守ってあげられなかったA君〜カウンセリングの根底にある想い〜
前任校でのこと。
小学1年生の男の子。A君。
担任がA君に手をやいていると聞き、教室へ。
どの子かなぁ、と教室内を見渡してみる。
すぐに分かった。
黒板の前に立つ担任の側をウロウロしていた。
時々、ピタっと担任にくっついて甘えている。
「1年生だもんね、可愛いなぁ」と思った。
でも、ここは学校。
A君の行動は問題行動と捉えられてしまう。
また時間を改めて様子を見に行き、
そばに行って話しかけてみた。
目がキラキラしている。
確かに、他の子よりもよく動くが、楽しそうにしている。
しばらくすると、
また担任のそばにくっついてうろうろ…
このような経緯があって、名前があがるようになったのだ。
そして養護の先生が、
「今、A君のお母さんにお薬の服用を勧めています」と、言っていた。
薬?
当時の私は、子どもの問題行動に向精神薬を使うのは当たり前なことなのか?と、不思議に思ったものの、知識もなく、よく分からずにいた。
まだ6歳の子供。
幼稚園からあがってきて、まだ学校生活に慣れていない、学校の秩序なんて理解できていない小さな子ども。
それを今から、教えていくのが学校教育なのではないだろうか?
周りの大人たちが、A君に対しての声かけや対応を工夫すれば解決できるはずなのではないだろうか?
と。
それから1週間後、いつものようにA君の教室へ。
珍しくクラスみんなが自由に立ち歩いている授業内容だった。
A君の姿を探した。
ん?こんな時に自分の席に座ってる?
机に肘をついて座っているA君に後ろから声をかけた。
振り向かない。
横から顔を覗くように声をかけたが、反応が薄い。
私と視線が合わない。
気だるそうにも見える。
どうした??A君、目がキラキラしてない!
すぐに養護の先生に報告に行くと、
「A君、お薬飲み始めたんです」と。
私は、あの時の虚な瞳のA君の姿が目に焼きついていて、絶望感と悲しさでいっぱいになった。
そして、憤りと。
薬で立ち歩かなくなれば、それでいいのか?
視線が合わなくなり、
子どもらしさを失ってまでも、おとなしくさせることを優先するのか?
服薬する前に、周りの大人ができることが、まだたくさんあるのに、という思い。
実際に、A君も上手く誘導してあげれば、着席できていた。
子どもの困り事の対処法は、
まず、子どもの環境や背景にある原因を探る。
そして、特に一番近くにいる親の関わり方にアプローチすれば子供は必ず変わっていく。
当時、学校という組織の経験が浅かった私はA君を守ってあげることができなかった。
その後、異動になり、
A君は今どうしているのだろう、
あのキラキラした瞳を取り戻せているのか、
失われたままでなければいい、
と想いを馳せている。
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