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東京残香_VIV. 柿ノ木坂

Aqua Universalis _Maison Francis Kurkdjian

その街に固有であって、他の街にはない空気。東京の街の香りを描き残す試み。貴方の街の記憶は、どんな香りがしますか?
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駅へ向かう道には、ようやく慣れた。
家を出てしばらく歩くと、冷えた指先は青白く爪に透ける。
温もりが恋しくなり、建物の影が切れる車道の端に飛び出す。
長く伸びた自分の影。
僅か前まで、灼熱の空気と陽射しから逃れるように細いビル影へと逃げていたのに。
大雨が流し去った酷暑の後。秋は、あるかないかの短さで去り、これから夏を忘れるのに十分なほど長い冬が来る。

枯れて散った金木犀の花殻が溜まる花壇の一角に、今は白い秋明菊が咲き乱れている。
この花に香りは無いと知りながら、顔を近づけてみる。
一重の花を眺めているうちに、記憶の中の冷えた空気の香りが蘇る。
もうすぐ冬が来る。

私を追い越し駅の改札に駆けていく高校生。
急行が止まる学芸大学駅への距離の方が僅かに短いけれど、人が少ない各駅停車が止まる都立大学を使うようにしている。
私にはもう急ぐ理由は何もないから。

電車の入構を待つホームの上は、端末を握りしめ見つめる人たちの、静止した風景。
眺めていると、風を乱しながら電車が近づく。
渋谷へと向かう東急東横線からの眺めは、目黒通りの南側から北側へと切り替わる。
何処までも延々と細かなモザイクが敷き詰められた東京。
霞の向こうの細長いビルの森。そこへと向かって毎朝流れていく人たちは、陽が落ちれば反対に郊外へと返す波となる。まるで都市に張り巡らされた血管のようなこの細い道の上を通って。

数日間のホテル暮らしの間に慌ただしく不動産契約を済ませ、柿ノ木坂にある古いマンションをリノベーションしたワンルームに身を落ち着けた。大学を出てから20年近くもの間、バルセロナ、ロンドン、チェコ、フィレツェと転々としてきた生活も、ここにきて、一旦はおしまい。東京で何をして、どんな仕事に就くのかは、今はまだ白紙だ。

住み始めて間もないこの街。
なのに、ずっと前から知っているような気がしてならない。
駅へと続く小さな商店街。
緑深い住宅街。
農地として開放された緑地。高級スーパー。大学。郵便局やバス停。
昔から馴染みの場所のように感じる。
一方、まだ敷かれて間もないアスファルトやその整然とした区画、いつでも新築直後のようなコンビニエンスストアの様子は、数年単位でこの場所の姿が変わってきたことを示唆している。
記憶にないはずのこの街を、私は以前から思い浮かべることができた。
ここは街の観念(イデア)そのもの。
誰もが思い描く理想の街の姿。それを具現化させた街。
風景がこの土地に根付くための実体はない。観念だけの上に成り立った薄く、細く、儚い、東京の暮らし。
ヨーロッパで経験した、人間を絶対讃頌する歴史に根付いた剛健な暮らしは、私には重すぎた。生きていることの現実感すら薄い東京の暮らしは、浮草のように生きる私には気易くていい。
誰も知らない。誰にも知られない。知る必要が無い。
人間であることの重みから解放される不思議な場所。

柿ノ木坂でのワンルーム生活はとても静かで、穏やかで、楽器は一日一度、夕食後の一時間だけ奏でていた。それはかつてのような練習ではなく、好きなピアノジャズに即興で合わせるストリングスのアレンジ遊び。

今日は、久しぶりに人と会う。
東京で会うのは初めてになる、私を日本に呼び戻した人物。
三谷健二は、ロンドンで会った音楽雑誌の編集者だ。
彼もまた、かつて私と同じく国外オーケストラとの契約演奏家だった。
単年度契約のオーケストラメンバーはパフォーマンスが落ちれば、その席を狙う若く有能な演奏家とすぐに入れ替えられる。
その世界は彼にとって鋭く洗練されていて、エキサイティングで、そして外界から隔てられた閉じた世界だった。そこを飛び出し、社会に出てみようとクラリネットひとつ抱えて帰国したプロの演奏家の彼をしても、音楽教室講師か音楽系出版社以外の仕事の口が無かったのが現実だったという。
私の場合はオーケストラとの契約に加え、ヨーロッパでスタジオミュージシャンや編曲のアルバイトなども細々とやっていたが、そこが特殊で狭い世界であることには変わりなかった。

彼は私が同じことを感じていることを知ると、日本に戻って新たな道を探してみたいという私に賛成を唱える僅かな理解者となった。
「東京は面白い街だよ。ある特殊な意味でね。」
夢を見たまま、浮遊していられるから、彼は言った。
目が醒めてしまえば、自分が既に彼岸に立っていることの絶望に呑まれてしまう、とも。

