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スモークサウナ村Saunakyläの活動報告2024

【前置き】私がサウナキュラに一目置く理由


私が現地大学院での論文テーマにフィンランドの公衆サウナを選んで、その調査研究に取り組み始めてから、すでに10年が過ぎています。
その間に思いがけず日本にサウナブームが到来し、次々に新しいサウナ施設がつくられて、近年はありがたいことに講演や執筆の機会だけでなく、施設プロデュースや監修のお誘いまでもいただくようになりました。

ただ、私自身は自ら理想のサウナをつくりたいと思ったことがなぜか一度もないし、そのスキルや経験自体も乏しいので、当面は、現地サウナ施設のアテンドや、新設サウナの名付け親になる役目を引き受けるくらいしかお力添えができません…。自分はいつまでたっても、いち入浴者としてサウナや公衆浴場を味わい、つくりや歴史や人々の様子を観察して、そこからあれこれ考えるのが好きな性分のままのようです。

ところがここ数年、そんな私が入浴者やリサーチャーという立場ではなく、運営メンバーの一員として深く関わり続けているサウナ施設が、フィンランドに一軒だけあります。それが、私が住むユヴァスキュラ市から車で30分の隣町ヤムサ市の、街外れの風光明媚な野原で夏限定オープンする、体験型野外博物館サウナキュラ(Saunakylä)です。

森と麦畑と湖の狭間にある広大な野原で営まれるサウナキュラ。キュラは「村」を意味し、20以上ものスモークサウナ小屋が建ち並ぶ界隈は、実際ひとつの村落のような情緒を醸し出す

詳しくはぜひ本文を読んでいただきたいのですが、サウナキュラでの体験価値や運営メソッドには、サウナ大国フィンランドにおいてさえ唯一無二の独自性があって、世界に誇れる魅力的なサウナ施設だと私は確信しています。いっぽうで、これはまだまだ先への可能性(というか見通しの不可能さ)を秘めた発展途上のプロジェクトでもあります。だからこそ、その進化過程を中心部から見守り、長期的にサポートし続けていきたいと強く惹かれて、本業の合間に手を貸し続けているのです。

サウナキュラは商業施設ではなく、タルコーライセットと呼ばれる、この場所や体験から何らかの見返りを期待し自分の時間や労働力を捧げる人々によって、自治的な運営が続けられる

ご存知のようにこのnoteでは、フィンランド在住のサウナ文化研究家を名乗る私が、他国のサウナや浴場文化の調査に赴いたときの報告や考察記録を書き貯めています。本国フィンランドと日本のサウナ文化に関しては、これまで著書、翻訳書やさまざまな取材・執筆記事を通して発信し続けてきたので、noteでは取り上げる必要もないかなとずっと思っていました。

けれど、このサウナキュラの魅力や運営手法については、一度きちんと日本語で文面化しておくべきなんじゃないかという思いが強まり、ちょうど今季の営業シーズンも終わったタイミングなので、今年度の活動報告のような形で記録写真とともに記事にすることを決めました。

これは、日本のサウナ施設運営の参考になる…などという汎用性のある事例ではないかも知れません。けれど歴史遺産としてのスモークサウナの奥深さや、『地元民&愛好家の自治力で営むサウナ村落』という新鮮な運営メソッドは、日本のサウナ愛好家や運営者、あるいは例えば伝統保存や街づくりの分野に携わる人たちにも、なにか特別なインスピレーションや希望を与えられるのではないでしょうか?

【施設の特色】まるでRPGの世界観をまとう、サウナ小屋だけの村落

どのサウナも男女混浴なため、ここの村民たちの普段着は「水着」。けれど、入浴の前後に普段着のまま何時間もゆったり村の空気を楽しむ人たちも多い

ルートマップでsaunakyläと検索した人々がたどり着くのは、一軒のサウナ建築…ではなく、砂利を敷いたメインストリートが一本貫く、まさかの広大な野原。そのメイン道から両側に幾筋も延びる小路沿いに、古民家のような素朴な風合いの木造小屋が点在し、屋根から煙をくゆらせています。何を隠そう、この建物「すべて」が、100〜300年前にフィンランド国内各地で実際に使われていた年代物のサウナ小屋。だからこそこの光景は、まるで中世の集落にでもタイムスリップしたかのような、驚きとノスタルジーを訪問者に与えます。

