「『おたふく』『妹の縁談』『湯治』山本周五郎著(ハルキ文庫『おたふく物語』に収録の『おたふく三部作』」/日本の庶民の善意の美しさ、いじらしさを美しい『おしず』を通して浮かび上がらせる周五郎の名作 ~その1
『おたふく』
『おたふく』については、すでに多くを記してきました。二十代前半つまり40年ほど前にめぐり逢いこの年になるまで胸の奥に温かい心をともし続けてくれた周五郎の名作です。
私個人の中では、それは二十代に恋焦がれ続けた美智子さん(仮名)と重ねて今日まで思い続けてきた女神のような女性、それが『おたふく』のおしずです。
『おたふく』へのオマージュとして小説「智子、そして昭和」を書かせてもらいました。
オマージュは、「三十五年越し」や「雨と水玉」(上記「三十五年越し/俯瞰及び目次」を参照ください)にも通じているのかもしれません。
日本の庶民の善意の美しさ、いじらしさを美しい『おしず』を通して浮かび上がらせる周五郎
私はこの『おたふく』こそ、周五郎に対して開高健が言った「青畳の上で美味しいおしんこと炊き立てのメシを食べているような」といった評をそのまま飲み込んでしまってよい作品だと思います。
『おたふく』では、周五郎ならではの無駄のない余韻を十分に込めた練達の文章が、読者の心に日本の庶民の心の美しさを届けてくれています。
私たち日本人は、幕末明治以来否応なく近代の個と個の、そして国と国の競争社会に放り込まれて未だにもがきあがいていますが、日本人ならだれもが特別なことなしに温かな日本のこころの中に入って共感を共に出来る作家、それが周五郎です。そこには、苦労人の周五郎でなくては表現できない日本人の庶民の善意の美しさ、いじらしさが見事に表現されています。
そしてこの『おたふく』が混じりっけなく素晴らしいのは、周五郎夫人のきんさんをモデルとしているからなのです。
本当にこんな女性が周五郎の目の前にいたということがこの作品の”芯”を作っていると思われます。
そして40年以上にわたりこの『おたふく』が私の中に温かく柔らかい灯りをともし続けてくれているのも、そこに美智子さんが重なるからでもあります。
本当に日本に生まれて良かったと思えるのもこの作品の余沢です。
日本は二千年以上かけて周五郎に表現される文化文明を醸成してきたということになるのではないでしょうか。それは近代の要素を含んではいても日本文明の濃厚な歴史の所産に違いありません。
西欧近代の薄汚さはカネに至高の価値を置いているところですが、日本文明はそもそもそうでない多様な価値感に支えられる文明です。そのことを思わせてくれるのもこの『おたふく』です。