東京残香_神南
***失われていく街の香りを、物語の印象として記す試み****
東京残香 渋谷区神南
_梔子_
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人のつぶつぶが集団になって、固まったり、ばらけたり、すごいスピードで流れていく。この大通りは太い血管ね。
信号が変わったスクランブル交差点を越えて、ビルの陰に入る。
だんだん細く狭く、曲がりくねった坂では、ぶつからないようにすれ違うために皆ゆっくりになる。ここは、まるで毛細血管ね。
車の流れに翻弄されて、通りで立ち往生している赤血球。
光と風を遮るコンクリートとガラスがこの街の筋肉であり骨格である。
モザイク状に脈絡のない色が散った空間に、溢れた広告文字。たくさんの細胞。
大きく、小さく、あらゆる音の氾濫。地下鉄の振動。
午後の理科の授業は視聴覚室で、まるでこの街とそっくりな、人体の中のアニメーションを見た。
ビジョンは血管のさらに奥へと進む。
混雑する血管の中をスムーズに流れていく私。
そんなデジャブのような想像は、突然の救急車のサイレンに容赦なく破られた。ピッチを変えながら過ぎていく音を背に、自転車の車体を右に左に揺らしながら、立漕ぎで消防署の脇の坂を上がる。
こんな、ごちゃごちゃの街の中に、白い木枠が縁どる窓。
レンガブロックの壁。
まるで、子供の頃、絵本で見た家にそっくりだった。
この一角だけ、渋谷ではないみたい。いや、日本ではないみたい。
若葉を増した向いの公園の欅が、オレンジ色のブロックでできた外壁に揺れる影を落とす。
この光景を見るたびに、これから始まる練習のきつさを思いながらも、何か、素敵な物語の中に飛び込むようで、胸が高鳴る。
バレエスタジオの入り口には、もういくつかの自転車が並んでいる。ペンギンのマスコットが付いたチェーンロックの自転車はユキのもの。もう皆来ている。
生田バレエスタジオ。
ここが私の、いるべき場所。
毎週木曜日の放課後だけは、後ろ髪引かれつつもおしゃべりを続けるクラスメートたちに手を振り、急ぎ足で家に帰る。教科書やノートが入ったショルダーバッグを自分の部屋の床に放り出すと、レオタードに着替え、その上からTシャツを被り、ジーンズを履く。
Tシャツはブラーのアルバムの先行予約特典だったものを、もう何年もずっと着ている。
洗濯を繰り返した生地はとても柔らかくなっている。
LLサイズのリュックにシューズとタオルを入れたら、キッチンで冷蔵庫の麦茶を水筒に注ぐ。ついでに冷蔵庫にあったアーモンドチョコバーを半分折って口に入れた。
アーモンドを噛み砕くと香ばしさとチョコレートの甘味で幸福感が増す。
自転車に乗って、住宅街を抜けて渋谷の谷へ下る。
このごろ油を射していないから、ペダルを漕ぐたびにチェーンが錆びた音がする。人混みの中を過ぎバス通りを進むと、消防署の前の最後の坂は自転車で上るにはきつすぎて、降りて押せば、歩くのと大して変わらない時間がかかる。
でも、帰りは逆で、両足を伸ばし、坂を車輪で転げ降りるだけだから、私はバスは使わない。
木でできた厚い扉を開けて建物に入ると、この教室の香りを吸い込む。
大きなアロマキャンドルの炎がエントランスフロアの奥で揺れている。いつもここから、この場所だけの香りがしている。
沢山の脚を支え、汗を吸い取ってきた木の床。
開け放たれた天窓から聞こえる鳥の声。
幅の広い階段を、爪先で2階に上る。
支度室で着替え、シューズを履いてると、サティのジムノペディが聞こえてくる。スタジオの床に置かれたスピーカーからはまず流されるのは、ストレッチの時間を意味する曲。
鏡に映る真っ白なタイツ。小さなシニヨン。子猫のようなしなやかさで動く腕や脚。
レオタード姿がバーに沿って並ぶ列の隙間に、滑り込むように駆け寄ってバーにしがみつく。
「おっす。」
先にストレッチを始めていたユキが返す。
「おっす。」
窓の外からサラサラと欅の若芽が揺れる音。そこに耳を傾けると、馨しい香りがした。
毎年、こんな季節に香る気がする。毎年、それが少し懐かしい。一体何の香り?
