つげ・正助さん・湧水採り
私に「つげ義春好きそうだよね」と仰る人は多い。
ただ、マンガ作品は、あまり読んだことがない。
だから、好きだとも好きでないとも言えない。
いや、たぶん、好きなんだと思う。
そんなにオレは暗くねえよ、と思いたいので、好きだと公言しないだけかもしれない。
本当は好き。
「ほらー、やっぱりー、そうだと思ったー。」
とドヤ顔されるのが嫌なので、好きだとも言えない、と言っている。
でも、大好きな作家の一人です、つげ義春。
でも、なりたかったのは『右曲がりのダンディー』です。
バブルの影響。
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私のポジショントークはどうでもいい。
つげ義春の『新版 貧困旅行記』はやはり噛めば噛むほど味の出るエッセイだ。
でも、何が面白いのかを人に伝えようとすると、悩ましくなるのも、つげのエッセイならではなんだと思う。
トホホな自分をさらすことに何の衒いもない、《作為》のない自己呈示に、自由な空気を感じるということだろうか。
旅行記は星の数ほどあり、ぼくらが旅に出る理由も山ほどある。
『貧困旅行記』の作者もまた、なんということのない理由で旅に出る。
その理由の中で心を打たれるのは、息殿である「正助」を連れて旅に出る時だろう。
子どものために旅に出たり、子どもをダシにして旅に出たり、色々である。その中で、奥多摩に出かけた時のエッセイ「奥多摩貧困行」の出だしはふるっている。
1985年と言えば筑波万博の年である。
ちょうど息殿と同じくらいの年齢だった私も、万博を所望した。
もし、万博ではなく奥多摩のひなびた鉱泉宿に泊まることに決定したら、完全にふてくされて「スーパーマリオでもやってるから勝手に行ってくれば」と言い放ったかもしれない。
実際、そのようなシチュエイションがあり、これ幸いと繁華街の本屋にお年玉の2万円を持って目当ての本を物色した帰り、線路脇で二人の中学生にカツアゲされ、無事かと思って電話をかけてきた親に泣きながら「お金をとられた」と訴えた記憶が甦る。
今の自分だったら、小学校6年生の子どもがカツアゲされて家に独りで留守番していたら、心配になって旅を切り上げて帰って来てしまうような気がするが、私の親がそうしなかったことに存外驚く。
昭和っぽいエピソードだ。
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このエッセイには、古い時期から新しい時期までの旅行記が掲載されているが、「正助」が登場する旅行の方が、私にとっては面白い。
「面白い」というと語弊があるのだが、自分に対しては突き放すような書き方をするつげ義春だが、息殿の一挙一動について、突き放しながらも、愛情を注ぐ二面的なあり方がある。
旅行で歩きすぎて、足が痛いと「正助」が訴えた。
長い道のりを歩いたあげく、泊まれるか泊まれぬかもわからないような宿屋にたどり着き、細君が交渉しているあいだ、
この息殿と「私」の立場のフラットさに、なんだかわからない愛情のありようを見てしまい、呆然とただ切なくなる。
つげ義春は端的に寂しがり屋のくせに、人嫌いなのだろう。
この相反する感情が併存することもまた、つげのエッセイの魅力に他ならない。
どこかのエッセイで、場末の温泉のストリップの舞台を1人で借り切った挙句、ストリッパーの醸す崩れたアウラにやられて、思わず抱きしめてしまっていた、というくだりなど、やつれた知らないおじさんに「ちょっと今から飲みませんか」と言ってみたくなる気分に近い。
つげのエッセイには、スペクタクルも知恵もサスペンスも冒険もない。
人に読ませるために書きながら、人に見せる工夫はことさらに行わない。
平坦な文章の中に突如として現れるのは、絶望的な寂しさの感覚と、息殿を見る時の愛情の深さ、の2つである。
エッセイにそれが現れるたび、遊園地に行こうと言って休みだったから湧水集めに切り替えた時の私の子どものどうしようもない落胆を含んだ目を思い出して、胸が締め付けられる。
ベタにつげが好きなのか、一周回ってそれでもつげを好きというのか、そんなことはもうどうでもいい。
50にならんとする私は誰に気がねすることもなくつげ作品が好きだ、と述べることができる。