営業時間になると、次々に老若男女がやってきて、雨の日だろうが寒かろうが水着姿でこの路地を行き交い、数あるサウナ小屋を訪ねては出入りしてゆきます。その光景は、勇者御一行が町人と交流しながら路地をさまよう、RPGの世界そのもの(笑)。日本のサウナ界ではネガティブイメージのついてしまった「ドラクエ現象」が、この界隈では微笑ましい日常風景です。

カフェ棟では、手作りの軽食メニューやサウナキュラのオリジナル極太ソーセージを買って、サウナの合間や後に食すことも可能。いっぽうで、食べ物や飲み物の持ち込みもとくに禁じていない

ただサウナをはしごするだけでなく、子どもたちは湖で水浴びに興じ、お腹が空いた人たちは自分で火を起こしてソーセージやパンケーキを焼く。敷地内には軽食やサウナグッズを売る「商店」も軒を連ねる。着替えたあとも、テントの下や焚き火のそばでお酒片手に延々おしゃべりに夢中な人もいる。

サウナに入ることだけを目的とせず、各々が自由気ままな村人となって、平和な空気感を遵守しながら、朗らかに、過ごしたいように過ごせる小さな村落。実はサウナキュラの「キュラ(kylä)」はフィンランド語で「村」、つまりここは、名実ともにみんなの「サウナ村」です。

【開村の経緯】かつて失敗に終わった観光施設サウナの蘇生を目指して

毎年雪解けを合図に、サウナ村の開村作業が始まる。まずは一冬中深い雪に埋もれていたサウナ小屋や木材をきれいに手入れし、草木の間伐を行なう

サウナキュラに建ち並ぶヴィンテージ・サウナ小屋たちはすべて、かつてフィンランド国内のどこかに建てられ、実際にその土地の人たちに使われていたものばかりです。一軒一軒、サイズや工法、装飾などにちゃんと個性があり、一口にサウナと言っても、年代や地域によって特色が異なっていたことがわかります。もっとも古いものでは、1700年代から北極圏で温められていたサウナもここにあります。
ただしこれらの大半は、その出生地から直接ヤムサ市に運ばれてきたわけではありません。もとは、80年代に近隣のムーラメ市で、フィンランドの伝統文化を伝える観光商業施設としてオープンした野外博物館のコレクションだったのです。

サウナキュラ最大のサウナVirpiloは2階建て。主に大所帯で空間をシェアしていた西部フィンランドの伝統を伝える。1階にあるストーブに2階から水を落としてロウリュする。入浴だけでなく、調理や生活の場としてもサウナの暖気を活用していた事例(写真:村瀬健一)

ところがこの施設が経営不振で2010年に倒産し、行き場を失った伝統サウナ建築たちは、その歴史遺産としての価値を評価されるどころか、雨ざらしでみるみる遺構と化してゆく事態に。この状況を憂いてなんとかしようと立ち上がったのが、隣のヤムサ市に住まう、Saija Silenさんをはじめとする市民の皆さんでした。

Saijaさんの本業は、中央フィンランド郷土博物館の学芸員。さらに彼女のお父さんは経験豊富な木造建築の大工さんで、ヤムサ市には他にも、腕利きの大工たちや、伝統的なサウナストーブの職人さんまでがたまたま暮らしていたのです。意気投合し手を組んだ彼らは、2012年にSaijaさんを代表に立てて保存協会を発足させるとともに、ヤムサ市からだだっ広い空き地を購入して、そこにサウナ小屋を移築し、修復・再生する自主活動を始めました。

2024年現在も、まだまだ次なるサウナの移築・修復・再生作業は続いている。もともとムーラメにあったサウナだけでなく、国内各地に残る遺構情報を聞きつけて新たに譲り受けてきたサウナも

土地の購入資金はもちろん、サウナ小屋を解体し、運搬してまた同じ部材で完全に組み立て直すのには、1棟につきなんと数百万円もの費用がかかります。個人が借金したり、国内外のサウナ愛好家や事業団体に寄付金を募ったり、行政に補助金申請したりと、初期費用の捻出は決して容易ではなかったと聞きます(もちろん活動が続いている今日も常に資金調達問題はつきまといますが…)。

それでも、私が初めてサウナ村を訪れた2014年には5-6棟のサウナ小屋が移築完了しており、すでにただの野原ではなく「村の勃興」が垣間見られて、フィンランドのサウナ愛好家の熱意恐るべしと感激したのを覚えています。

それぞれのサウナ小屋には、「番地」と、博物館コレクションとしての展示説明が設けられる。それぞれのサウナの名前は、そのサウナの出生地の地名が所有者の名前から付けられている

