神道
私は、神道の家に生まれました。
父は三男で、エリート街道を歩んでいたにも関わらず、祖父が起業した会社の父の兄である次男(私の伯父)さんの危機を助ける為に、自分自身の人生を投げ打って、実家の家業に身を尽くしました。
私は自分が神道の家に生まれ育ったことを特段、違和感も持たずに成長しました。
それが当たり前だったからです。
信仰、宗教に対して、初めて不思議に思ったのは、小学1年生の時です。
通学路にある、教会(キリスト教系)でクリスマス会🎄のお知らせチラシを手渡され、友達と『一緒に行こう❕』と約束して、意気揚々と帰宅しました。
早速、両親に話をして、承諾を得ることができ、ワクワクした気持ちを抑えきれず舞い上がっていると、友達から『家の人から反対されたから行けない‥』との連絡がありました。しかも、その子だけではなく、約束したみんなからです。
えっ?!何故??
ウチ(実家)は、信仰云々以前にどちらかと言うと厳しい面があり、学校や地域の催しものでもなく、親が把握していないお楽しみ会的なことに許可を得ることができるとは思っていなかったにも関わらず、許しを得て、興奮して舞い上がっているところに冷や水を浴びせられた気持ちでした‥。
人生はうまくいかないものだ‥(ToT)
と子どもながらに思いました。
約束した自分が約束を守れないかもしれない‥
と心がザワザワしていたのにも関わらず、両親から許可を得て、
約束を守れる自分を誇らしく思っていました
なのに、
なんと、
裏切られる立場に立たされるとは!(当時はそんな気分でした‥)
でも、一歩間違えば、私自身も友達たちを裏切る立場になっていたかもしれない‥(その可能性は十ニ分でした)と思うと誰も責められません。
この気持ちを何処にぶつければいいのか‥
何処に持ち去れば良いのか‥
子どもながらに辛かったです。
なんだか、徒然なるままに書き綴りましたが、
神道とはなんと心が広いのだろうと思った初めての出来事。エピソードです。
八百万の神とは、なんて大きな器なんでしょう。
有り難いとは当たり前
当たり前こそ有り難い
日本人は素晴らしい
魂を大切に
言霊を大切に
※結局、クリスマス会には参加しませんでした。あの時の両親の承諾は殊更何も考えなかったからかもしれませんが、あの時、私がクリスマス会に参加していたら私は別の世界(価値観)で生きていくことになったかもしれません。
しかも、両親が承認してくれてなければ、もっと違う闇の道を進んでいたかもしれません。
偶然であれ、必然であれ、今に感謝します。
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