じいじのハンバーグ。 父は、料理が好きで、寡黙なおやじは よく孫たちに、ハンバーグを作ってくれた。 じいじのハンバーグは、特別に美味しい。 柔らかくて、肉汁たっぷり。 父は、癌で緩和ケア病棟に入院中で 7月7日の七夕のお願いで 孫にハンバーグを作ってあげたいと。 看護師さんから、お孫さんとハンバーグを作って、父に少しでもよいので 食べて貰っては。と提案があり、子どもとハンバーグをこしらえた。 やっぱり、じいじのハンバーグにはならないけど。 子どもと、旦那は、じい
ステージ4の癌との闘病。 5月に、倒れた父は入院した。1年半、抗がん剤治療を頑張ってきた。 一度も、抗がん剤の辛さの弱音や、イライラを見た事がない。主治医も、父の事を 我慢強い方で、治療を頑張られました と母に話たそう。 治療も全部やり尽くして、緩和病棟に入院する予定。緩和=死ではないと 看護師さんが言われたそうだ。 しかし、あとどれくらいでしょうか…との母の問いかけに 1か月、長くて2か月。 もう痛みや倦怠感、色々なしんどさで、痩せ細った父、本当によく頑張って
5月2日から、新しい仕事が始まった。 小学校の臨時講師。産休、育休の先生の代替採用だ。 43歳からの挑戦。 非常勤講師2ヶ月を経ての、常勤講師。 フルタイムは、なかなかの疲労感。 20年前に取った教員免許。10年を経ての免許更新もして、いつか資格を活かせたらと、講師登録をしていた。 昨今の教員不足から、中途半端な時期からの採用もあり、私のような経験の浅い者にも 任用の話があったのだろうか。と、責任ある仕事、家庭とのバランスを取りながらやって行く自信もなく、一旦はお断
仕事と、家庭、子どもの学校PTA役員、 癌の父の通院ヘルプ、あれ? 忙しい。旦那さんは、当直勤務のある仕事で、不在、土日も不在気味。 あれもこれも 身体も心もいっぱいいっぱいになると、一気に溢れてくる。 高山都さんのインタビューに 『ポジティブな放棄を』出来ないことに、フォーカスするのではなく、出来る事を見て、あとは一旦考えない と言われていた。 全部精一杯やらず、まあまあ、ぼちぼち これをやると自分の機嫌が良くなる そんな アイテムをいくつも用意して、自分に優し
菅野仁先生の「友だち幻想」を再度読み返してみた。社会学者の菅野先生の温かみのある文章。 人には、それぞれの距離感がある。その距離をむやみやたらに縮め、自分の事を丸ごと分かってもらえる存在を求めるから、苦しくなる みんなと仲良くしよう〜そんな幻想を持つ。 居場所がないと悩んだり、自分とら合わないと排除しようとする。いじめがなくならない。 学校というのは、単なる偶然的関係の集まりであり、その中で仲良くなれたらラッキーくらいの関係。 気の合わない人とも「共存」「共在」
父はステージⅣの癌の治療をしている。 69歳の誕生日の2日後に癌の告知を受けて 何の治療もしなければ、余命半年。 そこから 1年2ヵ月辛い治療をして、70歳になった父。 最近、骨の転移から痛みが辛そうだし 身体も痩せ細り、しんどい状態。 誰もが、病気になるし、歳を取り、命の最終駅に向かうのが自然な事なのに。 親の病気、近くに訪れてしまうかも知れぬ死に対して、私は不安と哀しみを感じる。 ドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします」を観て来た。 認
小学校3年の2月から塾に通い始めた1番下の息子。私には、3人子どもがいて。 長女は公立中学から、推薦で私立高校へ進み、今年春から附属の大学へ進学した。推薦入試のみで、大した受験勉強をせず希望学部へ。 次女は、公立中学から、公立の進学校へ。 進路の文理選択に迷いに迷って、高2になったところだが、理系にいったものの、法学部への思いが再燃したのか。文系科目受験を考えているようで。 と、歳の離れた長男は、国立大教育学部の附属中学か、私立中学に行く選択もありかと、 塾に通い始め
朝,息子を駅まで送って マックのカフェラテで 一息。 はじめてのnote投稿です
昔から、頭の中で色々な事を考えてきて 最近、アウトプットが大事だと聞いて なるほど。SNSも観るだけで、発信した事ないなぁ〜、何かを言葉に乗せて、発信するって一歩を自分の生活の中に取り入れてみるのも 1つのチャレンジである。謙虚にでも、前向きに日々を発信して記録していきたいと思います。 自分の事、家庭の事、がん末期の父の闘病の事、仕事の事、頭の中のパズルのピースを 言語化してみたいです。