福武の造本
この写真を見てください。
この背表紙を見て何かお気づきになりますでしょうか。
そう福武マークが、ある時期を境に、背表紙から消えているんです。
(⭐︎マークも消えてますが、これはまだ考えていない)
実は、『カイウスはバカだ』は1990年10月刊行、『笑いの方法』は1990年11月刊行なんです。
ここで、背表紙からマークを外す決断をした、というわけです。理由は分かりません。
そして、これはレアな印刷ミスなのかどうか分かりませんが『夏目漱石論』の背表紙は、マークと「福武文庫」が重なっている。これ、重版の際に、指示をミスってしまったのかどうか、詳細は分かりませんが、プリントミスした切手のような趣があります。
もう一つは、輝度のあるコーティングをかけている表紙と、河出文庫の古いやつのようなコート紙っぽい表紙の違いです。これは、海外文学はてかついている表紙、日本文学はツヤ少なめな(マットなコート)紙なのかと思っていましたら、
1991年刊の『三つの物語』、1993年第3版『テスト氏』、1995年『黒い時計の旅』では、輝度がおそらくかなり違います。マットなものへ紙質を若干変えていったのだと予想できます。
ただ、これもよくわからないのですが、古井由吉の『招魂としての表現』、1992年刊ですが、これだけ明らかに素材感のある表紙となっていて、これ以外はこの紙で作っているものはありません。どうして特別扱いだったのか。
これらはどっちも1995年刊ですが、若干のコートがかかっているものの、マットさが強調された表紙です。
さっき言った河出文庫の古いデザインと比べてみましょう。『無知の涙』は、1998年刊、かなり状態の良いものですが、マットさが、『青い犬の目』と似ています。指でこすった時の感覚が似ている。
左二つの『夜よシンバルをうち鳴らせ』と『小説家の小説論』は1986年刊なのですが、『青い犬の目』と比べるとコートの厚みが掠れに強く作用していると思います。
どうでもいい話でした。
あと、僕の持ってる、超レアミスプリはこれ。
『風媒花』の方の武田泰淳の「takeda taiju」で切れている。右の、見えにくいですが、正式には「takeda taijun」が正しいですね。
いや、ネタもなく、どうでもいい話でした。