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KSJ KOTOBANIA横浜で

KSJ KOTOBANIA横浜は決勝まで行き最後は1分のアカペラで鈴木陽一れもんさんに敗れました。改めて鈴木陽一れもんさん、優勝おめでとうございます。
この日は悔しさよりとにかく疲労感が凄かった。
そして全部出し切った1日。
そして届かなかった日。

僕の中には「出し切ったのに届かなかった。」というのだけが残ってしまいました。


1回戦、ししどさん、KTRさん
じゃんけんで幸い3番目が選べて
二人のパワフル且つ、一つのショーとして完璧なパフォーマンスを見てて

あぁ、勝つには圧倒的なパフォーマンスで差をつける以外、勝ち目ないんだ・・・

と。


元々計算して闘える能力がないので全力でやるつもりでしたが、やっぱり「全力」だけでは足りないんですよ。
勝とうとする力は僕のスタイルには合わないので「届ける」ことだけをイメージして冷静に冷静に。
忘れてしまうから手の必ず見える位置に「届ける」と書いて挑む。

一回戦突破の投票結果を知って、大きく肩の力が抜けるが分かりました。
緊張が解けた瞬間でもあります。
僕は一回戦でほぼほぼ出し切ってます。

2回戦目、じゃんけんで対戦相手を決めるのですが、先に僕とゑん桜OKABEくんが勝ったので彼に「やりたい人決まってますか??」って聞いたら即答で「MARIOくん」て

バキバキな目で指名され「お、マジか」って
あの熱量のこもった目で指名されたらそりゃやるしかないだろ。アーカイブにも声はないですがその瞬間は映ってます。

ゑん桜くんは自分のネガティブな部分や弱さをちゃんと知ってるんだと思う。
それをポジティブに変えようとする心の努力はいつ会っても変わらないし、凄いと思う。簡単に出きることじゃない。それが僕は羨ましい。
ちゃんとその瞬間その瞬間を味わうように楽しんでる。
書き方が分からないから少し上からになってしまいますが、その姿勢がポエトリーリーディングでも表現されるようになってて僕は嬉しい。
詩吟なんて誰もやらないジャンルよ。
僕が大好きな一人芝居と詩吟と詩とラップ。
ゑん桜OKABEって凄いだろ。

闘いは熱量で負けるかと思った。
一回戦で抜けた力がなかなか戻らなくて。
でも「届ける」ことだけ忘れずに
それだけをひたすら考えて。
でも、それほど切羽詰まってた。
ゑん桜くんの熱量と本気度に余裕がまだ全然あったから。
でもなんとか5対4で勝たせてもらって決勝戦。

読むものは決まっていましたが、気持ちが追い付かず、練習通り、いつも通り読むことができないことを決勝戦前に判断出来ました。
この判断ができたのは間違いなくマルチエントリーからくる経験です。
いつも通りやってしまえば「抑えてパフォーマンス」してしまう。
それは伝わってしまうから。
何より、失礼ながら、れもんさんと同じ類いな気がして。
決勝でのれもんさんのパフォーマンスは僕との対話であり、そこにいた一人一人との対話。
ちゃんと目の前の一人に優しさを与えてた。
僕にはその余裕がない。正しくは力がない。
勝つには、、、
全部を出して終わるしかない。
振り返るのが嫌になるくらい乱れた気がした。
「これ以上、もうない。」
格好つければ、限界を越えてたんだと思う。
結果は5-5の引き分け

1分のアカペラへ。

例えるなら目一杯絞って、もう一滴も水が出ない雑巾をまた絞らなきゃいけないようなもので

6-4で鈴木陽一れもんさんの勝ち。

正直僕の中では1mmの差だと思ってる。観てた人は分からないけど。
ポエトリーリーディングにも三笘の1mmみたいなものがあるんだなぁと思ったり。

スラムをやってて気づいたのは

「勝って嬉しいはない。
あるのは猛烈な安堵感だけ。」

判定が決まるその瞬間、挙手してるところなんて見れない。凄まじいくらいの恐怖が襲ってくる。判定の数を数えるその数秒の長さで判定はもう分かる。
分からない時、接戦なんだと。
あとはただ、願うだけ。

そこで勝ちが決まれば猛烈な安堵感。
そこからまた次戦へのプレッシャーや緊張が襲ってくる。

今回、初めて決勝まで行かせてもらった。
そして初めてポエトリーリーディングで限界を迎えた。

全部出し切って悔しさより疲労感、そして届かなかったという虚無感。それだけが残ってしまって「ポエトリーリーディングで何も失くなってしまった。」とすら思った。
ずっとそれを今日まで引きずって

負けても大体4日あれば整理できるし次こそはってなる。
けど今回はならず、虚無感と諦めだけが強かった。

「全部出し切るなら
負けちゃダメだよ。成功しないとダメだよ。」と言いたくなって

やめた。

出し切って負けると諦める理由になる、なりやすい。

「やりきったから悔いはない。」
んなわけあるか。

でも、エネルギーがない。
何も失くなってしまった。
ぽっかり穴が空いてしまった。
リーディングしてる時に強烈な否定が一行一行に入る。
リーディングしてる時に強烈な不信感を自分に感じる。
全部が嘘になる。

届けたいからこそ相手の目を見る。
届けたいから自然と起きる様々な細かい動作。
なのに、パフォーマンスとして目を見てる。
パフォーマンスとして動かしてる。
「意識してやる」のと「わざとやってる」は全然違う。

全然違う。後者は僕にとって嘘でしかない。
届けてますよっていう大根アピールでしかない。

届け方がね。分からなくなっちゃったんだよな。

でも、これが書けるのは少し気持ちが前を向いたからで、きっと次の段階に進まなきゃいけない合図でもあって。

今年初参戦のKSJはエントリーした全ての大会で必要な経験をさせてくれて、必要な新しい力を与えてくれて、必要な悔しさを与えてくれる。
成長してるのが自分でもよく分かる。

人のリーディングで深く刺さる時は
その人の感情の高ぶりに無意識の「届けたい」が重なってる時だ。

だから感情の高ぶりと「届けたい」という意識が高い熱量で重なった時、より深く届くんだと思うんだ。

感情の高ぶりだけじゃダメなんだよ。


届けるステージを極めていこう。

#ポエトリーリーディング

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