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産経新聞11/16付『阿南惟茂さん死去』の御父上阿南惟幾氏を「父は、昭和20年にポツダム宣言受諾に反対し、自決した故阿南惟幾陸相」は、大きな誤解を招く。産経新聞に訂正を勧告する。

産経新聞11/16付「阿南惟茂さん」訃報、父上阿南惟幾氏の記載について

産経新聞11/16付27面訃報に「阿南惟茂さん」の死去のニュースが掲載された。
阿南惟茂んさん自身についてはここでなにかを記すわけではありません。その報文の最後に、
「父は、昭和20年にポツダム宣言受諾に反対し、自決した故阿南惟幾陸相」と記載されています。

この記載は大きな誤解を招く

この記載については、終戦時の陸相阿南惟幾氏に関して大きな誤解を招く恐れが大きい。
「昭和20年にポツダム宣言受諾に反対し、自決した」として誤解を招くとの意味を以下に記載する。
1)日本は、昭和20年8月14日付けで連合軍が提示したポツダム宣言を最終的に受諾して終戦を決定したが、阿南陸相は反対意見を主張したことは事実であるが最終的にその決定に服し詔書に副書した、つまり内閣の一員=陸相としてその決定に責任を持ったという事実と、反対の意味に受け取られる可能性が大きい。
2)自決したのは、その8/14に詔書が発効され政府が連合国に通告した後である8/15未明のことであり、「ポツダム宣言に反対し、自決した」では最後までポツダム宣言受諾に反対し責任を放棄して自決したと受け取られる恐れさえある。

以上の誤解があった場合、故阿南陸相の名誉が著しく損なわれる。
事実は、
当時まさに敗戦亡国の淵に立って、国体護持、それは皇室、昭和天皇の護持が最大の目標であった中、ポツダム宣言が国体護持を保証しないとの趣旨で米内海相を除く梅津参謀総長、豊田軍令部長、阿南陸相が反対していた。しかし、原爆が落とされ中立条約を破ってソ連に参戦されるに至り、鈴木貫太郎首相が収拾を図り昭和天皇の聖断によってポツダム宣言を受諾することで政府の一致を得ることが出来たということです。
(詳細は、下記の以前の記事及び引用資料を参照いただきたい)

阿南惟幾陸相こそが最も強硬な陸軍内部をおさめ政府決定による終戦を齎した

そうした終戦の政治プロセスの中で阿南惟幾氏は、敗戦必至の状況の中で陸軍という最も強硬な組織、軍人をおさめる立場に置かれた最も難しい立場を背負った陸軍大臣であったわけです。
そのとき阿南惟幾陸相は、本土決戦を主張する過激派(ソ連の工作とも言われる)を抑え、全陸軍を終戦へと纏めるために、8/14のポツダム宣言受諾の政府決定後の8/15未明に自決をされた。
(またこの終戦の経緯についてはWikipediaにもよく記載されており参照いた

だきたい)
つまり、阿南惟幾陸相こそが最も強硬な陸軍内部をおさめ政府決定による終戦を齎したと言えるのです。
私は、日本の戦後昭和の大発展はこの終戦の政治プロセス無くして有り得なかったと思いますが、その終戦を齎したキーの人物として阿南惟幾陸相は外すことが出来ないと思います。
そしてこの終戦の政治プロセスは日本史のスケールで捉えられるべきものと思います。

昭和史、日本史の最重要政治プロセスのキー人物については、適切な表現で報道すべき

したがって、阿南惟幾陸相についてマスメディアが報道するなら、その背景も中身も押さえた正しいものであるべきで、誤解を齎すようなもので有ってはならないのです。

ここに、産経新聞に11/16付け阿南惟幾陸相に関する記載の訂正を勧告したいと思います。




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