ムーラメからヤムサへとお引越ししたサウナ小屋たちは、今でも「野外博物館のコレクション」という位置づけは変わりません。サウナキュラは、入浴施設である以前にミュージアムなのです。ただし昔と違うのは、今は建物を眺めるだけでなく、「実際にサウナ浴できる」という点。ムーラメ時代は、火災の危険性を危惧して、ストーブのない箱物だけを展示していたのですが、「どんなサウナも、実際に入ってロウリュを浴びてこそ真価や特色がわかる」というのが今の保存協会の信条です。

1800年代以前のお宝級のサウナは今でも見学のみですが、構造物がしっかりしているサウナには、地元の職人たちが知恵と技を絞って新たにストーブをつくり、本来の目的で使えるよう蘇生させてくれているのです。

敷地内やサウナ小屋を覗いてまわるだけなら、24時間いつでも誰でも自由に立ち寄れる。ロードバイクやドライブ客が、たまたま看板を見つけてふらっと入ってきては目を丸くしている光景も

これにより、「体験型ミュージアム」へと進化した野外博物館サウナキュラは、毎年5-9月(*雪解けや初雪の状況による)の土曜日にだけ、運営メンバーによって10棟近く火入れされます。訪問客は、一律の入場料(今年度は15ユーロ、12歳以下無料)を払えばすべてのサウナに入り放題です。

雨に濡れたサウナ小屋の屋根からは、火入れが始まると煙だけでなく水蒸気がむわっと立ち上る。それを見て、「今日もちゃんとサウナが呼吸してるね」と大工さんは微笑む(写真:村瀬健一)

【スモークサウナ】太古のサウナ形態、スモークサウナの仕組みと魅力

木造建造技術さえまだ未発達だったころのスモークサウナは、入口以外の壁の三面を土壌に支えさせた地中埋没型サウナが主流だった。屋根が蒸気で暖かく湿っぽいからか、植物が活き活きと生殖し、建物自体が自然に還っている

サウナキュラで息を吹き返したサウナたちは、すべて「スモークサウナ(savusauna)」と呼ばれるタイプのサウナです。フィンランドのサウナ浴が、「焼け石に水をかけて発生する蒸気(=ロウリュ)を浴びる入浴法」なのは、今も昔も変わりありません。ただし、石を積んだサウナストーブを加熱するための熱源は、長い歴史のなかで薪→ガス→電気…と変遷を遂げてきました。

スモークサウナというのは、鉄パイプやレンガで煙突をつくる技術がなかった原始の時代から続く、火を焚くにも関わらず排煙装置を持たない太古の薪サウナのことで、通常は独立した一軒の木造小屋です。排煙装置がないということは、ストーブ釜に薪をくべるたび、その煙や灰がサウナ室内中に充満してしまうということ。当然、入浴者がそれを吸うと死にも繋がるので、入浴開始後はもう追い焚きができないという制約があるのが最大の特徴です。

釜に薪をくべ続ける間、煙は常に部屋の上部に吹き溜まり、壁の小窓や天窓から少しずつ排出されていく。この煙のベールの下限が、常にベンチの最上段より少し上で浮遊する状態が理想

追い焚きなしで長時間ロウリュを楽しむためには、必然的にサウナストーブを巨大化して蓄熱性を上げ、それを長時間かけて十分に温める必要があります。サウナのサイズや構造にもよりますが、スモークサウナのストーブは、サウナ室内面積の6-4分の1くらいを占める大きさで、石をこれでもかとたっぷり積載しています。そして釜の中では、燃焼に必要な酸素を送り込む網天板の上で4-6時間以上も薪を燃やし、その直火の火力で徐々に石の山を温めていくのです。

薪焚きの間、煙を逃がすために壁の小窓は全開に、さらに酸素供給のためにサウナ室の扉も開けっ放しにしておきます。それでも十分に石も空間も温まるくらい火力は偉大だし、危険とも隣り合わせ。サウナの準備中は常にだれかが専属責任者となり、火災が起こらぬよう目を光らせながら、サウナ小屋に張り付きます。火入れの訓練時も、まずは「とにかくサウナが燃えなければそれでいい」と教わります(笑)

