「ギリシャ人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊」塩野七生著(新潮社)/ギリシャはペルシャ戦争後、民主政のアテネによる大興隆、覇権拡張でピークを向かえるが、アテネは衆愚政治によりすべてを失う、、、、
個々の力を集団として機能させることでペルシャ戦争を勝ち抜いたが、、、
ギリシャ文明がオリエント文明(ペルシャ)を打ち負かしたことで、のちのローマ、ヨーロッパの文明の興隆に繋がったところがあります。
ギリシャ文明のその特徴は、個々の力ですが、その個を集団として機能させペルシャを打ち負かしたところにこそ、その真骨頂が現れています。
それは、アテネにおいて、最もよくあらわれ、政治体制として民主政が個々の力による軍事、経済的興隆と不可分になっているのですが、栄華は長く続かなかった、、、、
ペルシャ戦争に勝利した後、アテネはデロス同盟により軍事、経済の大興隆へ
マラトンの戦いにも参加し、サラミスの海戦を制したテミストクレスの時代に結成されたデロス同盟。軍事(海軍)と経済の同盟で、エーゲ海から最盛期には北は黒海、西はイオニア海までに至る覇権をアテネは確立し、大繁栄を確立する。
しかし、そのテミストクレスさえもアテネを追われる、、、
専制体制のような権威主義の希薄な民主政においては、見境のない権力闘争は宿痾なのか、このあとも能力のあるリーダーが次々アテネを追われる。
図抜けた男、ペリクレスにより、三十年の平和と大発展
こうした中でも、興隆の時代には優れたリーダーが現れる。それはペリクレス、優れた言論と戦略により、アテネは大興隆へと至り、アテネ人はもっとも仕合せな時代を向かえる。
ペリクレスにより、三十年の平和と大発展が訪れ、アテネ人のみならずギリシャとその文明は頂点に達することになる。
しかし、問題はその後にあった、、、、、
ポストペリクレスは最悪の政治が、、、
ペリクレスの死の前に始まったアテネとスパルタによるペロポンネソス戦争、この戦争がアテネを、ギリシャを奈落へと突き落とすことになる。
民主政は、優れたリーダーの後にどうしてこうも機能しなくなってしまうのか、自由な民主政は優れたリーダーに対する嫉妬やアンチの情によって、扇動政治家が跋扈し、機能不全を繰り返してゆく、、、
嫉妬、アンチの情どう言ったらよいのか、そういったネガティブな性情は、危機を見通せない衆庶によって民主政からリーダーシップを奪っていく。
この視点でみたとき、現代日本においてもいくつもの致命的歴史がくりかえされてきたのではなかったか、、、、
そしてポストペリクレスで起きるアテネの政治プロセスは、哀しいばかりに愚かしい。
扇動政治家に扇動される民衆、対外政治即ち外交における対内政治のまとまりの必要性は、古代においても大原則ではなかったのか、、、、
第二巻の後半は読み進めば進むほど、哀しみが胸に迫る、、、塩野七生の筆鋒は鋭く読む者の胸を切り裂いていく。
ギリシャ民主政の失敗は、ローマ帝国が反面教師としたが、今なお日本が反面教師にしなければならない
このことは、第二巻を読み終えての、痛切な思いとして沸き上がったものです。
まさに、
ギリシャ民主政の失敗は、ローマ帝国が反面教師としたが、今なお日本が反面教師にしなければならない。
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