東京の三谷とロンドンに住む私は頻繁にスカイプで話しをしてきた。
もともと、小さな舞台の音楽監修をした私へのインタビュー取材がきっかけだったが、そこから親しい会話へと続いていくまでに時間はかからなかった。
ディスプレイ越しのオンラインミーティングは、目の前に相手の体温がなく、言葉が語り切れない心情までは届かず、通信環境の不都合も多く好きになれない。
しかし、三谷とのスカイプは言葉が届けられない部分を埋めるのに十分な共感があった。
学年こそ違っていたが、音楽大学の同窓生であったことも分かり、次第に親しみのある存在になっていた。
両都市間の時差は確実にどちらかに睡眠不足を強いる。
それでも次第に、頻繁、とはいえ月に数回のスカイプを私はどこかで待ち遠しく感じていた。
ロンドンで演奏以外の仕事を広げつつあった私に、東京に戻る気はないか、という三谷からの誘いは私を大きく揺さぶったが、東京の暮らしを現実にイメージすることは難しかった。ただなんとなく、ロンドンのアパートの不要な荷物を片付けたり、処分したりし始めていた。
或る時、三谷が東京での次の仕事が決まるまで、糊口を繋ぐための仕事くらいならば用意できると言った。
それは出版の仕事で、20世紀の音楽史のコンパイルに協力してほしいと。
「それはとても壮大な仕事ですね。簡単ではなさそうですけれど。」
「そう。20世紀は人類史上最も壮大に音楽文化が育った時代じゃないかと思う。かつてローカルなものであったジャズやクラシック、いろんなものが混ざり合った。これから21世紀に20世紀に生まれたものほどのものが、生まれるかといったら、もうない気がする。」
「21世紀の5分の1は、もう終わりましたしね。」
自分で言ったもののその事実の重大さに驚く。
「これから、できるだけ多くの音楽家にインタビューをして、その現場にいた当事者たちの話を記録したいと考えています。」
出版社が企画しているその仕事には興味はあった。
とはいえ、私はSayuri Orihara名義でウェブCMの音楽の仕事も始めたばかりで、ロンドンのオーケストラメンバーの更新試験も控えていた。

三谷の話が頭を巡り、何処か落ち着かない気分で、ロンドンのアパートで演奏の練習を続けていた頃の事。


ある日ポストに紙箱が届く。
箱の中には、色付いた銀杏、赤い紅葉、グラデーションの鮮やかな色付いた桜の葉が入っていた。From Tokyoと書かれたカードとともに。
箱の中の香りを吸い込むと、東京の秋の空気そのものだ。
2か月後のヒースロー―成田便を予約したのはその日の夜だった。

ロンドンでの最後の朝、荷物は楽器ケースとボストンバッグ一つ。
抜けるような青い空の下、ハイドパークでクヌギ、シイの実をいくつか拾い、コートのポケットの中に入れた。いつか、これを見て歓んでくれるであろう人に、見せることができればいい。

東京に着くと、慣れない人混みに巻き込まれながら迷路のような地下鉄の乗り換え案内板の前で途方に暮れる外国人観光客の集団の中、まさにそこに自分がいた。

今でこそ編曲など副業も幾分増えたとはいえ、学校を卒業後はずっと演奏家だった私は、東京では演奏の仕事を手放すことになる。それは私にとって何にも属さない根無し草となり世に放たれることと同義だった。
物心が付いてからは食事と睡眠以外の時間はストイックに楽器の演奏を練習をし、それは主にチェロとバイオリンだったが鍵盤のこともあった、仕事としても音を編みつづけてきた。これからそれ以外の時間をどう過ごしたものか、分からなかった。
その制限なき自由の中に放り出されていることを意識すると、薄い水色の東京の空の下で呼吸が浅くなる。
三谷が言ったように、夢から覚めて、現実の明日への不安を抱けば、闇は容易に私を呑み込むだろう。
私はこれまで味わったことのない世界に対する好奇心にだけに集中するようにする。夢のままに。

三谷とは都立大学から数駅先の代官山で待ち合わせた。
夜明けに合わせて起床するのが習慣になっており、街が動きだすまで長い朝の時間をひとりで過ごすことになる。近所のコーヒーショップは時間を潰すのに都合がよかったが、不必要なカフェインの常用は、いざという時にカフェインの覚醒効果が効かなくなるので避けたかった。
待ち合わせの昼の時間まで、今日は図書館に向かおうと、開館に合わせて家を出た。

