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第24話 アスミの手が濡れた理由

「毒が盛られたのは、『ワインを注いで厨房を出てから大広間に入る間』。アスミは花瓶の乗った棚にワインを置いて、その場を離れたのよ。招待客は大広間にいたし、他の使用人は忙しく動いていたわ。それなら、アスミがお盆を置いたり誰かが毒を入れたりしても、気づく人なんていない。
 そして、アスミの手が濡れた理由は花瓶の水よ。正確には、零れた花瓶の水の後始末をしたことね。
 まず、ここまでは理解できた?」
「ワインの乗ったお盆だけがその場にあったので、犯人は簡単に毒を盛ることができたのですね。手が濡れていた理由は、零した花瓶の水が多かったからですわ。布が水を吸収しきれなくて、拭いている時に手まで濡れてしまったのですね」
 片側の花だけ枯れていたり、花瓶が軽かったりしたのは、この時に水を零したから。零した本人は、水の追加を忘れていた。今の推理を聞いて、些細な変化が重要な意味を含んでいたことに驚く。
 アリアが内容を反芻したことで、理解したのを読み取った。エリリカは、細かく原因を説明していく。
「どうしてアスミが廊下の棚、つまり、花瓶が乗っている棚にお盆を置いたのか。それは、そうなるように犯人が仕組んだからよ。アスミがいなくなり、お盆だけがその場に置かれていれば、簡単に毒を盛ることができる。そこで、どうすればお盆を置いて彼女が立ち去るのかを考えた。
 思いついた方法が、大広間前の花瓶の位置を棚の端に移動すること。もしくは、棚の脚に細工をして、棚を動かすことで花瓶が端に移動するようにしたのね。花瓶が割れれば、ワインを持っていくより先に、破片を片付けようとするでしょ。そうなったら、手近な棚にお盆を置いて、片付けの道具を取りに行くわ。
 ほら、アスミがいなくなってお盆だけが残る、という状況を実現できた」
「でも、花瓶が割れたような音はしませんでしたわ」
 アリアは誕生パーティーのことを思い出す。アスミが運んでくるのを待っている間に、廊下で花瓶が割れるような音はしなかった。
「多分、それが犯人の描いた構図と少し違ったところね。これに関しては、毒を入れるという最大の目的が達成できたんだから、良かったんじゃない。花瓶の位置が微妙だったのか、細工が上手く発動しなかったのかは、知らないけど。とにかく、花瓶が割れるまでの事態にはならなかったのね。犯人が毒を盛るのに成功した以上、アスミは布を取るためにその場を離れたはずよ。彼女がパーティー開始に遅れたのはこれが原因ね」
 犯人がワインに毒を盛る場面を想像して鳥肌が立った。フレイム王国の王と女王を殺すため、お祝いのワインにひっそり近づく影。
 しかし、まだ納得できない部分はある。
「ワインを運ぶ前に布を取りに行ったのなら、当然濡れた部分を拭いていますわよね。それではなぜ、ワインを持ってきた時には手が濡れていなかったのでしょうか」
 アスミの手が濡れた原因を「零れた花瓶の水を拭いたこと」だと言ったのは、エリリカ自身だ。そして、毒を入れる隙を作ったのは、『ワインを注いで厨房を出てから大広間に入る間』。当然、花瓶の水が零れたのはこの間。ワインを持ってくる前に拭いたはずなのに、手が濡れていなかった理由が分からない。
「運ぶ前は布を持ってきただけで、実際に拭いたのは運んだ後だと思うの。布を持ってきて拭いたにしては、パーティー開始に少ししか遅れてないからよ。遅れすぎたら、お父様に理由を聞かれるわ。そしたら、ワインを置きっぱなしにしたことも花瓶を倒したことも、全てバレてしまう。アスミは怒られると思って隠したかったのね。だから、拭いてる時間はなかったのよ。他の使用人に頼むこともしなかった。
 それに、私達がワインを受け取ったら、すぐに部屋を出ていったでしょ。これは零した部分を拭けてなかった、根拠の一つよ。早く拭かないと部屋から誰かが出てきてしまうわ」
 アスミの真面目な性格なら、花瓶を倒した自分に責任を感じ、一人ですぐにでも処理をしようとするだろう。誰かに任せることはしたくないはず。同時に、ワインの運搬が遅れることもしたくなかったはずだ。
「それなら、布を取りに行くこともやめれば良かったのではないでしょうか。花瓶は割れていませんわ」
「私はそこに、イレーナ大臣が関わってくると思うの」
