闘病生活からリハビリを終えてさらなる地獄が待ってた話(2)
違和感と異なる痛みが走る
尿管結石の症状は緩和され、結石は尿で体外にほぼ放出された診断を受けました。まだ、結石のガラス編は若干残る可能性があるので継続して投薬して尿で出すように指示を受ける。傷ついた尿管は自然に治癒するとのこと。
真っ赤な血尿を出した甲斐があった。安堵。あの痛みから開放された。
しかし、麻酔や痛み止めが切れたのか、歩行するときに腰や背骨が軋む音が確実に伝わる。痛い、尿管結石の痛みの方が強くて骨そのものに痛みがあるので先生に申し出た。
先生が困った顔を。。うーん。。
外科と他の大学病院を紹介するので精密検査を受ける言われ紹介状を書かれた。そして、麻酔や痛み止めで骨まで損傷してる可能性があると言われた。
まだ、泌尿器官系はボロボロなので痛み止めの注射と投薬は必要とのこと。
また、会社への出勤も控えるように言われた。とはいえ、緊急事態宣言でリモートワークで仕事ができる体制にはなっていたので助かるが、10日間ほど連絡できなかったので尿管結石の経過報告をメールで入れました。
しばらく、おちんちんの痛みが辛い。。痛み止めの投薬量が減った分、身体に違和感が除々に増していったような気がした。多分、そう思うことにした。この時はまだ違和感の深刻さが分からずにいた。尿管結石の激痛からの開放が勝ってた。
紹介状を携えて精密検査に望む
紹介状を持参して指定した病院に向かう。数日経過したが一歩、歩く度に腰と背骨、骨盤が重圧が掛かる痛みが走る。早く、精密検査を受けなければと思った。
緊急事態宣言ーコロナ禍ーでの病院は物々しい険しい状態でした。厳しい入館処理と検査を終えて受付までただりついた。コロナ隔離病棟とはだいぶ離れている精密検査の着替え部屋に通されて暫く待ちました。
MRIを数台もハシゴをして何度も検査をした。
3,4人のお医者さんが様々な意見交換をしていた。しばらくして、数名の医者と問診する異様な形式で緊張した。眼前に出された私のレントゲン写真、いくつか○印があったり、様々なディスプレイで自分自身の骨格が表示されていました。骨格のプラモデルがは運び込まれました。尿管結石の診断症状と診断経過の報告書も合わせて再確認もされ、触診をされたり、質疑応答を何度も繰り返した。
診断結果
診断は骨が損傷、神経も傷ついてる。背骨の4,6番目あたりの骨が骨折部分は数ヶ月掛かる。また、骨と骨の間にある軟骨のようなものが加齢で復活することは難しい可能性が高いとのこと。ヘルニアと骨折の合せ技に近いがあくまでも骨折。何よりも今は、尿管の完治が先。尿管が治らいない事には今回の治療ができない。当面、極力歩行禁止、車イスでの移動を進められた。粉砕骨折ではないので時間をかかれば骨は元に戻るとの事。
また、くしくも、コロナ禍で入院は様々理由でおすすめしないとの申立をうけた。
あの当時の状態で病院にいるほうがリスクあると病院と主治医からの判断がなされた。全くもって正しいと思いました。
肝心の治療は腰回りにガッチガッチの拘束具、ほぼ垂直状態にしかならない器具をつけて、ロボットのような状態で車イスにかけるというか半立ちの間で車イスで帰路につくことになった。慣れは必要に感じましたが急遽送迎を頼まなくてならなくてはならない。
持つべきは頼りになる友人
両親とは疎遠で仲がいいとはいえない、頼むことができない。息子はまだ学生で運転免許はまだもっていない。会社の同僚に頼むか友人かで悩んだ。真っ先に思い当たる友人に電話をした。
