多摩温泉巡り
温泉に行くと決めていた。
もう設備のほど良さなんてどうでもいい。
湯が欲しい。
ayoさんの記事に触発された。
磯部温泉、六合温泉が、イメージにあった。
しかし、ちょっと遠い。
思い浮かんだのは武蔵五日市。
この辺りには整備された温泉施設がある。
西東京バスにも乗りたい。
ここしかない。
今日打ったインフルエンザのワクチンのせいか、ちょっとボーッとする。
そんなの関係ねえ。
*
翌朝になった。
外を見たら土砂降り。
鈴木ヒロミツが鳴った。
子どもたちを出す。
下の子は、長靴がなかったので、学校まで送って行った。
ゴミも捨てた。
食器も洗った。
洗濯物も干した。
さあ行くぞ。
本当は電車で行って、バスに乗ろうと思ってた。
乗ってる間、タイピングできるしね。
でも線状降水帯ができて、止まったら嫌だな。
仕方なく車で出かけた。
車の方がもちろん早く着く。
でも旅情に欠ける。
それでも湯を求めた。
腰がずっと痛かった。
足の裏の踵の方が痛かった。
よろよろ歩いていた。
「おじいちゃんみたい」と下の子に言われた。
おじいちゃん返上だ。
とりあえず、自分の体を労わりたい。
9:00、スタート。
*
目的は数馬の湯。
その前に何軒か行けるだろうか。
検索してみると「つるつる温泉」というのがある。
HPをみるとまあまあ良さげだ。
じゃあまずは「つるつる温泉」だ。
日の出ICというところにGoogleは案内してきた。あきる野ICじゃないの?
日の出ICとあきる野IC、出口同士が結構近い。
謎設計。
まあ、いいやと降りる。
左折。
しばらく行って右折。
山の方に入る。
そうか、紅葉だな。
でも、色づきは、ほんのりだ。
平井川、養沢川、秋川、全部多摩川に注ぐ。
その平井川の源流に向かう。
来ました、つるつる温泉。
生涯青春の湯?
いいじゃん。
今日のコンセプトにしっかり合う。
入って、すぐに、下駄箱に靴を入れ、鍵を取り、その鍵をフロントに預け、店内のキーをもらうという形式。
正面には休憩スペース。
まあまあ大きい。
10:30なので、まだあまり人はいない。開始は10:00。休みは第三火曜日。
2階に上がると、湯の入り口です。男女とも日によって、場所が変わる。「美人の湯」と「生涯青春の湯」。
今日の男湯は「美人の湯」です。えっ。
奥まったところに男湯。
ここからは撮影禁止です。
ロッカーはそれなりに広く150はありそう。
コイン入れなくても鍵が閉まるロッカー。
洗い場は17席くらいかなあ。
天井は高く開放感がある。
湯は水風呂、大きな内湯、サウナ。
内湯は正方形、特に小細工はなく、ぬるめ。
でも、アルカリ泉をうたうだけあって、確かにちょっとぬるぬるする。
余計な皮脂、溶けろ。
脂も溶けていいぞ。
露天もある。10人くらい余裕の大きさ。
空を見上げて一息つく。
足を伸ばして、深呼吸。
値段は960円。
多分町民とか市民だと割引。
でも、そんなの関係ねえ。
もっと奥に行けば、紅葉あるのかな?
さて、次に目指すのは、檜原村の数馬の湯。
やっと武蔵五日市。
駅に着いた。
どんつきの駅。
方南町、西高島平、北綾瀬は知ってます。
奥へ。
奥へ。
もっと奥へ。
左折、もっともっと奥へ。
数馬の湯につきました。
結構遠いよ。
向こうに行くと奥多摩湖の端から小菅村。山梨だよ。
小菅の湯っていうのも、一度行きたいね。
こっち側は、東京。結構奥まで来たんだよ。
でも、狭いけど、二車線道路。
雨だけ嫌だったんだね。
数馬の湯は、ちょっと古い感じあるけど、中は良いよ。
お面の廊下を進んで湯へ。
システムは同じ。靴ロッカーの鍵をフロントに預けて、湯のロッカーの鍵をもらう。
湯のロッカー数100超くらいかな。
人が5〜6人。
湯船は、ジャグジーのようなものの出てる浴槽、打たせ湯のようなものも。半身浴用の湯船。ヒノキの入った湯船。この三つ。
ヒノキのやつがお気に入り。
湯温は若干高め。
露天。つぼ湯が一つと、6人くらい入れる浴槽。
つぼ湯はぬるい。
つぼ湯で瞑想。
もう一つの浴槽、一人だったので、足を伸ばしくつろぐ。
身体が熱くなってきた。
ぬるぬるはしない。でも、ここもアルカリ泉。
出ると結構、体が火照る。
何にしようかな。
数馬のモツ煮にしました。
結構具がある。
うまいです。
食べ終わったところで、とても体が温かい。
天井も高く、外も見える。
ほどよく疲れてきた。
もう一軒行くはずだった。
秋川温泉、瀬音の湯。
でも、時間切れかな。
もう一つ入ったら体に負担がかかるかも。
直売所に寄りました。
あわびたけを買う。
橋の上から、秋川の風景を。
水、多いな。
なんかここまで来て秋川渓谷の写真撮らないのかよ、って声が聞こえる。
*
昔、初めて家庭教師をやったとき、担当した中学生、親が離婚して、暴君っぽい父親のもとで暮らしてた。わがままで、自信がなくて、勉強やらなくて、どうしたもんかと思った。
3週間後、事務の人に、「辞めたいです」と言ったら、「そんな無責任なことはできません!」と言われた。その頃は、素直だったので従った。
国語、英語を担当した。圧倒的にできない。週刊少年ジャンプが読みたいけど、おこづかいもらえないという。殺風景な部屋。
「じゃあ、俺、毎週買ってるから、読んだらもってきてやるよ。勉強もしような。」
約束した。
約束は守ってくれた。
でも、成績はあがらない。
先生と話して、どこか推薦を貰えそうな学校を探そう、ということにした。
勧められたのは、もう廃校になった秋川高校。
悪いけど、知らなかった。
偏差値も、なるほど。
でも、入れるかわからなかった。
あの頃、それでも、まだ、子どもは多かったんだよ。
作文がんばろうということで、英語はもういいから、国語だけやるということにした。
ある時、「先生…数学も担当してくれない?」と言われた。
それって週4だろ?
