「ローマ人の物語Ⅻ 迷走する帝国」/危機の三世紀・もはやローマの衰退は止まらない
もはやローマの衰退は止まらない
これまでもローマはたびたび迷走してきたが、そのたびにローマ人は強靭な粘り腰を発揮し蘇ってきました。
しかし、危機の三世紀と言われるとき、もはやローマは衰退を止まりませんでした。
五賢帝の時代に胚胎していた衰退の萌芽がこの三世紀に一気に現れて来るようです。マルクス・アウレリウスの後、崩れていく帝国を留めることのできる皇帝が現れません。
ローマらしくない制度改革が相次いで衰退を加速する
いわく、それまで属州民と本国ローマ市民を区別していたのを一斉に属州民をローマ市民に格上げし、ローマ帝国に住む人民を奴隷以外ですが、一斉にローマ市民にしてしまったカラカラ帝の「アントニヌス勅令」。
「アントニヌス勅令」によって、それまでは誇り高きローマ市民であったのが、なべてだれでも成れるローマ市民化し、誇りと公共心、自己犠牲の精神が失われていきます。
塩野七生さんは、それを「取得権」であったローマ市民権が「既得権」になったと表現しています。
これは軍政にも影響があり、属州民からなる補助部隊も正規のローマ軍になったと負うことであり、統制の面で問題があったようです。
さらに、ローマ軍伝統の重装歩兵中心の部隊が、蛮族の騎兵隊への対抗からですが、騎兵中心の部隊に変化したことです。リーダーの育成にも、防衛力にも変化の波が押し寄せて来ていました。
さらには、統治を司るリーダー育成法として、軍務と政務の両方を経験するキャリアパスを、皇帝ガリエヌスが双方を分離するよう、無くしてしまったことです。つまり、元老院と軍隊の完全分離です。
これは建国以来優れたリーダーを途切れず輩出してきた元老院の完全な消失です。それまでも元老院はときにローマ帝国にマイナスなことを数々してきましたが、人材の供給元としての機能は十全に果たしてきたのでした。
この世紀以後、皇帝は全て軍人出身、つまり軍人皇帝になっていきます。
そうして弱体化していくローマ帝国は、強盛一方のライン河、ドナウ河の東北の広大な領域に住む蛮族からの侵攻に悩まされ続けます。これはこう書くと弱体化したから侵攻を受けたという意味に聞こえますが、実態は両方が相互作用しながら時代がローマ帝国の衰亡に向かっていくのです。
しかし、ローマ帝国(正確には西ローマ帝国)は5世紀後半まで生き延びます。
不可分な、ローマ帝国の衰退とキリスト教の興隆
いよいよ、キリスト教が歴史の本線に登場してきます。
塩野七生さんは、Ⅻ巻の後半、
第二部「ローマ帝国・三世紀後半」の第三章に「ローマ帝国とキリスト教」を設けて論じています。
塩野さんは、ローマ帝国衰亡史のエドワード・ギボンと20世紀のイギリスの学者エリック・ドッズの二著作を持ち出した上で、
キリスト教の誕生後、熱狂的な信仰は続いたものの、ローマ帝国で勢いを得たのは二百年以上後のことだった、と言っています。
ユダヤ教は続きますがローマ帝国に滅亡されたユダヤ国家とその排他的な教義を反面教師にし、寛容を特徴とするローマ帝国の中で穏便に生き延び、勢力を徐々に徐々に増やしてきていました。
そして三世紀になり、ローマ帝国が衰退を早める中、そういう情勢と時に必ず起きる人間たちの不安な心理に巧妙に取り入り、大勢力へと進展していくキリスト教、だったというのが塩野さんの見立てです。
そしてこれから、13巻以降が、キリスト教登場の本番です。詳しくそのことを見ていきたいと思っています。
それは、現代、今の日本にも濃厚に関わることだからです。
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