白金

東京残香_I.白金台

東京残香_I.白金台  

Roseotto ローズオットー (ブルガリア産):調香原料

その街に固有で、他の街にはない雰囲気。その独特の匂いが失われていく。止まらない東京均質化は複雑な人間の感覚を無いものとする。コストという尺度で繰り広げられる、貧しくもない、豊かでもない、無味無臭の物欲文化は不可逆的に進んでいる。「東京残香」は消えていくその街の香り描き残す試み。

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白金台は自然教育園の緑や幾つかの大学があることもあり、東京の中にあっても独特の雰囲気を失わずに留めていた場所だった。しかし、そこですら東京均質化による侵食を免れないようだ。白金台の最たる力であった”医”の力がこの10年で消えた。医術に長けた者は去ってしまったか、去ろうとしている。治りたいと願い祈る力こそが治療、医であり、癒えることを望む傷や痛みが癒される。ローズの香りが何かをしてくれるわけではない。ただ治りたいと望む細胞レベルの意思を人に意識させるのだと東京山人は考える。

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色の褪せた黄色い葉が、乾いた風に音を立てて舞う。低く昇ったまま動かぬ陽光の眩しさと、舞い立つ葉に、思わず目を閉じる。目黒通りの尾根道上には空が開け、どこまでも続く品川のビル群を見下ろす。建物が余すことなく東の土地を埋め尽くした。
大通りから折れて入る道幅は皆狭く、曲がりくねっている。尾根を挟んで両側は元々水脈が削った崖であったはずだ。今では余すところなくアスファルトが覆い、崖面に沿うように住宅が並ぶ。マンションの敷地の植栽を抜けステップを上がってエントランスに入れば、眩しさに慣れた目がその場の暗さに慣れるまではしばらく闇の中だ。それでも今は部屋へと辿り着くことができる。目を閉じていたとしても玄関に鍵を差し込めるだろう。リズムを刻む自分の足音だけに集中する。エレベータを使わず階段を上り、42歩。鍵を開け部屋に入ると、窓から差し込む光と影が床に広がっている。初めてこのドアを開けた夏とは、その色も強さも違う。
年末になって切り整えられたとはいえ、鬱蒼とした植栽の木々がエントランスを隠している。この建築構造に慣れ無い人間は建物に入るのに戸惑うに造りだ。かつて外国人向け低層住宅として設計されたこのマンションは戸数が少なく音が出せ、スタジオとしても十分な広さがあるのが気に入った。窓からの光、葉を落とした梢の作る揺らぐ陰が落ちるジュラルミンボックス。キーボードとコンピューター、トランクとボストンバッグ。半年も暮らしていても物が増えたのはキッチンだけだ。

季節を越えて東京に留まるつもりはなかった。それなのに、今予期せぬ長住まいをしている。この窓枠の下、よく手入れされた緑の下には土がある。二人の腕でも囲めない大きな欅の古株は切られても、切られても、蘖が腕を伸ばす。また春になれば葉を広げ、道行く人の雨避けに、夏には日除けとなるだろう。
半年前、ミュージカル舞台の音響エンジニアとしてこの街に呼ばれた。音楽プロデューサーでもある作曲家に頼まれ、3か月間共に仕事をした。その日本での仕事を機に13年務めたロンドンの録音スタジオを辞めて、今ではフリーのエンジニアということになる。日本の舞台の仕事が終われば、再三請われていたカリフォルニアのレコード会社からのオファーを受けるつもりだったが、ある時期以降その会社からの音沙汰が無くなったのを機に、いっそのこと、しばらく仕事に就かずに東京で長い休暇を取ることにした。今はただこの街で暮らすことだけに時間を使う。食べ物を手に入れ、季節に合わせた衣服を纏い、眠ることを繰り返す。生活は仕事と違わず創造的で、創造的である以上は楽しみは尽きない。
この特殊な街は時の進み方が他の都市とは違う。呼吸や心拍が到底追いつくことができないスピードでこの物事が進み、朝と夜は異常に近い。しかし、ところどころに100年前、200年前の記憶を引きずり、時の流れが一定ではない場所がある。長く住んだロンドンでは300年前の建物も現在のオフィスとして使われていたが、人間の時間の進み方は当時とそれほど変わるものではなかった。ローマでもそうだ。不均一な時間の流れが場所によって同時に現れるのは東京だけだ。何のために、この街は加速しているのだろうか。古い時間を引きずりながら。
生命のメトロノームが壊れリズムが暴走している。自分の細胞の時間を狂わせぬためには、長く生きる植物の傍に暮らすことだ。