「よろしくお願いしまあす。」
90分間のレッスンが始まる。黒いレオタードにペパーミントグリーンのカーディガンを着た真由美先生がまっすぐに伸びた脚からゆっくりと腰を折り、お辞儀をする。
真由美先生は、お母さんよりも、もっと大人に見える。きっと年齢も上なのかもしれない。
けれど、背筋の伸びた、その細い姿は、お母さんでも、おばさんでも、おばあさんでもない。学校の先生とも全然違う。同じ大人の女の人なのだけれど、一体何が違うのだろう。
「仁那、もう少し足先を前。もうちょっと伸ばしてみよう。そう。」
ふう、と息を吐く。そうすると、もうこれ以上は伸びない、と思った身体がまだまだ伸びた。先生の言葉は、魔法のようだ。
私が入るレッスンは小学校高学年のクラス。6人。
鏡に映る、6人が揃ったポーズ姿は鉛筆でノートに引いた線のよう。
強すぎる昼間の陽射しが落ちていくと、次第に、スタジオの窓の外にはブルーの世界が広がる。
振付のピアノ曲に交じって聞こえる遠くのサイレン。
窓からふっと流れ込んだ風が汗を冷やした。
でも、春先の、身体が芯から冷えた重く乾いた空気はもうない。指先に感じるこれは初夏の空気。
外の街の明かりが輝きだして見える。
粒粒の宝石。
教室の床の影が誰のものか分からなくなる頃、どこからか伸びた手が、壁際の照明のスイッチが押す。
フロアに暖色の明かりが広がった。
教室内の照明は、学校の教室の白色蛍光灯ではないこの窓辺の隅のフロアライトのみだ。
拡大された影が壁で踊る。
このスタジオで蛍光灯を使わないのは、光に向かって蚊や蛾が飛んでくるのを防ぐためなのだと、昔誰かが言っていた。
それでも昨年の夏だったか、夜に蝉がジージー大声で鳴きながら照明に向かってぶつかってきたときは、皆の悲鳴が上がった。
6人がまたバーに並んで揃い集まる。
終りのストレッチの曲もサティ。
「ありがとうございましたあ。」
先生に頭を下げる。
「バイバイ、またね。」
建物の脇の自転車置き場では入れ代わり、高校生や社会人のレッスン生が来て、大人用の自転車を停める。立ち話に笑い声が混じる。
心地よい疲れと空腹。自転車の車輪から鍵を外して帰るこの時が好き。
山手線の線路の上だけは建物が無くて、ビルより高い藍色の空が広がる。
滲むように散った街の光。
冬だと、この時間はもう真っ暗で寒くて、夏ならまだ明るすぎて暑すぎる。
だから、夕方のブルーを残した空が夜空に変わるところを感じられる、この一瞬の季節が好き。
ほつれたシニヨンが風に揺れ襟足をくすぐる。
7月に入った、はじめの週。
木曜日、いつものように息を切らして辿り着いたバレエスタジオの前で、向かいの公園で、今年初めて鳴く蝉の声を聞いた。
学校では今日、分厚い夏休みの宿題のファイルが渡された。いや~、こんなにたくさん宿題あるの、と眉をひそめながらも、クラスメートは夏休みを前にする興奮を隠しきれない。
