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「焼く」は簡単? 〜共稼ぎ家事担当夫の料理19〜

家事全般をやる(やらされる?やらざるを得なくなる?)前は、炒める>焼く>煮る、だと思っていました。

とにかく「炒める」のは簡単だと。

次に「焼く」のが簡単だと。

しかし、ある段階から、「炒める」も「焼く」もタイミングと見極めが大事で、むしろ「煮る」方が楽だと思い始めてしまったのです。

なんで「煮る」が難しいことだと思ったのかというと、煮汁の調合について料理本の文字数が多かったために、面倒だと感じてしまったのです。

また、定食屋で出てくる男が好きな飯は、炒め、焼き、そんなものが多かったからでしょう。昼ごはんに煮魚定食を頼むなんてあり得ねー、それが一般的な男の感覚だと思います。

実際煮汁の調合で、「だし汁」などと書かれていようものなら、もうページを繰っています。

しかし「焼く」が難しいと思ったのは、ナスを焼いてからです。

いや、ナスなんか焼くの簡単だろと思われるかもしれません。

しかし、おそらくそれはすでに「焼く」の工程をかなりの程度経験した人か、生まれつき要領のいい人ではないでしょうか。後者は、こんなエントリを読まないだろうし、経験者はおそらく忘れています。

私は、ナスに火がちょうどいい塩梅で通ったサインを、今でもまだわかりません。つい、焦げ目がつきすぎてしまいます。かと言って焦げ目を気にしていると、ナスに火があまり通らない状態で供してしまうこともあり、割とじっとナスが焼けるところを見張っていないとダメな感じになりました。

あっ、面倒だ!と思いました。

同様に炒めることも、野菜から水が出てきてしまい、「炒めて」るつもりが、ただ野菜から出た水分で「煮て」しまっている、ということもしばしばありました。肉野菜炒めでは、私がよくやりがちだった失敗の一つです。

もちろん火を通しすぎても食えます。全然食えます。しかし、ちょうどいい塩梅で火を通し、かつちょっとそれがズレてもそこそこうまく仕上がるのは「煮る」なんだな、と意識するようになりました。

「煮る」は煮汁の調合さえ慣れてしまえば、「煮てる」間は別のことができます。少し忘れていても、決定的なことにならないことが多いです。しかし、焼くも炒めるも、意外に遊びの時間が少ないもの。なので、最近は焼くも炒めるも煮るもバランス良くやるようになりました。

昨晩はナスの味噌炒めを作りました。

近隣農家さんから頂いた無農薬野菜。ナスは皮の色が悪かったり、形が悪かったりするのでざく切りにしてしまいます。

水にさらしてアクを抜く。無農薬だから、かどうかは良くわからないのですが、晒した水は結構色がついています。しかし、食べてみるとそこまでアクを感じさせません。

ざく切りしたナスを大きめのフライパンに油を引き、敷き詰めて、油を少し絡ませながら広げて、一回そのまま中火で火を入れ続けます。

で、ここでいつも思うのは、焦げ目ができてくると香りが変わる。それをサインとして、裏返していく感じです。ざく切りの場合、形が不均等なので焦げ目も不均等なのですが、焦げたやつははじに寄せて、焦げてなさそうなやつを中央に持ってきます。火は、中火で。

で、その後の火の入りが、ものの本だと「ナスに火が入ったら」とか、そのサインがこっちは欲しいんじゃーと思っても書いてない。全体的にクタッとなったら、とか、一個食べてみて、とか、あるんだけど、その辺が回数やらないとわからないんですよね。少なくとも私は飲み込みが遅いのでわからない。

これが「焼き」の難しさなんだなあと思います。ちょうどよく中央まで火が通って通り過ぎないところを見抜くのは、煮るよりも難しい、そう思った次第であります。

何回か失敗しながらやるしかないよ。妻に怒られても。

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