涙腺決壊!汚水汚物まみれでそのまま夜を明かした話
前回までの実話 ※24 TWENTY FOURぽく
突如社内で血尿が出て痛みが強くなり、コロナ対応のシステムリリース後に病院へ駆け込む。2度目の尿管結石と判明した。今回は結石が複数粉砕手術はできない上に緊急手術病院も受け入れができない。自力で投薬と尿で押し出す事になった。地獄の5日を耐え抜き、意識を飛びながらコシが痙攣しまくって痛みに耐え抜き結石を放出する事に成功。尿管はスタボロ。
経過観察で病院に訪れるも歩けない状態、足腰が弱ったように這って行く始末であった。結石は消滅したが同時に骨盤と背骨が損傷していることがレントゲンで判明する。そのまま大きな病院の外科に行く形になりました。暫く会社に出社できない休職状態になる。しばらくして、会社の規程で休職状態の期限が骨折が治る範囲を超える事が判明し、無事、無職となる。ノーワーク・ノーペイの原則。私は車イス、歩行補助器具での生活、世間ではコロナウィルスの蔓延が拡大で「ヒコこもり」と揶揄してるが外科や病気で本当に外出どころか日常生活が困難になっていた。
病気で働けなくなって無職直後は数日間は何もやる気がしない。病気直後はたしかNetflix (ネットフリックス)、アマゾンプライムで海外ドラマや映画を見て時間を潰した。過去の名作を見ても全然印象に残らない。何で病気になるんだ。。もうこれしか考えれない。過ぎたことは気にしないと過去は変えれないと何度自分に言い聞かせても身動きできない己の痛ましい身体がその思考を許さない。
お金を節約しなくてはいけないので食事を作る家政婦を雇うにもいかない。今まで通り自炊するようにしてる。妻と別れてからは自炊は苦にならず割りと楽しんでいたが、闘病生活、拘束器具をつけての料理は苦痛。食後の片付けなんてもっと気分が落ち込んだ。日常生活すらできないのに仕事や子供達の金銭のことを考えてしまう。生物として生きる事すらできない状態が苛立ちとストレスが溜まった。
ーーー 3ヶ月後ーーーーー
尿管結石の傷も癒え骨折損傷と背骨の神経を溶かす消す治療計画が進み、デッカイ注射を骨にガッツリ打たれたが痛みが嘘のようになくなって投薬とリハビリに専念できる状態になっていった。
ーーー 8ヶ月後 ーーーーー
リハビリと姿勢矯正をこなしながら、社会復帰を願う焦りと生活費と医療費を気にしながら身も心も荒んでいく日々。身支度ひとつも時間がかかるのでイライラしっぱなし。尿管結石の傷は遥か昔に感じる。今は骨折損傷と骨盤と骨の強化をしている虚しい日々を過ごしていた。今まで多くのものを失ってきたが自身の尊厳や心まで失っていたのは初めてだった。それでも希望は治る事がわかってるからそれにすがって毎日を精一杯時間を潰してきた。
リハビリが3か月目になって、ゆっくり散歩ができるようになって人間らしさを取り戻しつつあった。
そんな忌まわしき思い出の備忘録スタートです。
リハビリ生活3ヶ月半が過ぎた時に事件が起こった。
相変わらず寝付けない日々が続いたが急に珍しくトイレに行きたくなったのでした。就寝時には常時装着してるソフトバンドのベルトを外して床に入る。そのままベルトをつけずにトイレまではリハビリも順調に進んでるので問題なく歩けると判断してゆっくり牛歩でトイレに行きました。
問題なく、要を足して(大)です。スッキリ快便。
座面の座りながら流すレバーを押したら、水が流れない。
「ボボ、ゴボ、ボボ」
音がした。
もう一度、流すボタンを押した。
「ゴボ、シューーー」
水位が一旦、減って流れた。何かいつもと様子が違った。
逆噴射
水位が気づいたらお尻側そばまで近づき、私は半ケツのまま飛び上がってしまいました。
「冷たッ!」