実際の夏休みの中よりも、これから始まる夏休み想像して予定を練っている今が一番楽しい。
休みになったら、夜は、いつもの自分の部屋で寝るのではなく、庭にテントを張って、ひとりでキャンプをするの。ランタンや花火も用意して。
その日のレッスン、真由美先生は誰かと言葉を交わしながら2階のスタジオフロアへの階段を上がって来た。
その普段と違う声に気付いた皆の視線がフロアの入口に集まる。
先生と一緒に階段を上がってきたのは、柔らかに揺れる髪を一つに束ねた、白いシャツとブルーのパンツのルエット。バレエシューズの足元。
その人の輪郭には、光が漂っているように見えた。
まるで光がその人を包んでいるように見える。
私たちレッスン生の目は、彼女にくぎ付けになり、言葉を失った。視線が固まったままのユキの口は小さく開いて閉まらない。
「紹介します。こちらは山城理沙さんです。」
今年の春から奨学金でイギリスにバレエ留学しているというこの生田バレエスタジオの卒業生で、6つ上の先輩にあたる、と真由美先生が説明してくれる。
続いて、挨拶をした理沙さんの声は、決して強くはないけれど、何処までも届く声だった。
「山城理沙です。今日は皆さんのレッスンをアシストさせてもらいます。よろしくお願いします。」
ぺこり、ぺこりと頭が下がる。
「よろしくお願いします。」
ばらばらと、でもしっかりと皆が返事を返した。
理沙さんはイギリスのバレエ団が夏休暇の間、一時帰国していて、今日は先生を訪ねてこのスタジオに寄って、基礎練習をしていたという。
「今日は、理沙さんもレッスンを見てもらうので、そうね、今度の発表会の、序章の曲の振り付けを練習しましょう。せっかくだし。」
基礎練習が始まった。
私の前でバーに掴まっているユキが、腕と指先を理沙さんに直してもらっている。緊張しているのか、ユキの耳が赤くなっていくのが後ろから見ていても分かった。しばらくその様子に目が行っていると、いつのまにか鏡に映る自分の後ろに、理沙さんがいた。
「そう、できてる。肘もうちょっと内側、そう。」
その声は、やはり、囁くように微かで、けれど空気に流れるように透んでいた。
こんな声を、私はこれまで聞いたことが無かった。
その日のレッスンは、真由美先生と理沙さんへのあいさつで終わった。
「もうさすがに冷房が必要ね。」
流れる汗を拭きながらタオルで仰ぎ合っている私たちを見て先生はそう言った。
氷の音をさせながら水筒から麦茶を飲む。
ふと、理沙さんを見た。まるで暑さを感じていないかのようで、汗をかいていない。
そうだ、理沙さんが私の後ろに立った時、あの香りがした気がする。
前に、この教室の窓から吹き込んで来たあの風のような香り。何かの、花の香りなのか。
「ねえ、仁那ちゃん、あれ、みて。」
ユキが私の耳元で言う。
「え、」
「手。」
「あ。」
私も気が付いた。理沙さんのあの白い手の甲に見えるあの色は、一体何だろう。
キャンディー?ビー玉?ゼリー?まさか。
え、指輪?
