熱帯

熱帯

香料原料_ロータス

音楽が聞こえる。聞いたことのない旋律。一度は諦め閉じた瞳を再び開いてみた。周囲は夜。いや、仄明るい。夢だろうか。人がいる。倒れた自分の直ぐ傍に何人かの人がいる。倒れている私の存在には気付いているはずだ。助けてはくれないのか。身体の何処にも痛みは感じられないが身体を動かすことができない。闇の中には火が焚かれている。人はその周りに集まり音楽に合わせ、踊っている。現地人か。しかし、Tシャツかランニング姿でしかない現地の人とは出で立ちがまるで違っている。民族衣装だろうか。変わった帽子をかぶっている。幾重もの布切れが重なり合う。風に泳ぐ透けるほど薄く柔らかい布、空を切る音がする程の堅く重い布。様々な布地を重ね、色糸の洪水。数人がクルクルと舞えば、その裾や袖の縁についた鈴が鳴る。黄色い煙から漂う匂いには只々、懐かしさを感じる。気分は悪くはない。むしろ心地よい。このまま再び目を閉じて、そうしてこのまま終わってしまっても構わないと思った。
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空港のタラップを降りると、ムッとする湿度と黴臭さが顔面にぶつかってきた。ここまで私を運んだ小さなプロペラ機は何を以て安定飛行と呼ぶのか、もはや分からなくなるほどに揺れた。雲一つない天候にもかかわらず。辛うじてアスファルトが覆っていたのは、滑走路とその周辺の一部で、空港の建屋に辿り着く前に剥き出しの地面を踏んだ。モンステラやクワズイモはもはや植栽の意匠を忘れて自由に繁茂している。
空調機の営業甲斐のあるところだ。もしも、この土地の住人が僕と同じようにこの湿度と温度を忌々しく思っているのなら、の話だが。うちの会社で扱っている高性能空調機は、家電量販店で見ることはない。にもかかわらず、知名度はある。高い技術を安売りしない会社の方針は、結果的に成功した。決して安くはない空調機だが売り上げは伸び続けている。安い一方、故障、特に冷媒漏れが多発する、他社の空調機に辟易した消費者は、買い替えの際には信頼のおける性能のものをと、うちの製品を求める。
海外担当になったのは、内勤オフィスが東京に在るからだ。国内の地方の田舎か都市部かどちらともつかない、つまり、中途半端な高さのタワーマンションと畑と駐車場がモザイクになっており、住人は全て大型ショッピングモールで顔を合わせる、そんな土地に暮らすよりは、海外出張は多くとも自宅を東京に置く方がよかった。私の営業成績は悪くない。時差のために夜も昼もなく電話対応に追われたが、売れば売るほど給料も上がった。悪くはなかった。22時過ぎに会社を出る。飲食店も暖簾を下ろす頃、駅の横のコンビニでパンとヨーグルト、そしてチョコレート菓子を買って帰り、シャワーを浴びた後にそれらを流し込むだけだ。東京の生活は皆そのようなものだろう。その需要を満たすためのコンビニだ。食事など時間の無駄で、家では一分でも長く眠りたい。海外出張先では環境は様々だが、もちろん、物事は東京のようには進まないため、自ずと自分の時間も生まれる。東南アジアでは辛かろうと、ココナッツの味のみの一味であろうと、一皿一皿に対して内臓が久しぶりに食べ物と対峙する。温かい、人の手による食べ物はうまい。一瞬、こんなところに自分が住んでみることを想像した。もちろん自社の空調機を導入してだ。そして、その想像はすぐに打ち消される。何処で日々の食料を買うのだ。この国にコンビニエンスストアなどない。都市部と言われるところで埃の中を牛が歩いている。しかし、何故だろう。日本の地方で感じる場末感を感じないのだ。人だ。ここでは人が活気づいている。表情がある。
屋台でヌードルを食べ終わり、プラスチック製の太い箸を置いた。

