東京にあこがれて ~#ミハエルカラオケ残暑バージョン~
海人さんから、カラオケバトンをいただきました。
海人さんは、普段から色々な小説をお読みになっていて、その広さ深さを推しはかることがなかなかできません。マラソンで先頭集団に必死でついていくようなスピードで、小説を読了されていく方です。
このカラオケバトンの正式名称は、#ミハエルカラオケ残暑バージョン、です。
このチェーンナーさんと、
ミハエルさんの、興味深い企画のようです。
ゆるいルールがあるだけですので、参加してみてはいかがでしょうか?
ミハエルカラオケ表記ルール
書くにあたって、ルールは、以下の通りです。
バトンの受け渡し方
ファミコン世代はカラオケボックス世代
わたくし、ファミコンが小2からあった世代。カラオケボックスが中3くらいからあった世代に属します。
そんなオジサンのカラオケボックス史を紐解いていきたいと思います。
私の父親世代は、飲み屋やスナックにカラオケが置いてあり、そこで歌ったようです。
けれども、そんなカラオケシステムが、コンテナのような個室に一台置かれて、一曲につき100円を入れて歌う、そんなカラオケボックスに背伸びして行った中学校三年生。
LDの映像が、懐かしいです。
カラオケでは、親しい友人と行くパターンと、よそ行きのパターンと、2つの顔を用意していました。
親しい友人と行くパターンは、皆さんにお伝えするのは、ちょっと小っ恥ずかしいので、よそ行きの方にしたいと思います。それでも、やっぱりロキノン厨の顔が現れて、ちょっと恥ずかしいです。
よそ行きの場合、できるだけコミック感もありつつ、歌としての完成度も高い、選曲を心掛けました。
まずは、沢田研二の『TOKIO』ですね。
私は生まれて初めて覚えた曲が、これ。
もう一つはクリスタル・キングの『大都会』です。
昔から都会=東京に行きたかった憧れが垣間見えます。
吉幾三の『おら東京さいくだ』とか長渕剛の『とんぼ』とかになると、あんまり笑えないので、沢田研二にします。
コンテナ型から店舗型へ
わたくしが高校生になるころには、コンテナ型のカラオケボックスから、個室が集合して、窓口で振り分けられるカラオケボックスへと変化しました。
飲食も可になって、何時間と告げる。
機材も進化しました。
ジョイサウンドの登場によって、アルバムの六曲目みたいな地味な曲も歌えるようになったのです。
わたくしたちは、ニューアルバムが出れば、それを聞いて、マイナーなアルバム曲を歌ったりしたものです。あ、これは親しい友人と行く場合でした。
おどけるときに地名ソングは最適で、はなわの『SAGA佐賀』とか、『埼玉県のうた』とか、あるわけですけど、埼玉県人としては、若干鼻につきますね。
だから、曲としての気持ちよさとおどけた地名ディスの組み合わさった、ダンス★マンの『恋と愛の天国』を二曲目にあげたいと思います。
聞いたことがないと、タイトルからして、これって地名ソング?という感じですが、申し訳ありません立川〜日野〜八王子の方(そういうイメージなのか)、私はその辺の草を食ってる埼玉県人ですので、お許しください。
DAMかジョイサウンドか
そのうち、DAMが現れて、クオリティのダムか、曲数のジョイサウンドか、で熾烈な争いが繰り広げられていきます。
そういえば、UGAなんてのもありましたね。最近、みませんが。
カラオケボックスにも、大手が現れて、カラ館にする?ビッグエコーにする?なんて、訊いたものです。
パセラやシダックスなんてのもありましたね。シダックスのやっている中伊豆ワイナリーなんて、わたくし、うかがったことがありますが、カラオケ事業はもうやめてしまったんでしょうか。
呼び込みの人もいて、安さに惹かれて行ったら、年末料金とか取られて、高くね?ともなったり、いい加減な時代でしたね。
ちょうど2000年代前半ですかね、わたくし、かなりスネていました。
地名シリーズを選んでも、スネてました。
ブランキージェットシティの『ディズニーランドへ』を三曲目にします。
これを歌うと、私を本当に嫌う人もいます。
90年代的な露悪的な歌です。
良い子は聞いてはいけないやつ。
ただ、妙に、爽快感を感じてしまうのですね。
2020年代には、もう歌えない歌の一つかもしれません。
つまらない大人になってしまった
2000年代後半になるとさすがに、わたくしもカラオケに行く頻度は少なくなります。
大勢で行くことも少なくなりました。
仕事人だったのですね。
そんな中で、たまに行くと、こいつ何歌うんだと好奇の目で見られるので、大体新宿あたりで行くわけですから、わたくしの林檎を聴けとばかりに、東京事変の『群青日和』を、出ない声で絶叫するわけです。
それで、何回か冷ややかな目を乗り切りました。
って何を?
