岩手の温泉の写真を撮ってはいないが、その時期の風情を残した温泉に大沢温泉というところがある。ここの湯治屋は、かつてのつげ義春の巡回した温泉宿の風情をかすかに残している。
花巻南ICを秋田方面にいく県道12号線は花巻大曲線と呼ばれ、その沿道には大沢温泉をはじめ、渡り温泉、鉛温泉など名湯が並ぶ。
子ども連れの場合は、志戸平温泉がいいかもしれない。複数宿があるわけではなく、ホテルの中に温泉が多数あるという状況だが、ホテル志戸平は、家族で行ってもそれなりのクオリティが維持されている。
つげ義春は、この温泉エッセイの中で、ひなびた温泉の心地よさを、自分の境遇と結び合わせて話している。そして、温泉レポートというよりも、ざっくりとした実感が、ゴロリとそっけなく披露されていて、この率直な感覚がつげのエッセイの魅力なんだよね、と再確認させられた。
沼宮内の方には、岩手山のふもとにいかないといい温泉がない。八幡平も雫石も安比高原も悪くないが、団体客がいなければ落ち着ける。共同浴場の方がほどよいかもしれない。
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巻末エッセイは、具合が悪かったこともあってか、ほどよく力が抜けている。温泉宿を紹介しようという気持ちも薄く、『貧困旅行記』のようなペーソスも少ない。
その中で、「上州湯平温泉」はいい。
群馬の温泉は、伊香保、草津、四万にとどめをさすが、私は越後境あたりの温泉や、沼田といったダムの底に沈んでもおかしくない場所の温泉が好きだ。
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なので、「上州湯平温泉」は、越後境の月夜野(最寄り駅は後閑)から湯宿温泉を経由して、湯平温泉に行くルートを語ったエッセイだ。湯宿温泉は今でもそこそこ宿があるようで、検索に引っかかる。つげが行った湯平温泉は、いまでは「奥平温泉」と呼ばれているところではないか。いつ名前が変わったのかはわからないが、「奥平集落」というところに、湯平温泉があると書かれているので、場所的にも適合する。
水上や月夜野あたりに妙に惹かれるのは、おそらくは、そういう山と山の間の土地に親しみがあるからだろう。妙に落ち着くのである。つげ義春が、ひなびた民宿の方が落ち着くといっているような感じだろう。条件は悪いが、それが逆に私を受け入れてくれていると感じて、気分が楽なのである。
函館に行ったとき、1960年代か70年代前半のホテル、ニューオーテというところに家族で泊まって顰蹙をかったものだが、市場に歩いて出かけられるし、思ったよりも落ち着けた。もちろん、小樽のデザイナーズホテルも悪くないが、根は昭和の人間なのである。
ちなみに、沼田は老神温泉という、谷あいを切り開いた土地にいくつかある温泉が好きだ。ただひたすら川の音を聞きながら、湯につかっていたい。昨今は、そんな旅行もかなわず、家でただゴロゴロしている毎日だが、本当に疫病が明けた日には、ふたたび温泉でゆっくりしようと思っている。
まずは、つげの行った湯平温泉(奥平温泉)にでも、行ってみようか。
何もすることもなく、十時頃床につくと、宿の家族も寝たのか静かで、裏山の湯の流れ落ちる音だけが聴こえていた。私は、無口でひかえめな人柄の主人に親しみを覚え、こんな粗末な宿で、家族ぐるみ住込んでいる境遇を想ってみたりした。質素で慎ましい埋もれたような人生は、不遇にみえることもあるけれど、こういう辺鄙な片隅ではあっても、平穏無事に過ごせるなら悪くないのではないか、不遇なら災厄も張合をなくして相手にしなくなるのではないかと、自分の不調のことも思い巡らせていると、何かしら癒しにも似た心持ちも兆し、いつか眠りに落ちた。