ステラおばさんじゃねーよっ‼️86.秘密のスパイスカレー 〜あの感覚
👆ステラおばさんじゃねーよっ‼️85.情念〜人魚の慟哭(どうこく)② カツカレーは、こちら。
🍪 超・救急車
入店すると、店内に浮遊するスパイスの粒子が目、鼻、のどをくすぐった。
正面奥にひろがる窓は横長で、射しこむ強い外光が窓全体を白く塗りつぶす。
吸い込まれるようにその窓に近づけば、離陸前のジャンボジェット数機が横向き縦で連なり、並んでいる。
そのうち一機はゆっくりと機体をバックさせ、飛行経路へとその頭部を振り直している。
ふたりは、「お好きな席へどうぞ」と店員に言われる前からその窓際に惹きつけられた。
店員の声かけと同時に、ふたりは窓に沿って備えつけられた木製テーブルの椅子に横並びでストンと座った。
ついさっきまで脳内で響いていたあの奇声は、しだいにヴォリュームを下げ、気づけばフェードアウトしていた。
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オーダーし、店員がその場から離れるとどちらともなく、
「ねえ」
とふたりは互いに呼びかけた。
カイワレが目配せすると知波から先に話した。
「さっきまでものすごい奇声が耳の奥で鳴り響いてて、すごく落ち込んだ…ジタバタするのもできなくて、何かに支配されてる感覚だった」
「船から降りてしばらくは、俺も母さんと同じ感覚だったよ。物心ついた頃から1年前まで続いた俺のおかしな病気?…みたいな感覚だった」
知波は目を見開き、
「あの、夢を見ているはずなのに覚えていられないって…アレね?」
とカイワレに確認した。
「そう、アレ。最近までずっと苦しめられた、【あの感覚】に似ていた」
「はあ…すっごく疲れたわ…。というより、太士朗は一年前までずっとあんな倦怠感に苦しめられていたのね?!」
知波は、
「きっとわたしのせいね。ごめんね」
と言葉をつなごうとしたが、黙った。
カイワレははじめて、【夢を覚えていられない感覚】の詳細を母に語った。
「そうだよ。幼少の頃からずっとそうだった。眠るとかならず、始まりも終わりも分からずになぜか夢の中で迷子になって体力だけが奪われた。だから俺には、寝る事は休息なんかじゃなかった」
辛い体験を話す時、人は沈痛の表情に変わる。
それをくまなく見落とさぬように、知波はカイワレの顔をじっと見ていた。
「夢という別世界で、【もうひとりの自分】の人生があるかもしれないって、そう信じて倦怠感すら受け容れようとしたんだ。実際、夢を覚えていられないんだから、【もうひとり】が生きているのかもそうじゃないのかもわからない…けどね、何か自分だけの納得した答えを作らなければ、心が壊れそうになった。そして当たり前に日が暮れ夜が来て、消灯時間が来る。皆は、気持良さげに眠ってるのに俺だけ朝目醒めると倦怠感だけが残ってた…その繰り返し。そんな自分に本当、嫌気がさしたよ」
知波はそのまま息子の話に耳を傾けた。
カイワレはコップの水を一口含み、話を続けた。
「こんな話、誰も信じちゃくれないと思ってた。けれど母さんとあの島へ行き、帰りの船であの感覚に似たような体験をした。だからちゃんと話をしてみたくなったんだ」
知波はさめざめと泣きながら、
「…大変だったわね。わたしなんて今回のアレですら、ホトホト疲れ果てて…もうあんな体験、二度とコリゴリって思ってるんだから!…あなたは本当に強い子ね…一体誰に似たのかしら?」
「そりゃあ育ての親、聖先生でしょ?」
と笑い、知波の顔をのぞき込むとカイワレはハンカチを差しだした。
その顔がまるで出逢った頃の悠一朗とそっくりで知波は一瞬ドキリとした。