私が塾でやってること など
今日は休みでもあり自分の塾の再確認もかねて書いてみようかな。
算数指導で無ければ「一見さん」はたいてい他の適切な塾を紹介します。
学研や公文も「基礎学力」をつけてくれるのはいいのではないかな。
元塾生などからの紹介でしたら 面談して場合によっては1週間で出来そうな簡単な問題集を渡してやってきてもらい 体験指導からお引き受けという流れです。
一見さんでも お電話いただいて話が合うようでしたら 面談します。
「誰でも教えられるような子」なら他の塾にお任せしたい
それが 今の私のスタイルです。
「中国から移住してきました 名前も日本的にしてます」
では、なかなか文化の違いで長くはやれないですね。
以前お母さんが北朝鮮系の方で年配の日本人と結婚されてた方がおられました。お月謝が3ヶ月入らないこともあったり(ご本人は全く平気なようで)文化の違いは大きいです。
中韓どちらかわかりませんが ことわざに
「ウソを10回ついたら事実になる、100回ついたら真実になる1000回ついたら伝説になる」的なものがあると聞いたことがあります。
日本人の誠実至上の正直文化(#こんな日本だからこそ 血液型の傾向が出る唯一の国だと私は思ってます)と諸外国にありがちな
「お前のものは俺のもの 俺のものは俺のもの」
「生きるためには何してもいい」文化は日本には馴染まないと思う。
要は距離の取り方ですからね。付き合うか付き合わないか。
塾の話でしたね。
日本人でも今は外国の文化が入ってきてるので ガム食べながら学習してる子もいます。マスクしてるのでしばらくわかりませんでした。
お母さんはスポーツの方で生きてきてる方なので「話が通じない」かもしれないです。
山奥の清流のような塾なので(と私が思ってるだけ)
雰囲気壊されてもいけないし。
スポーツのご家庭でも前田智徳のところの奥さんや子供たちは常識良識のあることでした。
ガム中1女子は一見さんお断りの範疇でしたが、紹介者があったものでしばし見てます。紹介してくれた方も芸術方面の方だったのでどうかとは思ったのですが・・・。
このままなら私も注意しないし 向こうも気付かないだろうし 方向性が違うことで「お疲れさん、よくやったね」とどこかのタイミングで塾の卒業をと思ってるところ。
お互いのために「切った、張った」で追い出す時代ではないと思ってます。
昨日 2年くらい通ってる5年生のお母さんに年聞かれて
「65です」と正直に答えたらびっくりしてた。
頭の毛が薄くなかったら まだ若く見えようが、さすがにそれはじいちゃんからの遺伝で無理。
20年以上病院や神社に行ってないですが、一応の目標は40年です。
最近では散髪も自分でしてる。
あー
今日もいい一日です。
それぞれがそれぞれの個性と成長、情緒に合わせて
「居場所」「行き場所」「生きる場所」がありますように。
7月半ば不登校気味の子のお母さんとお話します。
遠くから学校に通ってるようだし
時間的・体力的・精神的に限界が来たのだろうと思う。
以前の家庭(30年前くらい)ならお母さんが家にいて子どもの様子に気付き、それなりの対応や家庭生活で子供の方も安心感が得られてたと思うのですが、いまはお母さんが仕事されていたりと、お母さんたちも自身が生きるのに一杯一杯なのではないかな?
子どもが倒れたり不登校になってはじめて気付くのだと思う。
不登校だけでなく いろんな精神障害で精神科に勧めらて 行くことことは止めませんし 場合によっては効果あるとも思います。
不登校で親子で行ってたのを何人も見てきて思うのは
学校から紹介してもらって「親切な先生」「親切な学校」という印象を受けられてましたが
私から見たら「学校としては退学の手続きの一つ」だったのではなかったかと。
精神科の先生自身や薬も万能ではないのでね。
自閉症や鬱などは私の妄想見方は
「過去世での戦争体験者、殺した側か殺された側か」
または「災害体験者、大事件大事故の体験者及びその関係者」か?
これはもう、深く深く癒されることを祈ってます。
被害者側やったり加害者側やったりとカルマにより転生を無限ループで繰り返させられてくたびれてないかと。
「被害者」「加害者」「支援者」「協力者」やって
やがては「観察者」に至れば「これらの演目で演じられてたドラマ」が何であったのか・・・とね。
自分に合ったことをすること。
それは外からわかることもあれば
自分にしかわからないことかもしれないのでね。
みんなが同じことして競う時代は終わると思う。
個性に合わせてレベルに合わせて愛と平和で自由に生きられる時代が来てる。
昨日は七夕祭り
いよいよ
天の川銀河を中心舞台に 魅力菩薩たちの共演による 弥勒菩薩主催の人類の覚醒大祝宴会は近いと 妄想逞しくしてるこの頃。
読んでくださった方に感謝します。
良き人生をね。