悔しさの正体とは
最近、悔しさを感じる場面が多い。
仕事でも、ライティングでも、音楽でも、映像でも。自分で決めたハードルを超えることが出来ず、怒りにも似た悔しさを抱くことが多い。
そもそもの問題として、設定するハードルが高すぎるとか、チャレンジするものが多すぎるとかいう原因はあると思う。でも、低めに設定したハードルを超えたとしても、良いものは作れないだろう。チャレンジするものを絞ったとしても、「逃げてしまった」という思いに駆られて、結局悔しい気持ちを抱くことになる気がする。
自分を甘やかして、楽な道に行くことは簡単だ。悔しさや怒りといった、”負”の感情は少なくなることだろう。ただ、それと引き換えに「成長」は止まってしまうと思う。「成長」の裏にあるのは、悔しさや怒り、悲しみといった”負”の感情であることが多い。もちろん、そうじゃない人も居ると思うが、僕は今まで”負”の感情と向き合い、それを糧に成長してきたと思っている。僕にとって、”負”の感情、特に悔しさは成長の種だ。
だからこそ、今は成長できる絶好のチャンスなのだ。チャレンジするもの全てに全力で挑み、勝つにしろ、負けるにしろ、後悔のないようにしたい。
何事にもチャレンジしなければ、抱くことのなかった感情だ。
たまには悔しさに押しつぶされて、辞めたくなるときだってある。恥ずかしい思いをすることもある。でも、やると決めたのは自分だ。
どうせ悔しさを感じるなら、それを力にしたい。
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