カラオケボックスもなんだか飽和してきて、タッチパネルでの入力も一般化していきました。
この時期、誰とカラオケ行ったのか、もはやあまり覚えてもいません。
色気のあるシチュエーションではなかったことだけ覚えている感じですね。
オッサンのノスタルジー
2010年代になると、子育ても忙しくなって、もはやカラオケに行くのは妻とだけになりました。
そうなると新しい歌を覚えることもなくなって、若い子が歌いそうな覚えようものなら、疑われる始末。
最近ではTomggg×ena moriの「なんてね」とか、ですかね。
覚えますよ、歌くらい。
カラオケボックス業界も、かなり淘汰され、あれほどあった地方のちょっとしたカラオケボックスは次々に潰れて、ヤマハの音楽教室とかに転用されていくようになります。
確かに防音だから、都合はいいよね。
結局、そうなると歌って、結局あるところで受容をやめてしまい、残るはクラシックやジャズといった我々からすると古典的教養のようなものを漁り始めますよね。
私も通俗なので例外ではありません。
それでもう新しく歌う歌がなくなって、結局ロキノン厨を拗らせたまんま、中年に突入しちまったわけですね。
それでです。
子どもと一緒に教育番組見てたら、0655、「俺、猫」っていってるボーカルの声どこかで聴いた事あるなと思ったら、桶川の松本君じゃん、と。
松本君率いるゴーイングアンダーグラウンド、あの頃、ちょっとロックでもお茶目な感じのボーカルが流行った、あれ。
松本君久しぶり!と思って、地名は出てこないけど、桶川感強目の「トワイライト」を、ここで選曲しようと思ったけど、やっぱりわたくしはいつまで経っても、こじらせている50歳です。
お茶目なボーカルの代表、向井君のZAZENBOYSから、やっぱ「自問自答」ですかね。そんなこと言ったら怒られちゃうかな。ごめんなさい。
これも新宿ソングです。
これを中学生になった上の子に聴かせたら、面食らっていました。
教育、悪すぎ、わたくし。
ホントにカラオケでこんなの歌うんですか、と聞かれるかもしれませんが、もうみんなで行くことも無くなったカラオケボックスに「ヒトカラ」なるものが出てきたんですよ、ヒトカラ。
ここでわたくし、こじらせた心を、独りで歌ってます。
つなぐバトン
こんなわたくしのこじらせた心を受け止めてくださる一人目は、タダノさんです。
タダノさんはキルト作家としての側面もお持ちです。
私もかつてバンタンという専門学校になんとなく通っていたことがあって、まわりにはスタイリストになりたいという転職組の同級生がたくさんいました。ギャル男のような外見だったこともあります。読書が趣味、なんて口が裂けても言いませんでした。卒業のときに、同級生の女子から、三代目魚武濱田成夫の文庫本をプレゼントされたときは、卒倒しそうになりました。いろんな意味で。今でもあるよ、濱田成夫。
タダノさんのお話を聞いていると、ミシンを使って、何かをつくった思い出がよみがえってきます。わたくしは、下手のまま、センスもなく、そちらの道は断念いたしましたが、タダノさんのお仕事には尊敬申し上げております。
そんなタダノさんはブルーハーツやハイロウズなど、わたくしの世代の懐メロをアップされることもありまして、ぜひともその選曲をお聞きしたいとおもって、今回ご指名させていただきました。
そして、おふたりめは、猟 虎太郎さんです。「らっこたろう」と読むことは、BlueskyというSNSで初めてお聞きいたしました。わたくしがなかなか読めないような重厚な作品を、綿密に読まれ、感想以上の何かが含まれた論考を書かれる、すばらしい方です。
猟 虎太郎さんも先日カラオケをやるということをお聞きしました。もともとバンプが好き、ということは、投稿のはしばしから伺えましたが、私もそういえば2022年に、こんな投稿をしておりました。
2023年にも、最後の最後でチラッと出て来る有明アリーナのライブの様子があります。
2023年にもコロナにかかる直前にライブに行った記憶が…コロナのせいで日記にかかずに終わってしまったんですかね。
バンプの曲は、わたくし、高音なのであまり歌えないのですが、猟 虎太郎さんだったらきっと、挙げてくれるのではないかと思いまして、今回、ご指名させていただきました。
それでは、タダノさん、猟 虎太郎さん、よろしくお願いします。もし、バトンを渡せなかった場合は、私に返すか、主催者に返すかしていただけるとありがたいです。
アンカールール
長くなりましたが、よろしくお願いいたします。
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