図書館には2,3名の高齢者と、乳児を連れた母親がいた。平日の朝、区立図書館の分館であることを差し引いても人は少なく静かだ。
三谷との打ち合わせに役立ちそうな情報が得られるかもと、最新の音楽雑誌をいくつか捲ってはみるが、これといって何も目に留まらない。早々に雑誌を閉じた。
自然科学の書架で目に付いた最下段から厚く重い「鉱物図鑑」を引き出す。
広いテーブルに置きページを広げると、鉱物標本の写真とその解説が載っている。
人工物よりも人工的な色とりどりの鉱物結晶。針状、直方体、立方体、角錐、完全な直線とエッジの確度。蛍光色イエロー。グリーン。ブルー。メタリックな輝き。
この世の物質を支配する仕組みは人工物を越えて精巧に物質を形づくる。自然の仕業は人工物に似る。
そして地球はその鉱物の隙間に気まぐれに生命を生んだ。

鉱物の写真に見入っているうち、いつの間にかうとうととしてしまう。
このまま眠り込んでしまうと約束の時間を過ぎてしまうだろう。
意を決して席を立ち、図鑑を書架に戻すと図書館を出た。
オーバーサイズのロ―ゲージのセーター。首に巻いた古いシルクスカーフの赤が生成りのセーターの襟口から覗く。ボトムはロングスカートとショートブーツ。
ショーウインドウに反射した自分の恰好は、歩道を歩く仕事着の人たちとも、ブティックやヘアサロンの店員たちとも違う。こんなに重い服を着ているのは私だけかもしれない。東京では皆、繊細な生地の揺れる服を着ている。そして完璧なメイク。人に会う日、ルージュだけつけた私は野暮ったい。ボトルの中の残り僅かだったゲランの夜間飛行を付けてきたが、この街の朝でちぐはぐな感じを受ける。まるで自分が老女のような気がする。

代官山駅の小さな改札を出ると白いモルタル壁とガラスとプラスチック、小さな看板が溢れている。かつて、この街にまだ同潤会アパートが並んでいた学生時代にはよく訪れたが、今その様相は大きく変わっていた。
影と日向が織りなした複雑な空気はどこにもなく、此処が代官山でなくてもどこであっても構わないといった厚顔のマンションが並ぶ。
浦島太郎が見た光景は、こんな風に薄くなった世界だっただろうか。
今も昔もこの街には若い人が多い。しかし、今、この街を歩く若者のほとんどはもはや日本人ではない。常にグループで行動し、大声で話している。
ここは、一体、どこなのだろう。
三谷と待ち合わせた店は彼が提案したいくつかの打ち合わせ場所の中で、唯一、私も知っていた店だ。
入り組んだ住宅街を抜けて向かう道を辛うじて覚えている。
店のドアを開けると変わらぬバターと小麦粉の焼ける匂い、そしてシナモンの香りがする。

奥のテーブル席に彼を見つけた。
「ご無沙汰しています。」
席を立ちあがり、三谷は私に頭を下げた。
「ああ、お変わりなさそうですね。お元気でしたか。」
オフラインで直接本人に会うのはまだたったの2度目だ。しかし、そんな気がしない親しさ。懐かしく感じる。
襟足の短い髪や少し長めの前髪。
白いシャツとチノパン。世界のどこに居ても、どの季節も、これは彼のユニフォームのようだった。
ウインドウが開け放たれたカフェの椅子にはブランケットが掛けられている。
「この店だけは、昔と変わりませんね。」
「ご存知でよかった。この店にはよく来ていますか。」
「はい、最初にバルセロナに行く前、よくここに一人でランチに来ていました。ニース風サラダばかり食べていました。」
「ニース風サラダなら、今もまだありますよ。」
そう言って三谷はメニューを私に差し出した。二つ折りの紙のメニューも変わらない。ミントと胡瓜のラッシーもかつてのままだ。
「駅を降りてみて、この街が変わってしまっていて、驚きました。」
「この30年くらいで跡形もなく、何もかも変わりました。とはいえ変わったのはこの街だけではありません。東京、あるいは日本、世界、何もかもが違っている。」
「私の方が世の中の流れから離れていたということもあります。けれど、好きだった街が変わってしまった、失われてしまったことは、なんだか寂しいです。」
「世代的にも、折原さんは今、時代の変化が一番よく見えるところに立っているからではないですか。」
確かに、姿を変えていく東京への郷愁は夏目漱石や永井荷風の時代から何も変わっていない。自分も変化を憂う年齢になったということか。
「そうなのかもしれませんね。今のこの様子だって、またすぐ変わっていくのでしょうね。」
そしてそれを嘆くのは今のこの街を愛している次の世代の人の役目。
そんな世代は果たして存在するのか?
「早速ですが、仕事の話をしていいかな。」
三谷は静かに言った。
「改めて、仕事をお願いしたいと思っています。」
20世紀の音楽をポップス、ロック、クラシック、ジャズ、フュージョンなどジャンルを超えて網羅した総説を本にする計画を語った。折々、重要なポイントに居た音楽家から話を直接聞くという。
音楽とは切り離せない周辺文化も織り込む。
僅かずつ下調べが進んでいるという企画書は大きなクリップで止められる限界の厚さになっていた。
「20世紀の最後の5年間は、音楽と文化の動きにとても熱がありましたね。」
「デジタル化が完全に社会を覆う直前ですね。」
それ以前と以後で、音楽の定義すら変わってしまいそうだ。デジタルリマスタリングが可能にしたことと、そのタイミングで重要でないと判断された音が放棄された。今や、計算され曲順が編まれたアルバムという単位も、ユーザーは構うことなく好きな楽曲単位でダウンロードできる。そのことも、それ以前と以後の音楽リリースの意味を変えた。
「海外の視点があって、国内を見ることができるプロの編曲家である折原さんがこの仕事に加わってくれるというのは、大変心強いです。」
「私のやっている仕事は決して数も規模も多くはありません。どれほどお役に立てるものかはわかりませんがこの総説が貴重な文化資料になることは確信しています。精一杯お手伝いさせて頂きます。」
「よかった。」
私たちは白ワインで乾杯した。
音楽も図鑑化されていくのだ。
図書館で見た鉱物図鑑を思った。美しいものを集めアーカイブしようとする人間の欲望は尽きない。