火入れ中は、酸素を送り込むためにドアも開けっ放しにしておくので、煙の軌道だけ煤けている

最終的には、ストーブの隅々の石の温度が300〜330度になるくらいまで、良質な炎を絶やさないよう燃やす薪の量やポジションを常に工夫しながら熱し続けます。そう、実際はただサウナが燃えないよう留意しつつ薪を投入し続ければOK…というものでもなく、長時間かけてどのように薪を燃やしていけば、余計な灰を抑えつつ空間と石が理想的な温まり方をするか…をコントロールできるのが、真のスモークサウナ火入れ師の匠の技です。外気温やストーブの規模にもよりますが、うまく温めれば、夕方に入浴を始めて翌朝でもまだほんのりロウリュが出るくらいに、蓄熱性を保つことも可能なのです。
もちろん熱のクオリティは、ストーブ自体の質や空間との相性に寄るところも大きいので、できたてのサウナでは、職人さんたちが試行錯誤して何度か石を積み直したりストーブ自体を作り変えることもあります。

今年は私も火入れ師ビューを果たし、親方たちの指導のもとで、毎週違うサウナの火入れと準備を経験させてもらいました。そして、ただ考えなしに薪をくべているだけでは、出来上がった空間の熱の質や持続性がぜんぜん違うという現実に直面…。火や空気という自然相手の作業だけに、とにかく勘や経験がものをいうことも、思い知らされたのでした。

ストーブ各所の温度は、ムラができないようレーザー温度計を使って綿密に測り続ける

石の温度が目標温度に達したところで薪の投入を止め、あとは釜内の薪が完全に燃えきり鎮火するのを待ちます。その後、釜の中に残った真っ赤な燃え殻を丁寧に掻き取って空っぽにしてから、釜の前蓋を閉めて、焼け石に数度水を散布します。これが、スモークサウナの火入れ作業を特徴づけるハカロウリュ(häkälöyly)という行程。

ハカロウリュを行なうことで、燃焼中に石の表面や隙間に留まっていた灰や煤を、上昇気流で剥がして逃すことができます。ただ、実質ファーストロウリュとなるこの作業中は、灰がまるで桜吹雪のように巻き上がり、同時にとんでもない威力の熱波がストーブから噴出するため、作業者は水掛け後すぐにかがんで息を止め、身を守る必要があります。けれどこの過酷な作業を経て、あとはしばらくストーブや空間が落ち着くのを待てば、入浴者には最初からクリーンなロウリュを楽しんでもらえるのです。

ハカロウリュの前に釜から掻き取りきらないといけない燃え殻たち。真っ赤な宝石のように煌々と輝いていて、いつも作業中にうっとりしてしまう(写真:村瀬健一)

ここまでの労力と時間を重ねて準備がととのったスモークサウナの醍醐味は、やはり何と言ってもロウリュの別格な力強さと気持ちよさ。柄の長い専用柄杓でゆっくり水を石の山に注ぐと、ジュワッではなくドドドッ、ザーーーー…という蒸気の重厚な昇華音が、心地よく室内に響き渡ります。そして、薫香とともに煤けた暗がりの空間内をゆっくりめぐる蒸気は、パワフルなのになぜかとても柔らかいのです。

さらに巨大ストーブからの輻射熱とのダブルパンチによって、体は芯から温まり、これでもかと発汗が促されます(スモークサウナに入るときは普段のサウナ浴以上の水分補給がマストです!)。私自身、国内外のいろんなサウナに入り続けてはいますが、スモークサウナ入浴中に出る汗の量と性質は別格だといつも感じます。いかにも老廃物を含んでいそうな、べっとりとした塩辛い汗が止めどなく出てくるのです(笑)
だから入浴後は体がとりわけスッキリするし、それと同時にどっと疲労感にも見舞われます。

巨大ストーブに水をかけるためには、手が火傷しないよう柄の長い特注柄杓を利用する。水を石の表面全体に散布したり投げ入れるのではなく、柄杓の底を一点に固定し、ボーリング採掘のイメージで同じ場所の奥深くの石まで水が届くよう、ゆっくり少量ずつ注ぎ続ける

そんなスモークサウナ特有のロウリュの強さや質は、追い焚きで持続させない分、時間の経過とともに変化し続けます。そしてその変遷は、よく人の一生にも例えられます。焚きたてのサウナから出るのは、生命エネルギーに身を任せて全力で泣き叫ぶ赤ん坊のような逞しさ(とコントロールの難しさ)。それが少しずつ分別を獲得しつつも、まだまだありあまる熱を帯びた幼児期を経て、青年期、落ち着きを備えた中年期…と変化を遂げ、最後はほとんど音も立てないほのかなロウリュで、人生の余韻に浸るような穏やかな温もりを感受する老年期へと至る…