車イスであること、自立歩行ができない事を伝えた。彼は怪我のことや経緯を心配そうにして急いで向うと一言『すぐ、向う』と言ってくれました。 しばらくして、彼から電話がなり病院のアプローチ玄関についた事のSMSが示され、彼が迎えにきて頂きました。本当に感謝しかありませんでした。あの緊急事態の中で車イス込みで送迎していただきました。危険を顧みず送迎する友人、数十年来のお付き合いだが本当に頼りになる奴です。普段言ったこともないのに何度も柄にもなく『ありがとう』を言った。彼はいつもの事だろ気にするなと、早く良くなりなって笑いながら車を走らせた。
車イス生活がはじまる。
世界が一変した初めての車いす生活が始まった。
※誤解がないように記載します。
障害等での車いすを揶揄したり中傷する意図はありません。
しばしば、左手が痺れる症状がでていましたが歩行ができない状態が辛い。今までの普通に歩けたたものが制限された。
尿管の損傷を完治する事、骨折を治す。この二つだけが当面の課題です。骨盤、背骨の骨折なんて尿管結石の激痛に比べれば対してことはないと思っていました。車イス生活といっても、そもそも歩行が補助器具がないとできないので外出はしない、世間はパンデミック騒ぎで外出自粛中。ある意味世間も巣ごもり状態。車イスを使うほどの大きい家ではない。せいぜい、ベットとトイレ、台所にいく。これだけのために車イスは必要ないと考えていました。なぜ、車イスがいるのかこのときは理解できずにいました。
とにかく、暇である。そして、暇である。身動きできにベッドで寝てるだけの生活が始まる。寝返りをうちたくてもできない、完全固定のロボット状態。当然寝付きも悪い。
寝付きが悪いと色んな事を考えてしまう。
なんで、こんな目に私が合うんだ。。
なんで、無理したんだ。なんで転職したんんだ。。
なんで。。
なんで。。。
もう自分の選択が起こした事で自分を攻め続ける。
病気や怪我は突然に襲いかかる。。
運命なのか。。バチがあったたのか。。
全て運が決めてるようで心が更に重く沈んでいった。
有名な公式「期待価値モデル」と運について
まず、皆様にお伝えしたいのは確率=運について語らせてください。
一つ
3度めの尿管結石です。しかも3個。ある意味持ってる。
二つ
尿管結石の激痛時に痙攣して自爆のように骨と骨がぶつかり合い骨折する。
三つ
緊急事態宣言が出てるのに危険な病院に送迎してくれる友人いたこと。
→こんな出来事あるんか!もう、天文学的な確率。しかも、複雑粉砕せずに縦に割れてんのや。バース、掛布、真弓のバックスクリーン3連発を超える確率と思うことにしてます。
私がゲーム機会社勤務して時代があった事と人事を経験した折に知った有名な公式「期待価値モデル」を知る事となったので、それに照らし合わせて考えてみました。
※ギャンブル(競馬やパチンコなど)趣味としてる方は既知で良く用いる公式です。日常的に汎用性が高いので知ってて損はないです。
(公式)
M=Σ[(E→P)×Σ[(P→O)×(V)]]
M:行動への力 は、心理的な『努力すれば結果に結びつくという期待率』
(E→P)に、『業績や努力を上げれば望む結果(報酬や益)が得られるという期待確率』(P→O)と「その結果そのもの誘意性(魅力値)」(V)の積をさらにかけ合わせたもので決まる。
公式に当てはめる>>>3つの要素のどれか1つでも0であれば、動機=行動の力は生じない。
すなわち、私は絶望にある。凄い確率で病気になっても、無二の親友がいても、じっとして傷が癒える期待を持とうが、病気療養中に何かが変わる可能性があっても、結論は絶望にあると導く事ができたわけです。
参考までに本文の補足として古典的な期待値の求め方も記載します。
次回予定:我が闘争編 (たぶん)
思い出したくない思い出を備忘録としてここにありのままを記載しました。気が向いたら続きを垂れ流します。
ただのオッサンの備忘録ですが、応援コメントなど頂ければ励みになります。