彼は、夢遊病で、窓から飛び降りたりするみたい。
暴君の親父が言ってた。
親父さんとの面談では、数学理科の先生、3回替わってるらしい。
「いやあちょっと無理だよ」
自分も無理をしていた。話始めると止まらない。勉強はしない。でも、マンガは欲する。そのころ、バブルがはじけて、家庭教師のバイト代ダダ下がり。
バブルの人1コマ3000円。俺、1コマ1600円。そして、初めて担当なので、1200円。
今考えると、あの会社、絶対、地雷俺に当てて、替わらせないようにしてたはず。今思い出してもムカつく。
準備の時間とか、アイツに持ってく、お菓子とか本とかマンガとかの経費とか考えたら、赤字だったと思う。
でも、推薦の試験前に作文の練習をしてたとき、こっちも頭でっかちで、文学のこと信じてたから、リストつくって、「お前、これから、これ全部読んで、感想文書け」って言った。
今思えば、島尾敏雄の『魚雷艇学生』とか中学生は読まないよ。
でも、俺も若かった。
読むかと思って渡したんだよな。
読んだかどうかはわからない。
たぶん読んでない。
でも、びっしり書いた手書きの、文献リスト。
あのころはまだワープロくらいしかなかったよ。
多少は気持ち伝わったかな。
推薦の作文は合格した。
添削したもん。
面接。
これも、怖いもの知らずで、難しいお題を考えろって言った。
「正義って何だろう」
とか。
俺がバカだよね。
でも、あいつもバカだったから、真剣に考えたみたいで、何か返してくれてたよ。中学生だから、拙かったけど。
「面談対策は、俺と時間一杯まで話すことだ」
何とか、秋川高校に受かった。
その親父は、それでも喜んでくれて、寿司屋に連れて行ってくれた。
初めて大トロって食べた。時価だったけど、8皿くらい食べたのかな。
帰り、言われるかもしれないなと思っていた一言。
「先生、高校でも家庭教師やってよ」
「俺、来年3年生になると、忙しくなるんだ」
噓だった。
忙しくなんかならない。
正直な話、疲れていたんだ。
だって、すぐ死ぬっていうし、昨日死にかけたっていうし。
その都度、説教とか、おだてたりとか。ジャンプとか。
俺、週刊少年ジャンプなんか読んでなかったよ。
お前のために、わざわざ買って行ってたんだ。
別れるとき、親父に連れられて行くお前は、何度もこちらを振り返っていたな。
でも、俺まで、消耗しちゃう。
どうしているかな。
秋川、の文字をみると、最初で最後の家庭教師を思い出す。
終わった後、「次、この子どうですか?」、即座に辞めてやった。
でも、お前、よく頑張ったよ。
俺の記憶にちゃんと残っているもん。
今、生きてたら40代か。俺が22で、あいつが15のときだもんな。
また会いたいとは思わないが、幸せにやってるといいな。
お前の高校閉校しちゃってたな。
幸せな高校生活送れたかな。
お前のことを考えると、ちょっとした後悔と自分の弱さで、泣けてくるんだよ。
だから秋川には行かないようにしていたのかな、無意識で。
でも、今日でそれは終わりだ。
十里木の駐車場から、橋、向かう。
気づいた!かかと痛くない!
数馬の湯がすごい。
薬効、薬効。
キャンプ場は閉まってるから、一度メイン道路に上がって、橋の階段をさがす。
お、橋あった。
階段降りて、橋を渡ると、瀬音の湯にいけるようね。
じゃあ渡るよ。
いいね!
行き。
紅葉っぽいのも入れとくね。
ピストンで戻ります。
逆側から見た風景。
紅葉っぽいの、もう一枚入れとくな。
帰りもパシャリ。
昨日打ったインフルエンザの副反応も、全部気のせい。
今度はちゃんと晴れた日にぶらつくよ。