同じ一つのサウナでも、スモークサウナではこのように刻々と熱の質や楽しみ方は移ろい続けます。だからサウナ村の常連さんたちは、「あのスモークサウナの何時間目のロウリュが最高だ」というこだわりを持ってさえいるのです(笑)

【運営メソッド】労働力のクラファン”タルコー”は、度量の大きな互助共同体

洗体時には、井戸水を薪ボイラーで沸かして貯めておき、それを入浴客が冷水でうめてかけ湯に利用する。サウナだけでなくこうした設備準備も営業前の作業のひとつ

さて、今日のサウナキュラの季節運営や継続的な移築保存作業は、建造や火入れ作業の総監督責任を負えるプロの大工が完全住み込みで1名雇われている以外は、保存協会が招集した「タルコーライセット(talkoolaiset)」と呼ばれる立場の民間人によって回っています。フィンランド社会には、昔からタルコー(talkoo)と呼ばれる、ある地域や集団における自発的運営システムが存在します。例えば、近隣住民が寄り合って、自分たちの使う公民館を整備したり、スポーツイベントを実施したりするのも、タルコーの活動一例です。

それは、形式上「ボランティア」と訳されたり見なされることもあるのですが、私なりの解釈でわかりやすく言い換えれば、「労働力のクラウドファンディング」という捉え方がしっくりくるのではないかと思います。

その日の営業準備や薪割りだけでなく、村を少しずつ快適に「文明化」させていく作業を進めるのも、タルコーライセットの大事な任務

つまり、あるタルコーに参加する人たち(=タルコーライセット)は、ただ単に無償の奉仕を行なうのではなく、何らかの具体的な見返りを期待できるからこそ進んで参加する、というモチベーションベースであることがタルコー活動の要です。通常のクラウドファンディングでは、金銭的な支援をすることで、出資者には何らかの返礼品が届きます。それと同じで、タルコーライセットは、自分自身になんらかのメリットが還元される前提で、お金の代わりに時間や労働力を提供して活動を支えるのです。

サウナキュラのタルコーライセットにとっての返礼品とは何か。最もわかりやすいところでは、営業日の火入れや準備作業に参加すれば、タダでサウナに入れることですね。サウナ愛好家たちにとって、極上のスモークサウナに無料で入り放題なんて、そりゃもうとびきりのご褒美ですから!

土曜日の火入れ作業やオープン準備は、朝一番から営業時間までずっと続く。お昼に交代で持ち場を離れ、料理隊長イルッカが振る舞ってくれるその日の絶品スープやパンをみんなでむさぼるのが、肉体作業の合間の至福のひととき♪

また、その日の参加者には炊き出しご飯が振る舞われます。フィンランド人が愛してやまないコーヒーも飲み放題。これも伝統的なタルコーの風習みたいなもので、例えば自分の家の建造作業を誰かに手伝ってほしいときでも、「手伝えばごはんがもらえる」という条件付きなだけで、地域住民からタルコーを緊急招集することができたのだそうです(笑)

そもそも、今や希少なスモークサウナの建造や火入れというロマンあふれる営みに携われる!という稀有なチャンスの魅惑に惹かれて集ってくる趣味人やサウナ愛好家も、たくさんいます。とくに、やり甲斐に飢えていたり、エネルギーと遊び心を持て余している退職済み世代の人たちにとって、この太古のサウナだらけの広大な原っぱは、みんなでつくる最高の大人の遊び場みたいなものなのです!

今年設置が完了したシャワー室には、コンゴ人の女の子が描いた愛らしいイラスト看板が

それからサウナキュラの主力タルコーライセットの中には、市の移民・難民グループの皆さんもいます(私もその一人ですが)。彼ら(私たち)にとって、このサウナキュラという場は、言葉は不自由でも共同作業を通じて現地の人たちと心を通い合わせることのできる、とてもハートフルなコミュニティです。とくに、ロシアやウクライナからやって来た人たちにとっては、スモークサウナは彼の母国でも慣れ親しんでいた入浴文化。国をまたいで、その火入れや入浴に再び携われるのが、シンプルに嬉しいのですよね。