慌てて飛び上がったので腰に負担がかかったしまった。激しい痛みとビックリ腰‼️おそらく、人生最初のぎっくり腰に近しい感じでした。何とも言えない痛みで身体を1ミリも動かすことができない。トイレに壁に頭で支えている状態で身体を支えてる。何ともマヌケな姿。半裸のオッサンが便所で組体操をしてる状態。
汚水と共に
汚水と汚物にまみれの水位は便器から今に溢れそうになってきてる。溢れてきた。身動きできない状態でも汚水はドンドン水位を超えそうに溢れ出てる。焦るが身体が動かせない。次第に頭が地面に落ち掛けそうだが耐えることもできそうになかった。私は頭強く打つこと避けるためにそのまま、ゆっくり、汚水で水浸しになってる床に這いつくばる覚悟を決めた。
「ごトーン。。」頬に汚水が触れたのがわかる。
さきほど、私の体内にいた汚物は顔にこびりついた。
急に腰を上げたので激痛だけでなく、動く事すら困難で本当に動くことができない。1ミリでも動かせば激痛が走る。顔面から落ちたの額にコブができてるはわかったが、汚物が顔面につく嫌悪感の方が先にくる。
転倒してる上を見上げれば、便座から汚水が溢れ出てきてる。もう、止まらないほど溢れ出してる。どうしていいのか。。悔しさと汚物と切なさが
止まらない。
もう、『おエエエ』
便所にこだます、嗚咽。
臭い、下水道の臭いだけじゃなく、汚物の臭さ強烈だ。
汚水に塗れて水浸し。
その場から移動するにも、腰が痛すぎて立ち上がれない。
何よりあまりの痛さに動こうとすることが
を身体が拒否してピクリともできない。
汚物と下水が私の体がずぶ濡れで沈む感じだ。
ドアを開けてあるので廊下までドンドン汚水が広がって廊下まで広がった。
まるで、汚水だけでなく便器が私にはこのように聞こえた。
『まだだ、まだ終わらんよ・・・』
汚水と汚物は衰え知らず。止まる気配もない。
人は刻(とき)の涙を見る
なんでこんな目に。。。
便器から汚水が滴ると同時に時間が過ぎていく。汚水に浸かっても冷えた汚水が身も心も悲しく悪臭が覆いそれでも無力な自分だけが認識できる状態にあった。
どうして、こうなった。。
なんで、こんな目に合うんだ。
おっさん(私)、悲しくて切なさで涙腺が決壊した。
もう、涙が止まらない。
下水や汚物が直接触れると精神的ダメージは計りしれない。私のメンタリティは限界に達した。
いい年したおっさんが慟哭し、時間を超越した。もう、その場でふて寝。
涙で便所の横に呆然として考えるのをやめた。
『どうでもええわ!』
人は放心状態で諦めたら何も感じなくなった。
臭いも気にならない。
人は汚物にまみれ、救いようがない状態になると諦めて寝る。
ニュータイプ(革新者)の兵器=糞寝る(ファンネル)は実在したのです。
※悪ノリしました、すみません。
枕を濡らすとは言うが、便所の床で涙を濡らすとは思わなかった。
これほどの滑稽で屈辱に溢れた事態があるだろうか。泣いて、何が悪い。
おっさんだって泣く、泣いて夜を明かすしかできない。
頼みのSNSに命運をかける
翌朝、泣きつかれている間に汚水の逆流は止まったようだ。辺りは悪臭が凄いが既に私の身体の一部一体になっていた。首が痛いが這って、スマホを取りにいき汚水臭い状態のまま年老いた両親に連絡した。
”歩けない、立てない、助けてほしい。”
” 便器破損、うんちまみれ、汚水まみれ
大惨事と動けない。助けてくれ ”
とショートメッセージを送信した。
意味がわからない。
と返信がきた。
当然だ、朝っぱらからこのようなショートメールが届いたら困惑する。
母親はどちらかと言えばカンが鋭い方ではない。ほのぼの系の人だ。
もう一度、SNSを打った。
”うんちまみれ助けて欲しい”
と指を動かした。
背骨や骨盤の怪我を知っているので何かあったのだと父親の方は