南に品川、北に古川の切り立った崖に挟まれたこの池田山から見る窓の外は空の碧が占める。そうしてしばらく見ていると、意識が徐々に緩み、白昼夢の中に取り込まれる。間近に海岸線を臨む土埃の立つ風景が立ち現れる。藍色の瓦屋根と深い緑。ウミネコの啼く声が聞こえる。すぐそこに広がる東京湾の水面が輝く。セピア色は記録写真のものではなくある意味では本当に私の目の前に広がる光景なのだ。戦前か、いや明治以前の風景なのかもしれない。今は無き風景が蘇る。この場所にある時間の不整合の間から別の時間の中に入り込んだのだ。別の時の流れを創り出しているのは何であろうか。庭を見下ろすと、現在の視界と過去の光景に共通して現れているのは庭の石垣だ。植栽の奥に大きな石組が見える。切り出しの大谷石。このマンションが建設された頃はおそらくバブル期の80年代。もともとこの辺りの屋敷に使われていたか何かで当時からこの地にあった石を意匠として取り込んだのだろう。屋敷など跡形もなくなってしまったが、遺された石が留めた誰かの記憶が私に白昼夢を見せる。さぞかし大きな屋敷を囲っていた石なのだろう。そして現代の私と同じようにここから品川を見ていたはずだ。そのまま時間の狭間に長くは留まれない。夢が覚めるように意識を戻すと、そこには平成最後の東京の光景があった。

物に宿された過去の人間の記憶が私の意識に入り込むのは、誰もが有する想像力の産物だと思っていた。そうでなければ妄想の類だ。しかし、今では何かの理由があるのかもしれないと思っている。知る由もない過去の時代の出来事や記憶、光景が物を通して感じられる。私はこれを時間の流れの狂いの中に読み取っている。複数の時間の流れを同時に読み取るのだ。この奇妙な力は録音、音響エンジニアとしては有利に働いた。そのリズムを聞く人間の多くには識られない程の、ごく短い時間のずれを複数の旋律に組み込む。それは意識されずとも、脳のどこかで瞬間的なリズムのギャップが生まれる。それは人を不快にすることも、心地よくすることもできることを経験的に知った。
記憶は意識の遺した痕だ。しかし、全ての物体が記憶をとどめ、私に白昼夢を見せるわけではない。おそらく、今はもうこの世にいない誰かの強い思いがそれを引き起こす。時に、耐えられないような誰かの記憶を物を通じて垣間見てしまうことがある。そんな時には拾ってしまった時間を忘れるために何度も眠っては夢を見るようにしている。意識を記録できる媒体は限られているようだ。そして時間の流れの不整合面もどこにでもあるわけではない。ただ、時間がずれて流れている場所が東京には異常に多い。