「ゆ、び、わ?」
ユキがつぶやいた。
でも、私はそんな指輪を見たことは無かった。
うちのお母さんがいつもしているのは金色の細い輪っかの指輪。そう、指輪物語の映画で見たようなやつ。
石が付いているものをしている時もあるけれど、それは小さな緑色の石が爪に掴まれている指輪だった。
でも、理沙さんの手の甲に乗っている指輪は違った。
赤、というにはちょっと色が違って、ラベンダー色、ラズベリー色、ザクロ色?いちごゼリーでしか見たことがないような美しい透明。
帰り際、教室の入り口で何となく理沙さんの近くに集まっていた私たちが珍しそうな視線を送っているのを、理沙さんは気付いて、笑った。
「ああ、これはね、これはカボションリングっていうの。」
そう言って手を近くに見せてくれた。
指輪型のキャンディというか、おしゃぶり指輪、というか、赤や青や緑のジュエルリングを想い出した。
初めて見る指輪だった。
ルパン3世が峰不二子のために大富豪の隠し金庫から奪った宝石箱の中から零れる宝の中にはこんな宝石があった。お母さんのしているような指輪ではなくて。
石の中を明るい光が通り抜けるのを見て、何とも言えない、ただただ、その色の付いた光はとても幸福な感じがした。
ドアが開けっぱなしの寝室を覗くと、お風呂から上がったお母さんは、鏡台に向かって、顔から首へと美容クリームを丁寧に塗り延ばしている。その脇に、ジュエリーボックスがある。
ジュエリーボックスには決して触ってはいけないとは、小さなころからきつく言われていた。私はもう、忘れていてあまり覚えていないんだけれど、幼稚園の頃に、真珠のネックレスを腰に巻き付けて遊んでいるうち糸を切ってしまって真珠の粒が部屋の隅々まで飛び散って大変だったことがあったみたい。
お母さんの背中に声をかける。
「ねえ、ねえお母さん、指輪、どんな指輪もってるの?みせて。」
「え、指輪?なんで?」
「ジュエリーボックスの中にさ、指輪ってどんなのがあるのかなと思って。」
「それは、いろいろあるわよ。」
そう言って自慢気に開けてくれたジュエリーボックスの中には、金や銀や、ピンクがかった金や、いろんな輝く指輪やネックレス、イヤリングがごちゃごちゃと詰まっていた。
食い入るように覗き込んでみたけれど、あの指輪、理沙さんの手にあった、大きな石がついた指輪は、やっぱり見当たらない。
キャンディ―のような、イチゴゼリーのような、あんな石のついた指輪。
「そんなに指輪みて、何するの?」
パックをしたお母さんはふざけたお化けのような顔。
「何って、あのさあ、私がしてもいい指輪、ないかなあ。」
「指輪なんてどうするの?どこかにしていくの?仁那がおしゃれするにしても、まだ指輪は早いと思うし、第一、指輪が大きすぎて仁那の指からはすぐ抜けちゃうんじゃないかしら。小さいからどこかに落としたら無くなっちゃうし、困るわ。ああ、じゃあ、そうだ。恵美ちゃんがこの前ハワイのお土産でくれた、貝の指輪があるから。それなら。」
お母さんはジュエリーボックスの中から白い指輪を取り出した。真珠光沢のある巻貝を削りだした指輪だ。恵美叔母さんのハワイ旅行のお土産。色も形も理沙さんの指輪とは違うけれど、手に比べて大きく目立つところだけは似ている。
「あ、これ、欲しい。欲しいなあ。ねえ、これ、ちょっと貸して、ていうかほしいな。貰ってもいい?」
少し考えたお母さんは、一息ついてから言った。
「いいけど、それも一応大事な指輪なのよ。失くしたりしないでね。大事にするって約束できるなら、持って行ってもいいわ。」
「失くさない。大事にするから。」
私の指には指輪のサイズが大きすぎ、一番太く長そうな中指にしてもぐるぐると巻貝の渦巻が周ってしまう指輪。
それでも、その真珠光沢を見ているうちに、
夏休みを前に、行く予定もない砂浜や海、パラソル、その下に広げられるギンガムチェックのピクニックシートのことを想った。
初めて指輪をしたことが嬉しくて、それを嵌めたままベッドでいつしか眠っていた。
その夜、夢の中に現れたその海辺の風景にいたのは、理沙さんだった。外国の海の色。私の知らない世界を知っている。踊りもすごく上手。なぜか、白い砂の上で、理沙さんが踊っている。
あのピンクの光を通す指輪をして。
その踊りを見てドキドキした。
