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ジョージアაბანო旅① 温泉に惚れ込んだ国王によって建設された、首都トビリシ

ジョージアの温浴文化「アバノ」旅の出発点となるのは、やはりまず首都トビリシです。
首都名が公式的に「トビリシ(თბილისი / Tbilisi)」と定められたのは、ソ連時代の1937年以降のことで、古くはティフリス(ტფილისი / Tiflis)と呼ばれる街だったそうです。

温泉の治癒効果に魅せられた国王が開拓した首都

小高い丘や山に囲まれ、歴史的な建造物と奇抜な近代建築が共存するトビリシ市街

現在のトビリシが置かれる地は、古代すでにいくらか集落はあったものの、まだ大部分が深い森に覆われていて、イベリア国王が狩場にしていました(※6世紀ごろまでは、現ジョージアの大部分はイベリアという名の王国だった)。
そんなトビリシの街の開拓者として歴史に名を刻むのが、第32代国王のヴァフタング1世(439-502年?)。彼は、狩りの最中に自分が傷を追わせた鹿が、この地に滾々と湧き出ていた温泉で傷を癒やして再び逃げていったのを目撃し、温泉の治癒効果に感銘を受けたことから、この森を切り開いて現在の首都を建設した…という話が伝わっています(※狩りの伝説自体は諸説あり、王が撃ったキジが温泉に落ちて茹で上がって驚いたから…というアナザーストーリーも)。

実は、街の古名にある”Tfili”という語は、古ジョージア語で「温かい」という意味を持つそう。つまり、街の名前自体が、まさにこの首都の勃興エピソードを象徴していたのです。

絶壁の上にそびえるナリカラ要塞の麓に広がる温泉街、アバノツバニ

伝説の真偽はともかく、たしかに現トビリシは、ジョージア領土でもとりわけ鉱泉が集中した地域です。13世紀の歴史資料によれば、当時のトビリシではすでに65箇所も温泉・鉱泉が見つかっていたらしい!
もっとも、今日の「鉱泉」や「温泉」の定義が(温度・成分総量・指定成分の基準値の観点から)世界的にある程度統一化されたのは、1911年にドイツの名門バート・ナウハイム温泉で世界中の有識者を集めて開かれた「ナイハイム決議」の採択以降のことです。ですが、湧水温度が明らかに通常の水温より高かったり、なんらかの治癒・療養効果が認められる湧水は、古来必然的にただの地下水とは区別され、特別視されてきたのです。

とくにクラ川東岸に広がる旧市街の一角ナリカラ要塞の麓エリアは、立ち入ると私たち日本人が思わずニンマリしてしまう、かの「硫化水素臭」を強く漂わせる硫黄泉が湧き出ており、それがパイプラインを通じて、周辺施設へと縦横無尽に引かれています。一帯はいつしかアバノツバニ(აბანოთუბანი=浴場地区)と呼ばれるようになり、首都のオアシス的な温泉街として、長い歴史上、庶民にも国際的な要人にも親しまれてきました。

アバノツバニ内の、硫黄泉の源泉が流れる水路
中世期に造られた、温泉を温浴施設に引くための水路の遺構

ところでアバノの語源は?(引き続き、有識者の解説・見解求む!)

さて、リトアニアの蒸気浴文化Pirtis編でもかなり突っ込んで解説しましたが(こちら)、ローカル言語・語源オタクのわたしは、やはりまず、訪問国の「入浴」を表す言葉の語源が気になってしまいます。
では、ジョージア語のაბანო(アバノ)はどんなルーツと意味を持つ言葉なのでしょう?

正直に言うと、現地でもいろんな方に聞いてあたったり、資料を探しましたが、リトアニアのときのように説得力のある回答は得られず、(フィンランドにいる)私のジョージア語の情報収集力にも限界があって、いまだに確信の持てる回答に行き着けたとは言い難いです。
ただ少なくとも、オンライン上のいくつかのジョージア語源辞書、ジョージア語版ウィキペディア・ウィクショナリーなどを、翻訳ツールを駆使しつつ読み解いていくことで、およそ次のことが判明しました。

აბანო "abano"は、古ジョージア語(5世紀ごろに確立された、中世前期のジョージアにおける書記言語)にすでに存在していた古い言葉で、現代では、①浴場、②(治癒効果のある)天然の鉱泉水を指す。 >>出典

・ジョージア北西部に今日まで息づく、南コーカサス語族の希少言語(話し言葉のみ)のメグレル語ラズ語には"to wash oneself(洗体)"を意味する"bonua/obonu"という名詞があり、これが現ジョージア語や古ジョージア語の"abano"と同じルーツの語だと考えられる。 >>出典