翳っていく冬の陽を気にせず、何時間もキーボードを弾いていた。鍵盤も闇に溶け見えなくなっても弾き続けた一日。いくらでもリズムと旋律が湧き出てきた。ようやく空腹を覚え、暗いままのキッチンの棚にある保存食のグラノーラを探ろうと伸ばした手の甲がワインオープナーに触れ、勢いがあったため手が切れた感触があった。痛みよりも、商売道具である手に傷をつけてしまったことを悔いた。大した傷でもないが、滲み出る血が袖を汚すのは止めたかった。タバコと絆創膏を買おうと日が暮れた街に出る。すぐ近くのコンビニエンスストアには高校生がレジに長い列を作っているのを見て入る気が失せ、その先の店まで歩くことにした。白金台から外苑にまで続く下り坂。大学と住宅と少しの店舗が並ぶ。この時間、コンビニエンスストアのあった場所を思い出せずとも、ただ異様に明るい場所に向かえばいい。
数分も歩けば別のコンビニがあり絆創膏もすぐに見つかった。この街ではあらゆるものが欲したその時すぐに手に入る。何かを求める感覚が薄れていく。全てを隈なく照らすLED。この店にある商品全てが、今すぐ手に入る。そして、何一つ私の欲を刺激しない。レジで支払いを待つ間、店員の男性は私の血に染まったシャツの袖から目を離すことなく、にこりともせずに釣銭の小銭を返した。
自動ドアが開き店を出ようとすると小柄な女性が声をかけてきた。短い黒髪には光の輪が浮いていた。
「大丈夫ですか。」
「え、」
暫く日本語で会話をしていなかったことに加えて日本で知らない女性から声を掛けられたので、咄嗟に何と答えてよいのか分からずに、思わず足を止めて黙ってしまった。
「いや、そこ血で出ますよね。」
「ああ、大したことありません。ただ、ぶつけて、少し切れただけだから。」
「右利き?」
「あ、ええ。」
「でしたら手当を手伝います。」
止血したはずの右手の甲は、新たな血が袖を濡らしていた。
「あれ、さっきこんなに血は出ていなかったんだけどな」
「傷が深いと、すぐには出血しないんですよ。すぐそこ私の治療院なので。」
治療院と聞いて、なんとなく押し切られるように女について行ってしまった。何の治療院なのかも聞かずに。もしも、サロンだとか部屋だとかと聞いていたなら、多少は警戒もしただろうが。重厚な低層マンションが並ぶ通りに、その日本家屋の平屋があった。古めかしい引き戸の玄関扉。玄関を照らす電球の橙色は暗く、しかも引き戸がスムーズに開かないため、私の怪我をした手が開けるのを手伝わねばならなかった。
普通の古い日本の家だ。一体この何処が治療院なのだろうか。白い壁と床、眩しい蛍光灯のある医務室を想像していた私は、なんと言い訳をして引き返そうかと考えていた。その時、玄関の土間にあった鏡の付いた和箪笥に触れ、途端に強い記憶に取り込まれた。ゆっくりとした時間の流れは箪笥に留められている。丁寧な朝餉の支度。庭の井戸で洗濯する女性。子供たちの歓声。ここにはそのような家庭があったのだ。少なくとも、この箪笥が使われていた昔は。では、今は。本当にここは治療院なのだろうか?
「入って下さい。こっち。」
慌てて、言われるがままに、靴を脱ぎ板間の廊下に上がると、奥の畳の部屋に通された。床の間のある部屋に敷かれた広い鍋島緞通。小さな机と大きな箱が並べて置かれている。灯されているのは部屋の四隅にあるスタンドライトと机を照らすホワイトライトだけだ。怪我のことを忘れ、この空間の佇まいにくぎ付けになっていた。木枠に嵌った歪んだガラスが部屋の中の夜を反射していた。古いのだ。
「座って。」
突然、湯気の上がる薬缶を持って女が入ってきた。
「一応名乗っておきます。私はみなと。」
そう言って、それが苗字なのか名前なのかすらも言わなかった。
薬缶の湯気は白いタオルを蒸らし、ライトが作る局所的な白い光の下で右手の血が拭われたかと思うと、すぐさま滲みる液体で浸した脱脂綿が傷を擦る。予想をしなかった痛みに思わず顔を歪めた。
「治療院って、何の治療院なの。」
「全部」
「どういうこと?」
「今日はお金を取らない。だから細かいことは知らなくていい。」
そう言うと、みなとという女は素早く医療用グローブをパッケージから出して両手にはめた。市販されているのを見たことがない、滅菌シートのパッケージにはドイツ語がプリントされている。みなとはシートで傷を覆い、肌色の樹脂でできたテープと伸縮性のある防水テープで完全に固定した。
「このまま、剥がさないでいて。傷は数日でふさがるから。はい、お仕舞い。貴方が絆創膏を右手の甲に貼るのに苦戦するよりは、私がやった方が早かったでしょう。」
「確かにそうかもしれない。」
「そして動きが激しい部分には、そんな絆創膏じゃ何の役にも立たないのよ。傷も外から見えるより深かったから、そこの病院だと1,2針縫われてたかもしれないわね。はい、もうお仕舞よ。解放してあげる。」
「ありがとう。あ、払うよ。」
「払わなくていいって言ったじゃない。私が招いたのよ。」
「そうか、どうもありがとう。」
そう言って玄関に出た時、再びその古い箪笥を見た。彫刻が施された艶のある額に嵌められた鏡と引き出しのある箪笥。確かにこれにゆっくりとした意識が残っている。玄関を挟んでまるで時の流れが違う。
「何、それに興味でもあるの。古い箪笥好き?」
「いや、箪笥じゃなくて。」
「あ、そう、それからこの治療院のこと、誰にも言わないで。」
「そうじゃなくて。」
「じゃあ、何かしら。」
「ここは、貴方の家なの?」
「変なこと聞くのね。そうよ。ひいおじいさんの代から住んでるの。」
「いい生活をしていたんだね。」
「いい生活?」
みなとと名乗った女は驚いたように私を見た。
「私が生まれる前にはもう死んじゃってたみたいだからよく知らないけれど、ひいおじいさんは医者だったの。当時の軍医ね。祖父も父も裏の土地で開業していたわ。でも私はただの勤務医よ。」
「じゃ、治療院っていうのは。」
「ほかで言わないって約束してね。窓口から診察室に入れない人のための治療院なのよ。普通の病院に行けない事情がある人のためのね。」
鏡には白百合が活けられた大きな白い花瓶が映る。髪の毛を美しくまとめた女性が鏡を拭いている。それは、この時間よりもはるか昔の光景。それにしても今、この箪笥は妙な位置に置いてある。まるで仮にここに置かれているような。
「欲しいですか?要ります?その箪笥。」
「え、いやそうじゃない。」
「ああ、欲しいなら差し上げたのに、残念。」
「駄目だよ、あなたは、これを手放したら駄目だよ。」
小さな子供をあやす着物姿の女性が映る。髭を生やした着物姿の男がそれを目を細めてみている。空が青い。東京の空がどこまでも青い。その光が映っている。
「あ、ちょっと待って。」
一度奥に行って戻ってきたみなとは私に小さなガラスチューブを手渡した。
「3日経ったら、あとはこれを塗ってね。傷が乾燥して角質にならないように。」
透明な液体が入っていた。
「本当にどうもありがとう。」
凍えたアスファルトの冷たさが足から昇ってくる。
影の出来ないコンビニエンスストアの照明。昼のように路を照らす街灯。坂を下ってくる車のヘッドライトが目を射る。そこからは逃げるように部屋まで走り続けた。

