いつだって本気になれば。 #かくつなぐめぐる
今も昔も野球が大好きだけど、ずっとそうだったわけではない。
ーー高卒で就職することを前提に考え、希望する企業への校内推薦をもらうことを目的に野球部に入っていた僕だったが、野球部のスパルタ加減は想像を遥かに超えるものだった。”甲子園”や”プロ野球”のような目標があるわけでもなく、雨が降れば練習の中止を期待し、台風発生のニュースを見ては上陸を願っていた。
そんな日々を過ごした結果、僕は野球が嫌いになっていた。
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小・中とピッチャーしかしていなかった僕は、高校でも当然ピッチャーをやるつもりだった。他の選択肢なんて考えてなかったし、やっていける自信もあった。根拠はないけど。
けど、ピッチャーにはなれなかった。
「今年はサードが少ないから、とりあえずサード入っといて」
たったその一言で、僕の高校野球人生はサードとして始まった。今まで一度もやったことのないポジションだ。最初こそ「与えられたポジションで、結果残そう!」と思ったものの、そのやる気は続かなかった。
慣れないポジション、先輩からのしごき、厳しい練習……。
あんなに好きだった野球がどんどん嫌いになっていった。
それでも心の隅には「またマウンドで投げたい……」という思いがこびりついていて、同級生がマウンドで投げている光景を見る度、悔しかった。試合終わり、汗と泥でクシャクシャになったユニフォームを着ているメンバーの横で、ピカピカのユニフォームのままでいる自分が恥ずかしかった。
ただ、それでも「頑張ろう」という気持ちにはなれなかった。
現実を突きつけられることから逃げていたのだ。
本当に頑張って、それでもダメで、自分の力が通用しないと突きつけられた時のことを考えると、とても耐えられそうになかった。
「そもそも、ピッチャーをやりたいなんておこがましいんだ」「野球部に入ったのは就職のためだ」。様々な言い訳を考えては、自分に言い聞かせた。
そのうち、球拾い専門になった。試合の時はベンチ入りすらできず、背番号のついていないユニフォームを着て、スタンド席で応援する日々が続いた。
ーー気づけば先輩はいなくなり、新チームとしての活動が始まった。
新チームになって間もなく、合宿が行われることになった。
合宿の前日、部員全員が監督に呼ばれた。「心機一転頑張ろう!」「全員にチャンスはある!」「合宿ではこれまでの実績は考慮せずに、今の実力だけを見る!」的なことを言っていた。
その話を聞いて僕は少し胸が高鳴った。「俺にもチャンスがあるかもしれない」と。体が強張り、鼓動が早くなるのが分かった。
けど、そんな僕のうわついた気持ちは一瞬で砕け散った。
「これからお前はマネージャーやってくれ。合宿では、練習の準備、洗濯、料理とかの雑用をやってもらう」
その言葉は僕にとって、クビ宣告に等しいものだった。もう選手として必要ないと言われたようなものだ。全身の力がサーっと抜け、膝から崩れ落ちそうになった。
「……はい」
とりあえず、そう答えることしかできなかった。
そして合宿は始まった。
練習前には20ℓのウォーターキーパーに水を入れ、ベンチを掃き、黒板に練習メニューを書く。練習が始まったら、夕食の買い出しと準備。練習が終わったら、ユニフォームの洗濯。
心を無にして全ての作業をこなした。
7日間ある合宿も、すでに6日目の夜を迎えていた。その日の全ての仕事を終え、食堂から宿舎に戻ろうとしていると、監督が現れた。
「ご苦労さん。お前をマネージャーにして本当良かったよ。ありがとな。大変かもしれんけど、これからも頼むな」
「…………」
僕は何も言えず、すぐにその場を去った。
優しい言葉だった。きっと本心で言ってくれた言葉だろう。でも、その時の僕にとっては、とてつもなく鋭利で、心に突き刺さる言葉だった。
「俺は、マネージャーで認められたいわけじゃない」
頭の中でぐるぐると呪文のように唱えながら、誰もいないグランドへと向かった。
暗闇の中、マウンドに立ってみる。
そこに立つのは久しぶりだったけど、不思議と安心感があった。
大きく深呼吸した後、僕は決めた。
翌朝。まだ外は薄暗く、チームメイトはまだ寝息を立てている中、僕は監督室へと向かった。起きているか心配だったけど、監督はすでに起きてユニフォームに着替えていた。
「どうしたとや?」
「……ピッチャー、やらせて下さい」
「ピッチャーやりたいんか?」
「はい。1回だけでいいんで、チャンスください。もしそれでダメだったら野球部は辞めます」
「……分かった。やってみろ。次の練習試合で投げさせるけ、準備しとけ」
ーー1ヶ月後の練習試合で、約束通り僕はピッチャーとして起用してもらった。久しぶりに立つマウンドは、やっぱり気持ち良かった。アドレナリンが体中を駆け巡り、不思議な力が湧いてきて、自分の身体じゃないみたいだった。
試合終わりのミーティングで、監督から「今日からコイツは正式にピッチャーとしてやってもらう」ということが部員に告げられた。
そこからの僕は、水を得た魚のようにやる気を取り戻し、日々の練習に打ち込んだ。
最終的には、背番号をもらい、公式戦にも出場できるようになった。
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僕が高校3年間でピッチャーだったのは、1年にも満たない。でも、高校時代の思い出はその短い期間に凝縮されている。それくらい、本気で打ち込んだ時間というのは大切なんだということを知った。あの時何もせず、腐っていたら、高校3年間で何も残らなかっただろうし、今でも野球が嫌いなままだったかもしれない。
いつだって本気になれば、なんだって出来るはずだ。
大谷翔平や村上宗隆のような宇宙人クラスにまで上り詰めることさえ、本気で打ち込めば、夢じゃないかもしれない。根拠はないけど。