砂浜のパラソルの下には、誰かもう一人いる。知らない男の人が、背中を向けて座っている。理沙さんが踊るのを見ている。
誰だろう。
翌日、大きな指輪を付けて、映画館に行った。
ちょっとよく分からない外国の映画。けれどその海辺の映像はとても美しかった。
なぜ、世界を繋いでいるはずの同じ海なのに、日本で見る海と、外国の海は違うのだろう。
沖縄に行った時ですら、あの白い砂浜も日本の海であることは感じられた。
映画は美しい姉妹の話だった。
ひとりっ子の私は、ずっとお姉さんが欲しかった。
でも、お姉さんというものがどんなものなのかは、正直なところあまりよく分からなかった。
2人もお姉さんがいるユキに、羨ましい、と話したら、
「何言ってるの、姉ちゃんなんか絶対いやだよ。姉ちゃんじゃなくて私は弟が欲しいよ。」
ユキはその日、お姉さんに読みかけの漫画を取られ喧嘩になったのだと言い、とても悔しがっていた。そしていつも姉が着なくなった数年前の服をお下がりで着るばかりで、自分だけ新しい服を買ってもらえないのも不満らしい。お姉さんがいるというのも、大変なのだろうか。
私の中のお姉さんのイメージ、それは多分、理沙さん。
理沙さんも、もしも私のお姉さんだったら、もしかすると私が読みかけの漫画を取ったりするのだろうか。
いや、理沙さんはそんなんじゃない。
長く続くフェンスに見事に薔薇の蔦を這わせたお家がある。いつもおじさんが手入れをしている。この季節は黄色や赤や白の大輪の薔薇の花が通学路に清々しい香りを漂わせていて、そこに鼻を近づけて歩くのが好き。時々、花の真ん中にいるカナブンに遭遇して飛び退いてしまうけれど。
今日も花開いた薔薇の香りを吸い込みながら歩いていて、ふと、辺りを見回した。
「あ、あの香り。」
この季節だけ、レッスンスタジオの窓の外から香る香り。
そして、理沙さんからも同じ香りがした。
香りの元を探して、植え込みに顔を突っ込みながら、ようやく見つけた。
白い、風車のような花びらが香っている。
梔子だ。
理沙さんを生田バレエスタジオで見ることは、もうなかった。たった一度しか、ほんの少ししか会わなかった人なのに、彼女の姿は頭から離れることは無かった。あの声、あの香り、それから、あの美しい石。
何かが始まる夏の予感とともに、決して私の手が届かない永遠の憧れというものを、初めて強く胸に刻んだ。
何をどれほど積み上げたのか、もう自分でも分からない程大人になっていた。生活も、考えも、身体も、渋谷を忘れ、生田バレエスタジオはクローズしたと風の便りに聞いた。
渋谷も、今では私が知る街とは全く別の都市になっている。
その年、私は20歳の誕生日をベルギーで迎えていた。
禅僧の修行のようにも思える毎日のレッスンや公演リハーサルも、自分よりも若い新人の子たちがバレエ団に入ってくるのを迎えて、自分がなんとかここまでは踊ることを継続できていること、その点においてのみ自信が持てるようになった。
グラスに活けた梔子の枝には、今にも綻びそうな大きな蕾が付いている。
静謐、というのは、この蕾の白さを表すための言葉のように思えた。
水換えを終えたばかりのそのグラスを窓辺に置いた手に、赤紫のルベライトのカボションリングが嵌められている。
バレエ団の今度のシーズン公演の配役で、初めて準主役になることが決まった。
そのお祝いに、と、このクチナシのブーケとともに、昨晩恋人から贈られた指輪だった。
ある日、いつものバレエレッスンでピアノ伴奏する奏者が流行病で不在になった。臨時の奏者として入って来た彼を、何故か昔から知っていたような気がした。
彼も、ベルギーに留学しプロのピアノ奏者になろうとしていた。
クチナシを活けたグラスの横のトレイには、白い光を纏った真珠貝の指輪が載せられている。
綻びかけた梔子の蕾の香りを吸い込むと、触れられそうで触れられない、何かとても大切なことがあるのだけれど、それが何なのか、分からない。どこかに置き忘れてきたような、記憶。けれどそれが果たして現実の記憶なのかどうか、思い出せない。ただその記憶の断片のようなものは、きっと自分の中に大切にしまわれている宝物なのだと思う。
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