唐突にめっちゃ授業休みたくなったから、ちゃんと休むことにした
しばきたくなってる方、まあまあ落ち着け、理屈があるんだ
わたしは自他ともに認める真面目で責任感強くて曲がったことが大嫌いな人間なので、サボることは良心が許さない。だから、授業は基本的に、ちゃんと、出る。
まあなんか、後段は当たり前の(とされている)こと言ってますね。
サボる、怠ける、楽に流れる人は同じページにいないものとして見る節があって、
それらの「行動」が好かないのではなく、根っこにある「思考停止」と相容れない性質。
「ダルいから休む」のそのダルいってなに?って思うし、楽した先の自分に何がもたらされるの?って思っちゃう。
でも、これには私なりの抜け道があって、「能動的」という形容詞がつけばOKなのね。なんでかって、それは、考えの上にあるから。
「能動的にサボる」「能動的に怠ける」「あえて楽に流れてみる」
これはね、最高の人生だと思うんですよ。
そんなわたしがね、「唐突に授業を休みたくなった」んです。
そんなんちゃんと休むしかないでしょう。
そういうことです。
ちなみに後ろめたさ0%なので、そういうことです。
※体調が悪くて物理的に「ダルい」時はさっさと体温めて布団に入って全てを忘れて死ぬほど寝続けましょう。
さて、これにちゃんと自分なりの哲学がくっついてくるんだから私は話が長いと言われるんだ
自分の気持ちを必ず無視せず、必ず正直に生きられている人って、意識的にも無意識的にもこの世にどのくらいいるんでしょうかね。
そういう人が周りに1人いたら良い方、くらいの、そんな社会になっているのではないかと思って仕方のない人生です。
希望ってなんでしょうね。
「自分が自分の中で本当に思っていること」や、「自分が本当は言いたいこと」「本当はやりたいこと」のような無数の「本当の」を抱えながら現代人は生きている、私にはそう見えて仕方がない。
それもそのはず、「今からなんでも好きなことしていいよ」って言われて体も脳も固まってしまう大人の多いこと。
ここは、何年もかけて、知らぬ間に「本当の」の扱い方を剥がされて来た人たちがたくさんいるところ。「社会」と聞いて浮かぶイメージってそうじゃないですか?私はそうですが。
また、その「本当の」に、大きな大人になるまで気づかずに自分も周りもたくさん傷つけ、大きな大人になってからやっと気づいて「ああ、もっと若いうちに気づいておけば」と思う人間の多いこと。その人生って、いったい今まで誰のものだったんでしょうね。自分のこと、好きですか?
わたしは、ぜっっったいに、そんな人間になりたくない。
これだけは言える。
時間をかけて自分の「本当の」にふたをして、知らないうちに自分のこともわからなくなって、ありもしない将来に手だけを合わせる幽霊のように生きる人になるなんてまっぴらごめんだ。
なーんて偉そうに言ってるけど、休学前の自分はぽわぽわになっちまってたからなー。取り戻すのに2年かかったよ。
まあなんだ、多分この怒りの矛先が謎に今noteに向いてしまっただけで、向けるべきは「就活」という虚像のようなもので、やっぱりわたしはその辺の会社に就職じゃねーってことだな。
Collige, virgo, rosas
妥協と保守がきらいなんで、やっぱり妥協なんてしてられないとおもいました。
授業休んで正解だったな、講義受けたいや
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