気づいてくれた。事情を察知して父からSMSの返信があった。
断片的ではあるが文字数が許す限り父に状態を伝えた。
大惨事をどのようにするか任せるしかなかった。
私はこの状態を脱する段取りに成功したのだ。
父からのメールには便器の修理屋さん到着まで3時間かかるとのこと。
私は悪臭と汚水汚物にまみれて時間がすぎるのをただひたすら待つしかなかった。
ウンコバスターズが到着
2時間程度待った。思いの外早く到着した。インターホンを鳴らさずに管理人と共に両親、一緒に便器の修理屋さんを引き連れてきた頂いた。段取りが早く両親が尽力したのがわかった。
!玄関開口と同時に皆がむせる。
「おええええええええ」
「おえええええええーークッサーーー」
「ひっどい、くさい、くッサー」
業者さんは手慣れていても吐き気をするらしい。
専門業者だけあって、即時には防護服とガスマスクと腐敗が
汚水処理と拭き取り作業がはじまった。
何でも簡単に処理はできないらしく、ものものしい機械で応急処置と配管などが運び込まれ作業に取り掛かった。プロの技が炸裂しても、時折ガスマスクしてても嗚咽が何度もこだます。
「おえええええええ」
「うえええええオえええええ、うええええ」
私はその間にかつがれて、両親によって洗面所で丸洗いにされた。中年のおっさんが親を介護する年齢なのに私が介抱されてるのである。なんだが、もうしわけない気持ちでいっぱいになった。しかも、私を小綺麗に洗浄して病院につれていく段取りまでしれくれた。
もう、心が少しだけ軽くなったと同時にもう一度心の中で何か吹っ切れた感じにもなれた。親はいくつになっても親なんだと染み染み思った。私にも子供が二人いるが我が子をオムツを取り替え、排便を取った悪戦苦闘した頃が懐かしく感じた。思えば我が子のオムツを変える事はこれほど幸せな時間はないのだと思い出した。
排泄物は自分の子供のものしか扱えないのである。子供が親の排泄物処理はできない。一方通行のみが記憶として不快感を超えるから対応できるのであると。この事件で学んだ。
病院帰りのファミレにて
病院の帰りに両親がファミレスで食事をした。年金暮らしで僅かなお金で生活をしてるのに変に気を使って夕食を奢ってもらった。私が支払うと申し出ても彼らは頑なに断った。病人なんだし、ひどい目にあったんだだから気にしないようにと。恐らく家族3人で食事をすることなどもう来ないと感じたのかもしれない。それとも私から助けを呼ぶことがない事を察したからなのだろうか。
両親は車に乗り込む時に以前にも小さく、か弱く、二人で支え合って車に乗り込んだ姿が忘れられない。我が子の汚物を取れるのは親だけなのである。
一晩、汚物と汚水に浸かりながら夜を明かしたおつりは、充分ペイができるほどの親の感謝を頂いた。涙の分だけ人は成長するとはいうけど、私は強くなれたのだろうか・・・。年老いた両親に助けらた。今度は私は彼らを助けることが叶うのだろうか。
父、母へ
生んでくれてありがとう。
助けてくれてありがとう。
どうか、長生きして余生を過ごして下さい。
(その節はありがとうございました、臭かったのに悪いねえ。。)
子供たちへ
君たちが排泄物、汚物を世話しなきゃならない事態があれば
私は処理できる。遠慮なく申し出るように。
配管工の業者様
本当にあの惨状を復旧して頂きましてありがとうございました。
糞まみれの中完全防御服で作業してもらい助かりました。配管工って偉大です。トイレのトラブルは素人には手に終えません。
次回予告
地獄はまだまだ続きます。ノンフィクションなので思い出しながら
気が向けば更新していきます。
※時間があれば都度文字校正修正します。
思い出したくない出来事、地獄のような経験でした。