ただのゴミ
最近、本棚が欲しい。すごく欲しい。電車に乗っている時にも、風景を見て…あゝ本棚欲しいと思ってしまうくらい欲しいのだ。なぜかというと単純に本がキャパオーバーしてしまっているので、それをきちんとしまいたいからだ。今の本棚は棚の付け替える単位が使いずらい(多分僕がこいつときちんと向き合っていないので、最高の組み合わせができていないのが原因だ。)下のだんは画集でいっぱいになっていて、一番上は趣味のガチャガチャのフィギィアとお飾りのピンポールカメラが陣取っている。画集は大きさがあるもんだから、間の棚の隙間は狭くなってしまって文庫を入れたくても入らない。結局大きくてもCD、小さくても小物をぎゅうぎゅうに詰めるぐらいしかできない。行き場の無くした文庫本は別の本棚に入れることもできるのだが、先に漫画本が先客で陣取ってしまっている。そして結局棚の上のとこにぎゅうぎゅうになって固まっている文庫本を見てると、自分を少し責めてしまう。
でもそんなのは上っ面の理由で、実際は本棚というのものが欲しいだけなんだと最近知った。小説かなんかで、主人公が住んでいるアパートにたくさん本が詰まった本棚で狭い部屋を埋めていた場面が頭の中に鮮明に残っている。その場面がただ自分のものにしたいから、本棚を買いたいんだとわかった。だからなんだというのか…。
すごくひねくれているけれど、きっとこの本を全てしまったら自分の中には何にも残らないんだろうなと思うと、所詮本の内容なんかよりもそのものが増えていくことに自分の知恵が蓄積されていくことを勘違いしているに違いない。目の前で燃やされてしまっても涙を流す理由は本を慈しむことなんかじゃなくて、自分の化粧道具がなくなってしまう悲しさだろうなと思う。だったら本棚はいらないんじゃないと思っても、結局金で手に入るんなら買うのも悪くないなと思い…なんてのを繰り返して繰り返してまたボッーとして時間が潰れていくんだろう。でもそれも悪くないなと思って今日もグダグダ過ごす。