・なお、abano・bonua・obonuのいずれも、古ジョージア語の祖語のひとつであるグルジア・ザン祖語の”-ban”という韻に由来すると考えられる("abano"は、banにa-oの接周辞がついている?)。 >>出典
※ただし、-banという韻の意味やルーツまでは調べられず。

・いっぽう、今日のジョージア語で「浴槽、バスタブ」を意味する語に、アバノとの類似性を感じさせるაბაზანა(abazana/アバザナ)という語もあるが、これは、イランから入ってきた「浴槽」を意味するペルシャ語のآبزن(âbzan/アブザン)が語源とされている。なお、太い丸太をくり抜いて作った、家畜の牛たちに水を飲ませたり水浴びさせるための水槽を意味するジョージア語ავაზანი(avazani/アヴァザニ)も、語源が同じ二重語だと考えられる。 >>出典

…と、集められた情報はかなり断片的なのですが、それでもここから、いくつかの興味深い気づきや推測が生まれます。

ひとつは、関連語のルーツだとされるグルジア・ザン祖語にせよ、ペルシャ語にせよ、ここでもやっぱり-ba/-banという韻が入っているということ。
この記事で引用したように、西洋のほぼあらゆる言語において「入浴」や「浴場」を表す語は、紀元前8世紀ごろ(!)成立したとされる、古代ギリシャ語の「βαλανεῖον(balaneîon)=入浴」という語をルーツに持つ、"-ba/-ban"の韻に縛られた語ばかりなのです。(裏を返せば、リトアニアのPirtisやフィンランドのSaunaは希少な例外であり、そこに入浴文化に対する観念の独自性や歴史の古さがうかがえるとも言える)。
ちなみにペルシャ語はインド・ヨーロッパ語族ですが、ジョージア語はそれとは袂を分かつ南コーカサス語族。とはいえ、両語族圏は近接しているので、影響を受けていてもおかしくありません。「入浴」の語彙が、響き似ているからといって安易に同ルーツに集約されるか否かまでは調べきれていませんが、その可能性は十分にあるのかなと想像されます。

シリーズ記事の後半でいろいろ紹介する予定だが、ジョージア各地には本当にさまざまな時代の「浴槽」の遺構が残っている

もうひとつは、「浴槽」という言葉がジョージアの入浴文化を象徴する古語として古来流入・定着していたという事実です。浴槽と言えば温水浴や沐浴。すなわち、やはりこの国の入浴スタイルの主流は蒸気浴ではなく「浴槽で水/湯に浸かる」行為だったことの裏付けと言えるのではないでしょうか。

いずれにしても、語源の考察は、素人がまったく得体の知れない表記のジョージア語やペルシャ語を相手にする限り限界があるので、もしお詳しい方がいたら、ぜひ見解をご教授いただきたいです!

温泉街の浴場施設には、他のジョージア建築とは一線を画す異国情緒が…

アバノツバニに残る歴史的な浴場建築は、どこかイスラミックなドーム天井が目立つ

トビリシの歴史的温泉街、アバノツバニの浴場施設に話を戻すと、今日の界隈には、観光客やちょっとした非日常を求める市民・国民のためのやや豪華なスパ施設や、ゲストハウス付きの温泉宿庶民的な公衆浴場まで、さまざまな入浴施設が密集しています。

ですがとりわけ区画の中心で目を引くのは、レンガ造りの大小様々なドーム天井が連なる光景。このドーム一つ一つの下に、浴槽をもった仕切られた空間があるようなのですが、これらはあくまで歴史的な保存建築のようで、内部には立ち入れず。ただこの外観がどうも、トビリシの他の街並みの中を歩いていて目にする「ジョージアらしい建築や街並み」とは確実の趣の異なる、異質な雰囲気を醸しています。
端的に言えば、どちらかといえばこれはイスラム建築の延長ではないか…?という異国情緒を感じるのです(※ジョージアは、4世紀から国教をキリスト教に定めてきた世界有数の歴史あるキリスト教国で、今日も人口のほとんどが正教会の信者)。

もし、この直感的な「イスラミック情緒」が当たっているならば、じゃあもしかしてアバノ文化はイスラム教国の蒸気浴文化ハマムの影響を受けているのか?いやでもここは宗教自体も違うし、そもそも蒸気浴じゃないし…

次回予告。

まずはジョージアの入浴文化のメッカ的界隈にたどり着き、早速そんな「?」をいくつも頭に浮かばせながら、私のアバノ旅はスタートしました(この疑問は、シリーズの後半に、地元の専門家と国内を巡った旅を経て少しずつ答えが見えてくるのでお楽しみに!)。

次回は、実際にこのアバノツバニの名物公衆浴場に入って目の当たりにした、ジョージアの大衆入浴文化の風情と、とりわけそこで印象に残っている、女性客たちのユニークな振る舞いの数々を体験記としてご紹介します!



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