生物の奥深さ〜「進化とはなんだろうか」〜
生物はまったく不思議で面白いものだとつくづく思う。
高校の時に生物選択だったが、生物には物理のような規則性はある程度しかなく、たくさんの例外が存在する。その例外に当時は辟易したものだ。生物よ、もっと分かりやすくあれよ、と。
生物は暗記科目だとよく言われるが、それは高校生物だからだろう。
満遍なくやろうとすると、断片的にまとめるしかない。その結果、ストーリー性や歴史性のようなものの優先度が下がり、高校生時代の人間の目の前には現れにくくなってしまう。
この本で取り上げられている生物の適応と自然淘汰は、高校の教科書ではあまり語られない。
しかし、生物を理解する上で重要なエッセンスがここにはあり、適応と自然淘汰を理解することで、生物が暗記科目ではなくなるかもしれない。
そんなことを著者の長谷川さんは言っていた。
適応と自然淘汰
生物は、連綿と続くその生命の中で、進化をしてきた。
その進化とは、進歩ではなく適応であり、各々の生物が各々の環境にマッチして生存してきた結果である。生物とは本当によくできていると思う。
「キリンの首が長いのはなぜか」という問いを聞いたことがあるかもしれない。
よくクイズ番組で見るかもしれない。
キリンの首が長い理由は、より首が長い個体が生存に有利で、短い個体は淘汰されて遺伝子的に残らなかったから、というのが正しめな理由ではあるが、よく、頑張って首を伸ばしたら伸びていったという説明が信じられることがある。
後者の考えはラマルクが著した考えで、獲得形質が遺伝するという考えに基づいたものだが、今ではそれが間違いだということになっている。
もし獲得形質が遺伝することになってしまったら、父親が筋トレをしてマッチョになれば、子も必ずマッチョであるという考えが成り立ってしまう。必ずしもそうではなかろう。
このように、自然淘汰というのは、生存に不利な個体は淘汰されてしまうというものである。これにより、より環境に適応できる個体が生き延びて遺伝子を残していった結果、地球上には様々な特徴を持った生物が棲息している。
生き物のみごとな共生関係〜ドードーとタンバロコックの木〜
なかなか興味深かった事例をいくつか記しておきたい。
ひとつめは、モーリシャス島にあるタンバロコックの木と呼ばれるアカテツ科の植物について。
この木は、どういうわけか、樹齢300年以上の老木しか見つかっていない。つまり、ここ数百年は新しい木が芽生えてないのである。
なお、この木は実はつけるのだが、この木の実は硬い殻に入っており、実が落ちただけでは発芽しないそう。
何が起きているかというと、これにはドードーという鳥が関係している。
ドードーはかつてモーリシャス島に棲息していた大きめの鳥であり、17世紀後半には人間の手によって絶滅してしまった。
タンバロコックの実は、ドードーに食べられて、おなかを通過して初めて発芽ができるという仕組みになっていたのだ。
このようにして、相手あってこその生存戦略をもっている植物もいる。
性差はなぜあるのか?〜繁殖とは別の理由〜
繁殖をすることは、性差があることに関係ない。
なぜなら、雄と雌が存在しなければ子孫が生まれない、というのは間違いだからだ。
例えば、ギンブナという魚は、すべて雌だけで雄がいないそうだ。
ギンブナの雌は卵を産むが、その卵はそれだけで発生できず、精子を必要とする。しかし、精子が必要とはいえ受精するわけではなく、刺激が必要なだけなのである。そこで、ギンブナは他の種類のフナの雄たちと交尾して卵に刺激を与える。なお、最終的にその精子は捨てられてしまい、ギンブナの未受精の卵から子が発生する。
それではなぜ性別による違いが生まれるのか?
形質だけでなく、成長速度や行動、寿命の違いなどがあるのは、ヒトを見てもわかるだろう。
これは自然淘汰の考えだけでは説明できず、ダーウィンは新たに性淘汰の考えを提唱した。繁殖のチャンスをめぐる競争によって生じる淘汰のことである。
動物で、綺麗な見た目は強そうな角を持つのは雄という印象があるだろう。
それは、持っていた方が繁殖チャンスが高くなるからである。生存に必要とされる以上のエネルギーを使ってその見た目を持つのは、生存に圧倒的に有利だとされているからである。
しかし、これも必ずしも雄の方が派手な見た目を持っているわけではない。
例えば、タマシギという鳥は雄親のみが抱卵し、ヒナを育てる。そうなると、雄が子育てを終えるより早く雌が次の卵を用意できるようになるので、雌が生存のために競争するようになり、雌が競争に有利な形質を獲得する(実効性比という考え方がある)。
動物生態学の講義が始まりました
私たちがヒトの世界だけで生きて「当たり前だ」と思っていることが、広く生物を見渡すと大してそうではないことに気づく。
動物も植物も、大きなメカニズムの中で互いに影響しあって生命を繋いでいる。
ヒト社会の外に目を向けて、我々も自然の一部なのだという感覚を忘れずに生きていきたい。
この本は12月から始まった動物生態学の講義の推薦書なので早速読んでみた。
これから2~3ヶ月、この内容を噛み砕いていくと考えると、とっても楽しみになる。
「進化とはなんだろうか」長谷川眞理子(1999)