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人生を例えると

私が人生を例えると、延々と続く動く歩道となる。
ちなみに歩く事は出来ない。乗せられてそのままだ。そしてその歩道は一本道でその道を進む以外無い。

人生も何もかも、操作不可能だと私は思うのだ。感情も行動もそうなっただけであり、自分で選んだ訳では無い。
操作不可能なまま進んでいくから動けない状態で乗った動く歩道という例えになる。一本道なのは全ては確定していると信じているからだ。それについては別の記事で書いている。

また、この例えになるのには別の要因がある。

それは、選択しているという感覚を私は感じにくいという事だ。
私が思う人生の例えは感覚を除外して考えたのではない。まず感覚でそう感じ、後で理屈でも納得したものだ。

詳しく書いていく。
私は基本的に気分で動いている、と思っている。
何か選択らしき事をする時はいつもなんとなくだ。ただそういう気分だった。
だからなのか、私には選択している感覚があまり無い。次々と起こる出来事などに反応している、と感じている。
それが一本道の動く歩道という例えに繫がるのだ。

選択している感覚があまり無い事は、後悔をしにくい事にも繋がっている。選んでいないのなら後悔する事なんて無いのだ。

この例えにおいて重要なのは
・動く歩道
・自分は動けない
・一本道
だ。

その中で動く歩道についてが分かりにくい気がしたので説明する。
これを思い浮かべたのにはいくつか要素がある。
まず、自動で動く人を運ぶものである事。
そして、縦方向でなく、前に進むものである事。
1つ目は人生というものは人を中心とし、操作不可能であり、進むものだというイメージから来ている。
操作不可能かつ進むとなると自動で動くものになる。そして人を中心とするのだから人を運ぶものになるのだ。
2つ目は私の時間が進む感覚が、縦ではなく前に進むようなものである事から来ている。

後の2つはもう説明しているので書かない。

今の私が考えるとこのような例えになるが、いつか変わるかもしれない。変わらないかも知れない。私はそれを知るのを楽しみにしている。
もし変わったのならば、その時はまた記事を書く事にしよう。

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