ちなみに、私個人がタルコーで得ている一番の見返りは、今や現代フィンランド人でも入浴機会の稀な、スモークサウナという消えゆく伝統文化の保存継承活動に携われる充足感でしょうか。
フィンランドは、サウナストーブを急速に文明化させることで、現代生活にサウナ習慣を受け継いできた国なので、裏を返せば、半世紀後にはスモークサウナの文化が絶滅してしまっていても不思議ではないのです。世界のサウナや公衆浴場を訪ね回っていても、時代の波に飲まれて常に古きが新しきに淘汰され、何事も生き残るには様変わりを続けるしかないことを肌で感じます。そんな無常の世界で、この村にいる間だけは急ぎ足を止めて、過去の人々の知恵や工夫や日常風景と向き合い対話していられる。しかもその特別感や楽しさを、現代を生きるサウナマニア同士で分かち合えるし、意義を編み直せる。この時間こそがとても愛おしいし、有り難いし、さらに時代がすすんだあとで振り返っても、あのときやっておいてよかったと、胸を張れる気がするのです。

タルコーライセットの中には、両親に連れられてやってくるキッズたちもいる。彼らにとっての返礼品は…休憩時間のジュース&おやつと、この広大な野で、大人たちと一緒に冒険心くすぐる作業を手伝わせてもらえる体験そのものなのかな?

このように、さまざまなモチベーションを抱いた人たちがサウナキュラのタルコーライセットに登録しており、WhatsAppグループで密に情報共有しているのですが、もう一つこの自治組織の維持のために重要なポイントは「毎回、来れる人だけ来ればいい」というスタンスを貫くことです。

毎週頭に、グループ内では「今週の土曜日誰が来れる?」という確認メールが火入れ隊長からまわってきて、行ける人だけがそこに「私行きまーす」と返事を流します。毎週来る必要はまったくないし、行けない人が、「ごめんなさい今週は行けません」とわざわざ欠席連絡する必要もありません。来られる人の名前を、淡々と各サウナの責任者やその他の準備メンバーとして割り当てていき、集まりが悪そうなときは、潔く温めるサウナを減らす(今年はなかったですが、最悪臨時閉業する)ことで、毎度フレキシブルに乗り切るのです。
この個人の自由意志を最大限尊重した互助システムのおかげで、予定があって行けないときも罪悪感を感じる必要はまったくないし、誰かが責任を負って過度に働くこともありません。

湖畔には、子どもたちの遊び道具もたくさん用意してあります!

いっぽうで、タルコーは新参者に対しても常に門戸を開いています。最初は入浴者としてよく足を運んでくれた人が、いつの間にか準備時間から手伝い始めている…というケースもあるし、たまたま近隣に越してまだ知り合いもいないし、なんだか面白そうだから参加してもいいですか?…とひょっこりやって来る人もいます。

近年この場所の知名度が上がるにつれ、世界各国からも、スモークサウナ準備の体験・勉強がしたい、と名乗り出てくる人や団体が増えました。実際、この数年私がThe Saunaの野田クラクションべべーさんと主宰しているフィンランドサウナツアーでは、毎年ここに参加者で立ち寄って一日お手伝いをする日を設けているし(ちゃんと熟練スタッフが手取り足取り火入れ作業を教えてくれる)、この夏は、文化人類学に造形の深いアメリカ人が旅の途中たまたまここに立ち寄ってすっかり埋没し(笑)、結局数週間住み込みで建造作業を手伝ってくれた…という珍例もありました。
形だけを残すのでなく、こうした現代人一人ひとりの実体験と感動が、伝統文化の継承につながる重要な鍵でもあるのです。

「ベベ&あやなと行くフィンランドサウナツアー」参加メンバーがサウナキュラの開村準備を一日体験。サウナ温めを手伝ったお礼に、敷地内の白樺で自由にヴィヒタ作り放題という特典が!

このように、来る者拒まず去る者追わず…を徹底していると、当然ながら毎回の顔ぶれは流動します。それでも毎回なんだかんだでちゃんと人が集って運営が成り立っていたし、人間味のあるコアメンバーたちの、愛のある指導と和やかな交流に魅せられてリピートしてくれる人も増えました。

ちなみにコアメンバーの間では、営業日の運営をこなすだけでなく、常にこの先の「村の発展」についても議論が重ねられます。議論と言っても、「これがあるといいよね」という炊き出しの合間のスモールトークから、すぐに誰かが手を動かし始め、事がどんどん進んでいくという感じです。まさに、本物の村興しや文明化の過程をリアルに見ているよう。もちろん予算がかかる作業には慎重になりますが、実際この1,2年で、サウナ村は一気にサウナ小屋も設備も増え、インフラが整い、文明化まっしぐら!そのうち「サウナ市」に改名が必要になるかもね…なんて冗談もよく言い合っています(笑)

