
1.11 昭和名人十二撰

たぶん、いま、こんなことをしゃべっている。か、あがってしまって、まったくちがうはなしをしている、か。ここ数年──どころか十数年にわたって、落語家として落語を好きではあっても、あのころのように落語にはなかなかふれていなかったような気がする。あのころというのは、つまり、落語家になる前の、落語好きの少年時代のこと。考えてみると、落語家は落語好きとして客席にいた時間は、客席側のみなさんより短かったりする。が、そもそも、落語家になろうというその情熱の原動力と熱源は、ただ「落語が好き」ということだったはずで、もちろん、ただ好きなのと、落語家になるというのは、近いようで遠いというよりも、まったく異質のものでもある。落語界に足を踏み入れてからも、その落語少年としての原動力をかきたててくれる感動はもちろん少なくなかったし、わたしはそんな感覚を忘れないようにしてきた。つまりは、悪く言えば素人っぽさ。でも、その感動を覚えたような師匠方は、残念ながら、もう、いない。まったくいないわけではないが、早晩いなくなる。あたりまえのはなしだが。
憧れの先輩たちとはまたちがう、そんな師匠方の落語に今一度ふれようというのが、今年の日本橋つかさの会の昭和名人十二撰だ。初回となる正月は三代目桂三木助、先師の実父。二月が二代目三遊亭円歌、大師匠圓歌のそのまた師匠。三月が五代目柳家小さん、こちらは先師の師匠だから、やはり大師匠。いずれも、わたしに大き黒影響をあたえた先人たちからはじまりです。
では、日本橋で。
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