日本のトウキョウから来た優秀なサラリーマンに対し、東南アジア、東アジアのポテンシャルカスタマーはそれなりに敬意を払ってくれる。私の顔を見ることもない国内の客とは違う。人と人としての会話ができる。商談がまとまるかどうかはともかく、私はそれを楽しんでいた。帰路、成田から東京までExpressに乗り、東京で地下鉄に乗り込んだ。帰宅ラッシュの電車はこれほどまでに人間で満ちているにも拘らず、車両はまるで、そう、まるで棺桶だ。アジアで感じたバイタルはここにはなかった。自分はアジアと東京のどちらが好みかなどということは無駄な問いだ。選択肢はないのだ。私は東京に生きている。
帰国翌日オフィスに出ると、いつもと様子が違う。部長が体調不良で今日から長期休養を取るらしいと総務課の上の方が昨日伝えに来たそうだ。このところ休みがちだったらしい。癌だとか、いや、うつ病だとか下世話な囁き声が溢れている。どうせ周りに聞こえ漏れる程度の小声の話なら、普通に話せばいいじゃないか。ため息が出た。
「出張お疲れさまでした。」
隣の席の部下が声をかける。
「東京も暑いね。」
「今日は34度まで上がるそうです。5月でこんなじゃ、8月とか何度になるのでしょうね。」
「東京では室内から出るともう誰も生きていけないよ。」
丸の内のビルの間の地上を見下ろした。ガラスに反射される光。しかし、アジアではあの蒸し暑さの中、籠一杯の果物を運ぶ女性たちが市場に溢れていた。
「あれ、ここどうしたんですか?」
「え、何?」
「鼻の横です、怪我されましたか?」
「え、そんなことはないけど、言われてみると、少し痛い。ちょっと洗面所で見てくるか。」
鏡で見た小鼻の横には確かに赤い傷があった。しかし、切り傷でも刺し傷でもない。肉刺が潰れた跡のような。おそらくはヘルペスか。まずいな。営業は顔も商材だ。
「ちょっと外出してくるよ。病院に行ってくる。」
「お大事に。」

怪訝そうな部下を後に、皮膚科の看板を探してそのうちの一つに入った。病院で抗生物質や塗薬をもらって絆創膏でも貼っておけば済むだろう。
素人が見てもヘルペスに違いない皮膚の爛れだが、医師はなかなか診断を言わず、延々生活について私に尋ねた。海外出張が多いこと。東京では多忙な方に入ること、など伝えた。
「これはサインです。身体の免疫が落ちているということですから、とにかく休養して生活を改善しないと次は皮膚科では済みませんよ。」
医師の立場としては当然の意見だ。有難く伺って、薬をもらって会社に戻ったが、くしゃみが止まらない。周囲には何かのアレルギーだと言い、小鼻の廻りの皮膚の爛れを隠すのにも都合のいいマスクをして済ませた。
翌日もマスクをして普通に会社に向かった。明後日からはインドネシアのジャカルタとベトナムのダナンに出張だ。処方された薬が早く効けばいいのだが。