私はこの国の公衆衛生パスを持っているので、人手不足のときは入浴受付係やカフェの売り子も手伝い、思いがけずフィン語での接客スキルも伸ばすことができました笑

【資金調達】とはいえ、村の存続・発展のためにはまだまだお金も必要で…

今夏無事に修復作業がおわ終わって火入れにこぎつけた16番サウナKorpelaは、日本サウナ・スパ協会のかつての寄付により完成。壁にはゴッドファザーとして名前が刻まれている

このように、運営面での人件費はタルコー頼みでどうにか回していますが、依然、修復作業自体にはお金がかかるし、来年度は新しいカフェ棟の建設なども予定しているので、資金調達は常に村の命題です。そのいっぽうで、現在取り付けている国の補助金は今年いっぱいで満期となるため、来年度はよりシビアに資金繰りに向き合っていかなければなりません。

現在、公的補助金以外で私たちの活動の財源となっているのは、

一人15ユーロ/回の入浴料
プライベート貸切料(シーズン外でも、貸し切りイベント用の温めには応じています!料金は温めるサウナに寄りますが1棟200ユーロ〜)
一口30ユーロの年パス会員費(労働力でなく金銭的に支援したい人向けの制度。さすがに安すぎますが…)
物販利益
ゴッドファーザー制度による寄付金

です。
ゴッドファーザー制は、日本では馴染みがないかもしれませんが、キリスト洗礼式での代父母(godfather/godmother)の慣習にあやかった制度。特定のサウナの移築修復に際して、もし必要経費の全額でなくともまとまった寄付金で積極支援してくれる個人や団体がいれば、その出資者をサウナの「ゴッドファーザー」に認定し、建物にも記念プレートをとりつけて敬意と感謝を評します。

何を隠そう、今年8月に修復の完成した最新の16番地サウナは、日本サウナ・スパ教会さんがゴットファーザー。この村の建設当初に、多額の寄付をしてくださっていたそうです。こんな形で日本とフィンランドのホームサウナとのつながりが感じられて、私もスタッフもとても感謝し喜んでいます。
そして、今後ももちろん、継続的に次なるサウナのゴットファーザーを募っておりますので、もしご興味のある方がいれば、ぜひ私までご連絡ください…!

だれかの花冠のわすれもの

そもそも集客に関しても、今年は本当にたくさんの日本人が、アクセスの悪い場所であるにも関わらず毎週のように足を運んでくださいました。シーズン中全20回ほどの営業日で、日本人客をまったく見なかった日はおそらくなかったし、多いと15名近くがやって来てくださる日も。きちんとカウントはできていませんが、延べ150名は今シーズン中に足を運んでくださったのではないでしょうか。本当に感謝しかありません…

嬉しいことに、全体の来場者数自体も去年よりずっと増加しています。さらに、この場所での体験や存在意義を感じて、金銭面・人件面さまざまな立場から、自分もサウナ村の活動に一役買いたい…と名乗りを上げてくださる人も、着実に増えています。そうしたありがたい声と支援を受け取りながら、今後も、この特殊な環境だからこそ可能な持続と発展の可能性を、メンバーとじっくり探って実現していければなと思っています。

【おまけ】サウナキュラ2024重大ニュース

サウナキュラの本年度の活動報告のシメに、今年のサウナ村の日常から、「重大ニュース」と呼べる(村の発展を裏付ける)出来事をいくつかピックアップしてご報告します!

①新たに2棟のサウナが完成し、稼働開始!

日本サウナ・スパ協会の寄付金で完成したKorpela(上)と、湖に飛び込みやすい好立地にお目見えしたKäkye(下)

今年は、2軒のヴィンテージ・サウナが無事に修復され、火入れされ始めました!どちらも、試運転はさせつつまだストーブの調整中で、先にできたKäkyeは、ひと夏かけて随分良い蒸気を出すいいサウナになってきたなと実感できます。実はもう2軒、目下建造作業が進められていますが…作業がまともに続けられるのは、雪が到来するまで。完成と積雪、どちらが早いかしら…

②井戸掘削に成功し、清らかな地下水が引けるように!

無色透明のおいしい水を好きなだけ浴びたり飲んだりできるようになったのは革命的!

今年、村の発展に大きく寄与したのは、なんといっても「地下水の利用開始」。これまで洗体やかけ湯用には、タンニンを多く含んだ赤みがかった湖水をせっせと運んで使っていたのですが、敷地内での井戸掘削によって出てきた無色透明の地下水は、無消毒でも問題なく飲めるお墨付きの清水だった!この水を各所に引っぱってきて利用できるようにしたので、作業自体も楽になったしクリーンな水をめいっぱい浴びたり飲んだりできて、快適性と幸福度が確実にアップしました。

③スタッフTシャツが完成!