 まさかの名前に、アリアは驚きを隠せない。ここで、イレーナ大臣の名前が出てくるとは思わなかった。二つの事件に渡って、行動が不明となっているアクア王国の大臣。
「アリアは大広間に入る前、入口でイレーナ大臣と会ったのよね。そして、イレーナ大臣はパーティーが始まっても部屋に入って来なかった。また、アスミと二人で話しているところをローラに目撃されている。
 このことから、大広間の入り口にいたイレーナ大臣に、零した水がかかったんじゃないかと思うの。だから、布を取りに行くことだけは、する必要があったのよ。イレーナ大臣自身に服を拭いてもらい、その間にワインを受け渡す。それからすぐに引き返して棚を拭けば、万事解決ってね。これで、手が濡れたのは運んだ後だとはっきり言えるわ。
 厨房に戻るのが遅かったら、コック長に何か言われるかもしれない。アスミはそう思ったはずよ。お父様達の言いつけがあったからね。彼女は周辺の片付けを済ませると、慌てて戻ってお盆を拭いた。そのせいで、濡れた手のままメモを触ってしまった。ローラが見たという、『アスミが急いでいなくなった』もこれで説明がつく。
 一応付け足し。花瓶の位置がそっち側にズレていたのは、アスミが拭くことに気を取られて直さなかったからね。花瓶の水が減っていたのは、零したからよ。薬が解けきってなかったのは、アスミが大広間に入る直前に混ぜられたからね」
 エリリカの完璧な説明に、またもやアリアは感嘆するしかなかった。それを言葉にしようとして、あることに気づいた。
「でも、警備兵の方がいましたわよね。その前で毒を盛ることってできるのでしょうか」
「それで犯人を絞れるんじゃないかって思うの。つまりね、警備兵のよく知る人物だったから、気を許したんじゃないかってこと。グラスの色を知っていたり、花瓶の水を零す計画を思いついたり、犯人は城に出入りする者だと思う。それは使用人も、アクア王国の中でフレイム城に出入りする者も、同じよ。アリアだってこの中の誰かが近づいてきても、警備を強めようとは思わないでしょ。細かいことは分からないけど、警備兵と話しながら体でワインを隠し、後ろ手に毒を混ぜることだって可能だわ。さっきも言ったように、招待客は大広間にいて使用人は動き回っていた。毒を盛る瞬間を見られる可能性は低いはず。
 はぁ。私のよく知る人物が犯人かもしれないなんて、本当は考えたくないんだけどね」
 エリリカは表情を曇らせる。アリアにも想像がつかなかった。今まで接してきた人の中に、犯人がいるかもしれない。すぐ身近に狂気があるような気がして、思わず身震いする。
 エリリカはアリアの表情を見て、あえて明るい声を出した。
「行動その三は、例の花瓶、棚周りの証拠チェックね。行動その四は、入り口の警備兵に話を聞くこと。証拠の確認もしたいから、カメラを持って行きましょ。良いわね?
 それから、もう一つ分かったことがあるの。毒を盛るタイミングは一回。しかも、短かったことは説明したわね」
 アリアは話の邪魔にならないように頷く。毒を盛るタイミングは、アスミがお盆を手放した時の一回だけ。それも、布巾を取りに行く間のみ。
「これによって、メモを貼るタイミングもここしかないと言えるわ。この日はお盆を代わる代わる使ったんだから、ワインの運搬に使うお盆を事前に予想するなんて無理ね。そして、アスミがお盆を手放したのは、大広間に入る前の一回だけ。となると、メモを貼れるタイミングもこの一回だけよ。あの短時間で犯人が毒を盛り、犯人が去るのを待ってから別の人間がメモを貼る、というのは無理ね。
 よって、『犯人=メモを書いた人物』と考えて間違いないわ。動機はメモの意味から考えて良さそうね。よし、次はライ大臣の話に―」
 ドアの外からコンコンッと、二回ノックする音が聴こえた。アリアは、また何かあったのかもしれないと身構える。エリリカが返事をすると、執事長のトマス・ルートが入ってきた。
「お嬢様、失礼します。クレバ医師がお見えです。ただ今食堂にてお待ち頂いております」
「分かったわ。すぐ降りていく。五分ほど待って頂いて。それからお茶とお菓子をお出しして、丁重におもてなししてね」
「かしこまりました」
 トマスは一歩下がってお辞儀をする。それからすぐに階段を降りる音がした。事件が起きたわけではないことに、二人して安心する。同時に顔を見合わせた。
「検死の結果が出たのかしら。行きましょ」

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