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高峰秀子著「ベスト・エッセイ」(斎藤明美編)ちくま文庫/大女優の生誕百年に相応しい珠玉のエッセイ集
愛称・デコちゃん、高峰秀子のエッセイは絶品
かなり前に、日本が誇る大女優高峰秀子については、記事にしました。
現在も、生誕百年の企画が各種催されているようです。
もちろん女優高峰秀子は映画によってなっていることは間違いありません。
それほど多くの名画がこのヒトを演技者としてつくられました。
しかし、です。おそらく表題のエッセイを含めて、高峰秀子の文筆活動のほうもこれはすごいものだということなのです。
エッセイスト・高峰秀子
高峰秀子が、極めて優れたエッセイスト、文筆家であることはこの本「ベスト・エッセイ」を読むだけでわかります。
そして、残されたエッセイを読みたいと強く思いました。
ここには、高峰秀子のエッセイの、抜粋の抜粋、えりすぐりが養子となっていた斎藤明子によって選抜されています。
もっとも近しい間柄の人間によって選び抜かれただけあって、その内容はいずれも珠玉です。
大まかに、高峰秀子の人間形成、歴史、恋愛、結婚、価値観、女優とは、など知りたいことがわかるようにできているようです。
5歳で子役デビューし、養母に働かせ続けられたゆえに、小学校も通えずそれでいて自学し学ぶことを止めなかった、生き馬の目を抜く映画界を生き抜き、掛け替えのない知古を得、29歳で生涯の伴侶を得る。そして女優を続けながら女房業へとシフトしていきながらエッセイストとして大成する、、、、そんな飛び切り優れた女がかつて映画界にいた、ということのようです。
「ベスト・エッセイ」ですから、どれも非常に興味深く、心揺れ暖まるエッセイなのですが、一つだけエピソードを挙げておきます。
それは、P150の「お姑さん」です。
夫松山善三と結婚する時、はじめて知り合い高峰秀子にとって限りなく優しい言葉を残してすぐに逝ってしまった「お姑さん」のことを書いてくれています。それは高峰秀子の心を温め続け、輝いている思い出なのです。人が真剣に生きていると必ず胸打ち震える忘れられない瞬間に立ち会います。それは非常に数少ないことだけれども。そういうお話です。
私が言いたいのは、このエッセイの締めくくりに持ってきたものです。
「われという人の心はただひとつ
われよりほかに知る人はなし 谷崎潤一郎 」
この言葉の余韻は、高峰秀子の「お姑さん」への思いとともに、いつまでも私の心の中に響いています。
蛇足
少し解説が要るかもしれません。若い頃はまったくわからなかった、わかろうとしたくもなかった谷崎が、還暦の少し前手に取ってからというもの心にしっくりとその姿をとどめてくれています。「細雪」については、記事にもしました。
私がこんな純文学の記事を書くのもまさしくおかしなものですが、そういう枠を超えて谷崎は興味深い、と思います。
代表作は、昨年あたりまでですべて読みましたが、いずれも心にひびいています。
谷崎は、やはり書きたかった、書かずにいられなかった、ということなのでしょう。
そして、書きたい、書かずにいられない、ということは、いまnoteをやっている私自身の心境でもあります。
やはり、
「われという人の心はただひとつ
われよりほかに知る人はなし 」
です。