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泣きたい気持ちを、痛みにすり替える自分も愛したい。

喉に込み上げるこのをぐっとおさえて、涙がこぼれ落ちないように上を向いて堪える夜も、私には無駄じゃないと思いたい。
泣きたい気持ちを、頬を打って痛みにすり替える自分も愛したい。

自分の愛し方は知っている。自分に愛されることも知っている。
でも、それが他者になったときにどうすればいいか分からなくなる。

過去のことを思い出した時に、自暴自棄にならなくなった。
その気持ちから逃げて、他の手段で発散する衝動がなくなった。
この2年の大きな収穫。

もしかしたら、今はその感情の処理の仕方を知ったのかもしれないし、受け入れられるようになったのかもしれない。
当時は、自分にはまだ処理できなかったのかもしれない。

色々な感情を時間をかけて解放してきたけど、愛着障害はそう簡単にはいかない。
とはいえ、2年間と比較して、愛着障害の影響を自覚した時に、それについて諦めの感情を抱かなくなった。むしろ、とても客観的に見るようになったし、悲観的な感情に持っていかなくなった。自分の感情の動きを観察して、こらえられるようになった。

たくさんの人の出会いが、私を愛し、私を幸せにしてくれた。
この人たちに支えられて生きていると感じたことが何度もあった。
そのどうしようもなく温かい気持ちは私の心を和らげてくれた。
だから、上記のような変化が自分の中にも生まれた。

とはいえ、根本的な解決が望めるわけではない。
愛着障害との戦いは続くのである。

よくわかんないけど、こういう時はAimerの曲が聴きたくなる。
子守唄みたいで。

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