1人の人間として対話する
気が付けば1月も半分。
あっという間にお祝いムードは過ぎ去って、小売店では鬼やら巻物やらチョコやらが溢れている。
チョコレートといえば、私はちゃんとカカオが1番最初書いてあるチョコレートが大好きで、関東にいるときはサロンドゥショコラに足繁く通っていた時期があった。
一時期テレビで紹介されたことをきっかけに、爆発的に人が増えて今では抽選での来場になったそう。
今年もすごいんだろうな。
お近くにかたはぜひ。私の代わりにたくさんのショコラを堪能していただきたい。
さて私の今年の目標は、
「粛々とただ物事に誠実に向き合うこと」
「準備をしっかりし勉学に励むこと」
他ならぬおみくじの影響なのだけど、直感で動きまくる私にとって、じっくりしっかりコツコツと、と言うのは難儀でありおそらく人生の課題。
そんな私はこのところ真っ向から向かっていること。それは子どもたちのと対話や接し方について
こどもと言えど、1人の人であることを認める。認めると言うか、存在してるんだから当たり前なのだけど、やっぱりどこかで「こうなって欲しい」「こうしてほしい」のコントロールをしがち。
言葉一つの響き、選んだかける言葉の、たった一つでさえも、狭い世界の母からの言葉っていうだけで大きな力が働いてしまう。
一息ついただけでもため息と捉えるほど敏感な娘は、特に慎重にと思って接していた時期があった。優しいからこそ時には突き放さなくては、と思っていた時期もあった。
そんなことを親がごちゃごちゃごちゃやっていたら、子どもは混乱する。現に、わーっと泣き叫んで自分を出してみたり怒り散らしてみたり、そんなこともやっていた。
親になると、当たり前のことを見逃しがちで。というかわかっているはずだと思っていたことが、言葉として聞いたりみたり言われたりすると、はたと胸に突き刺さることが多々ある。
自分の常識は、相手には通用しない
それぞれ見ている世界は、全く違うのだから当たり前のこと。それが大人でもこどもでも。
同じ世界に生きる1人の人として、見え方や感じ方を「そうなんだね」と一旦聞き入れることが本当に大事。
言い訳だけど、生活が一変して自分1人で子どもたちと暮らしていく中で「自分を優先」してきてしまっていた間、子どもたちは心から楽しいという感じではなかったように思う。
楽しいけどどこか遠慮しているという感じ。
空気感をとてもよく読む子達なので、ピリついていることを肌で感じ、いかにそれに触れないようにするかに神経を研ぎ澄ましていたように思う。
親として不甲斐ない反面、気持ち参っていたのでどうしようもなかった。
今からでも挽回できるかな...という気持ちで、いろんな子どもに関する本を読み漁ったり読み返したり、聞いてみたり。
友人に叱咤激励されて、このままじゃダメだとなりながら、今の優先順位をしっかりと見極めながら向き合っている。今ここ。
衝動的な決断や直感のままに生きている私にとって、じっくりと見極めることは鍛錬。
それが報われたと思えるのは子育てが終わってから。答え合わせはまだまだ、遠く遠い。
けれどその時にマルが多いと思えるような答え合わせが見られたらいいなと思いつつ、今はじっくり対話をしていきたいと思う。