言われた通り3日後、傷を覆うテープやシートを剥がすと、桃色の薄い皮膚が傷を塞いでいた。その生まれたばかりの皮膚を乾燥させないように、と渡された液体。ガラスチューブの蓋を開けてみる。と、馨しい匂いが部屋に広がった。それは、その液体が何であるのかも知らない私であっても、身体にとって良いものであることを疑わないほど、良い香りだった。傷に塗っただけだが、その香りは手から時折鼻腔に届き、一人でこの街に浮遊する私が、何かとても大きな力に手厚く守られているような心持にさせた。

さらに数日が経ち、傷は角質の跡を残すこともなく周囲の皮膚とも違いが無くなった。果物屋で新鮮なリンゴを選んで詰めてもらい、お礼を伝えたくてあの夜の治療院へ向かったが、どうしても見つからない。道を誤ったかと周辺を隈なく歩き、何度も同じ道を回り探したが、あの家がない。マンションばかりが整然と立ち並んでいる。一角だけ、ビニールシートに覆われた工事現場があった。そこにはすでに基礎にコンクリートが流し込まれていた。途方に暮れて掲示されていた工事計画書に目をやると、5階建てのマンションが建つ予定の様だ。もっと鮮明に、思い出したい。あの夜訪ねたあの治療院だという家を。痕跡でもいいから確かめたかった。そして何らかの手掛かりが得られるのなら、みなとにお礼を言いたかった。しかし、あの治療院があったはずのブロック一体ではもはや何の記憶も感じられなかった。確かにあったかつての幸福な時間の流れに触れられた時間の不整合がもう存在しなかった。
みなとは今もこの街のどこかに居るのだろうか。勤務医だと言った。病院で働いているのかもしれない。そこで、傷ついた患者に対して、ぶっきらぼうで厚かましく、そして的確な手当をしているのかもしれない。ガラスチューブに僅かに残った液体のその熱を感じられるほど濃い香りが、僕に遺された。過去の穏やかな時間の流れがずっとあの家の彼女を守ってきたように、今この温かい香りが僕を包み込んでいる。

部屋に戻り、渡せなかったリンゴを剥いて食べた。そして、翌日、港区の図書館へと向かった。司書に頼み出してもらった郷土史資料から、かつて白金台周辺にあった医院を探そうと試みたが予想を超えてその数は多く、結局みなとの父親や祖父が開いていたという医院を特定することはできなかった。しかし、郷土記事を取り上げた記事を一つ見つけた。不鮮明な新聞のコピーが掲載されておりそこには髭を蓄えた軍医の写真が掲載されていた。朧げな文字を解読すると、「薔薇油が傷を癒す―洋行から戻った軍医は西洋から魔法の万能薬を持ち帰った。それは薔薇油というもので薔薇から採れ様々な怪我や傷に効くという―とある。大正2年12月某日の記事だ。
当時、みなとの曽祖父が患者に行ったのと同じ方法でみなとも僕の傷を癒した。すべてが目まぐるしく生まれては消えていくこの土地にあって、見かけの早い時間の流れとは異なるかつての時間の流れが絶えることなく息づいていた。それは見ることはできない。ただ確かに感じられるのだ。
怪我をした僕を放っておけなかったみなと、曽祖父が患者たちのために使った薔薇油。その力は、麗しさ、馨しさと等しく強さを伴って僕に奇跡を見せてくれた。
 


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