もらったときに笑うしかなかった、このド直球センスよ…

タルコー常連メンバー用の、スタッフTシャツが爆誕!…うん、いかにもおっちゃんたちが持ちうるパソコン技術で作りましたといわんばかりのダs…(明言は避けます笑)とはいえ、ひと夏これ着て火入れや客案内してたら、意外と愛着も湧いてきてしまった(笑)火入れや建造技術だけじゃなく、デザインセンスに長けたタルコーがそのうち現れないかしらと期待しつつ。

④テント泊イベントも無事大盛況

サウナ小屋の狭間にいくつものテントが出現するゆユニークな一夜。深夜はほんのりオーロラも揺らめいていた

フィンランドでは8月最終週末が「自然の日」で、アウトドアや野外泊を推奨されるのですが、サウナキュラはこの日、全サウナを温めるのはもちろんのこと(なんなら翌朝もいくつか温め直す!)、なんと敷地内を一晩中全開放して誰でもテントで自由に寝泊まりしてOKという懐の深い恒例行事を開催します。希望者にはご飯も振る舞い、近隣農家から豚の丸焼き1頭分をオーダーしてみんなで取り分けるのが恒例(笑)
天気は不安定だったものの、今年も大盛況で、白夜の季節も終わってようやく暗闇が戻ってきた夜更けまで、サウナで暖を取ったり火を囲んでおしゃべりしたり…と、いつかの自然学校を思い出すようなエモい一夜をみんなで楽しみました。ちなみに私たちは、外が意外と寒かったので、予熱を持ったサウナの中でこっそり就寝。

⑤日本のサウナ王来訪で、スタッフが色めき立つ

現場監督イルッカ、言われるがままに人差し指を立てて嬉しそうに2ショット。この写真とともにFacebookページに投稿された「日本のサウナ王来訪!」ニュースは、過去最多いいねを獲得していた笑

9月に、日本のサウナ業界の皆さんならおなじみ、温浴業界コンサルタントのサウナ王こと太田広さんが、遠路はるばるサウナキュラを来訪!私自身も対談やイベントで日本では何度かお会いしていましたが、まさか自分のホームでこの人差し指を拝む日が来るなんて…と感激も一入です(笑)
このときの太田さんのフィンランド到来は、Japanin saunakuningas(フィンランド語で「日本のサウナ王」)がフィンランドを初訪問!と、まるでアラブの石油王を迎えるかのごとく大々的にメディアにまで取り上げられたので、スタッフたちも一体どんな王族がやってくるのかと来る前から興味津々w
サウナ王が「サウナ世界のディズニーランドだね」との感想をくれたと伝えたら、みんな大爆笑しつつもご満悦のようすでした!

⑥大事なタルコー仲間が、天国に逝く

亡くなるつい数日まで、変わらず元気にサウナを温めに来ていたOleg。働き者の奥さんの尻に敷かれつつも誰もが羨む愛妻家っぷりを発揮し、いつでも楽しそうに作業や雑談に明け暮れていた

最後だけは悲しい出来事ですが、この夏、私たちの大事なタルコーメンバーの一人であるウクライナ人のOlegが、突然天国に旅立ちました。ロシアの侵攻後に奥さんとヤムサに避難してきて以来、この数年ずっとご夫妻で毎週の作業に参加しながら、火入れだけでなく、村内にたくさん花や木を植えたりもしてくれていました。とにかく朗らかなムードメーカー的存在で、フィン語もめきめき上手くなっていたし、個人的にもいつもとても可愛がってもらっていたので、突然の訃報を聞いたときは言葉も出ませんでした。
地元のルーテル教会で特別にウクライナ正教のスタイルで葬儀を行い、遺骨は奥さんが陸路で2日かけてお国にそっと持ち帰りました。サウナキュラの入口には、彼が好きだったプラムの樹をみんなで植樹し、追悼しました。

今年もこうして、たくさんの皆さんのいろんな形での支援によって、Saunakyläは無事に閉村することができました。一度でも遊びに来てくださった方、寄付や労働力支援をしてくださった方、ほんとうにありがとうございました!!
来年以降も、この素敵な営みを継続していけるようにタルコーたちであれこれ企てているので、楽しみにしていてください。
それではまた来年!

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