結果的に、ジャカルタに到着したものの、鼻ヘルペスは治ることは無く、若干赤みを広げつつ、くしゃみも薬が切れると同時に止まらなくなる。日本と違い、アジアのこの国での白いマスクは非常に目立つ。なぜか皆、排気ガス対策には黒いマスクをしているためだ。顔の中央の爛れた皮膚と、白いマスクと、どちらがましだろうか。そのせいか否かは分からないが、この出張で全く契約が取れなかった。こんなことは初めてだった。落胆もあったが、歩いているうちに息が切れ、熱帯植物が繁茂した公園のベンチに座りミネラルウォーターを抗ヒスタミン剤とともに流し込んだ。微かに頭痛もしている。今日は早めにホテルに戻って休むことにしよう。と、座っていた脚の脹脛を何かで殴られるような衝撃を感じた。途端に焼けるような強い痛みを感じた。何が起きた?茂った草の中に踝まで埋まっている足元を見る。確かに、何かがいた。その姿を認めるにはあまりにも素早い動きでそれはベンチの向こうの茂みの中に居なくなった。痛みのする部分に手をやると汗にしては粘る。その手は真っ赤に染まっていた。やられた。血を見たためもあるが動悸が激しくなる。しまった。蛇だ。人を呼ぼうとするが、誰もいない。今こんなに高温多湿の屋外でひとり倒れ込んだなら、出血か熱射病かどちらで死んでもおかしくない。動悸は益々強く早くなり目の前が暗くなり、ベンチの下に倒れ込んだ。私はこのままこの地で死ぬのか。会社にどう思われるだろう、出張先の外国で客死したこんな奴がいた、なんていうことを囁かれるのだろうか、大使館は私の死体を焼いてから帰国させるのか、焼かずに帰国させるのか、そんななつまらない事ばかりが頭に浮かんだが、私はどこかで、生きることをとっくに諦めていた。そして意識を失うよりも先に、瞳を閉じたのだった。
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音楽が聞こえる。聞いたことのない旋律。瞳を開くと闇の中に仄明るい光がひとつ。夢だろうか。掠れた視野に幾重もの布切れが重なり合った衣装を纏いクルクルと舞う人が見える。その裾や袖の鈴が鳴る。黄色い煙から漂う匂いには只々、懐かしさを感じる。気分は悪くはない。もう誰に助けを求めようと言う気も起らない。むしろこのままで心地よい。このまま再び目を閉じて、そうしてこのまま終わってしまっても構わないと思った。
「口を開けなさい」
口?誰だ。
「口を開けなさい」
目を開けることもままならないところに口を開けるのは容易ではなかった。まず、ゆっくり目を開けると、民族衣装に身を包んだ女性が口元に何かを差し出していた。乾ききった口を漸く僅かに開いたところ、何かを口に無理やり押し込まれた。それは冷たい、レタスのような野菜のような口当たりだ。口を閉じれば噛み砕くことになるが、口を開けたままでもいられない。私はそれを嚙んだ。シャキっという歯応えがして、口の中に水分と、そして花のような香りが広がった。思わず食欲が湧き、それを咀嚼し呑み込んだ。音楽は続いている。光の玉の中、数人が踊り続けている。少しづつ視界が広がり、色彩が鮮明になる。肩が動かせる。腕が動く。
小さな子供が二人、色とりどりの衣装を纏い、手風琴を奏でながら灯りの周りを回りながら唄っている。笛の音も聞こえる。そして舞。私はゆっくりと躰を起こした。火の粉が天ヘと渦を巻きながら上っていく。まるで天に上る龍の姿だ。
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決まった速度で秒刻みの予定通りに駅に入る地下鉄の車両。「こんなに素敵なプロダクト」「憧れのライフスタイル」「新しいショップにカフェ」刻々とアップデートされる画像やキャプションを漏らさずに高速で追う。時間さえあれば小さな画面を追う。そんな中の一人であった日々を、私は放棄した。
熱帯植物に囲まれた庭。東京から運んだ僅かばかりの荷物。あれほど欲しくて、苦労して手に入れたものが、ここではもはや全く大事に思えず、僅かばかりの荷物はその後さらに量を減らした。ものを手放していく程に、生きるために欠かせない物が露になっていく。ここには風と土と水があり、我が感覚でそれを読み先へ進むしかない。
毎日欠かさずに見ていた大量の情報は、喧しく意味の無い遠い出来事になる。ここでは洗濯した布が刻々と渇いていくのを肌で確かめていくだけ。見たことのない木の実を、味わい新しい香りを識るだけ。長年欠くことができない、習慣化していた毎日のチョコレート菓子も摂らなくなった。必要な食物は在るべくしてこの土地に育ち収穫されたもの。他に見られないこの風土に生きるために必要な糧。生きる環境を変えて失った古い感覚、少しずつ毎日身についていく新しい感覚。
東京の生活は消費の毎日を継続すること、そのものだった。血液同様あの街に流れていた金。巨大なシステムから成るあの街で私はまるでその巨大生物を構成する細胞の一つだった。組織の中で役割を果たし、新陳代謝という入れ替えが可能な一つの細胞だったのだと今では分かる。今ここで、私は私の人生を自分に取り戻した。東京という大蛇のはらわたから抜け出した。

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