仕事で付き合う人たちの中には好印象の人は幾らでもいる。
しかし、その感情はそれ以上のものではない。
仕事という舞台の上でお互いが演じる適切な役を理解しているから、当然のことだ。
それを十分分かっていても三谷と対するときには用心が必要だと感じていた。
親しみが過剰になっていく。
三谷は十分成熟した視点を持っていた。
私の届かない高さから鳥瞰する彼の広い視野や深い理解力は私にとって、とても魅力的に感じられる。
だからこそ、その領域を穢しかねない過剰な感情は祓い清めていたい。
齢や経験を重ねると、欲が行き着く先の物語の陳腐さが解ってしまう。
叶えられない望みだけが美しいまま永続することを知る。
欲は、望みや憧れの輝きを消費することで昇華するものだから。
手の届かない憧れだけが結晶化し、図鑑の中に見た鉱物標本のように闇の中で光輝く。

次は出版社で会う約束をメモに記し、ふたり長い昼食の席を立った。
店の外に出ると、傾いた11月の陽射しは橙色をしている。
「じゃあ僕は電車で会社に戻ります。」
「私は、歩いて帰ります。」
「歩いて?ここからですか。お家の最寄り駅はたしか、学芸大学、だったよね。」
「少し歩いてみたいんです。」
「そうか。もうすぐ陽も暮れるから気を付けて。」
「気を付けて。」
差し出された手を握って、別れた。きっと体温の低い私の指先の冷たさは彼を驚かせただろう。

代官山の丘を目黒川まで降りていけば中目黒に着く。かつて静かな住宅街で感度の高い人だけが楽しめる場所だったそこは、奇抜さと独自性を違えたようなファッションショップが並ぶ。

中目黒から学芸大学へ続く目黒通りはこの土地の尾根に相当する。両側の下り坂の先には川筋が並行している。都市の血管であるこの通りを通じて、人の営みも仕事から暮らしへと切り替わる。
その流れに、今自分も確かに加わったのだ。
東京という街の細胞の一つになった。
この道のささやかな人とモノの流れがひとたび途絶えれば、この道の先にある街は数日とてもたない。生命体としてのこの街は、人と同じ程度に脆弱なのだ。

帰宅し、洗面台の上のゲランの夜間飛行の小さな瓶の中は完全に空になって乾ききっているのを確かめる。
代わりにドレッサーの中から、今年の春旅したパリで購入し、夏の間中に仕舞われていた直方体の香水瓶を取り出した。その香りはふくよかに薫るマチュアなメゾンの香水の対極にあった。何処までも軽い。
そのスプレーのひと吹きがもたらすのは、空気の中で光の粒が一瞬みせる煌めき。
何ものにも縛られない、浮遊しながらこの光と空気の中を生きる。
確かなものなど存在しないという諦念。
そして消えていく運命にある感情を熱に任せて燃焼させてしまうのではなく、冷たい結晶の形にして夢の中に閉じ込めてしまおうとする美意識。

夜になると風が強くなる。
明日は雨が降るとラジオの天気予報が言う。
秋明菊の花びらが夜の風に舞う。
花びらを落とした坊主頭が枯れて朽ちていく。
冬はすぐそばに来ている。


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