自己評価マイナスだった私が、自己評価78点になるまでの話
私は、2年前まで、自分のことが大嫌いでした。
でも今は、自分のことを愛おしくさえ思えます。
そう思えるようになったのは、ひたすら自分と向き合い続け、悩み、選択してきたからだと思います。
タイトルにもあるように、自己評価マイナスだった私が、自分好きになるまでの2年間の歩みを、今日は備忘録も兼ねて書き綴ります。
お暇があれば、お付き合いください。
毎日泣いて、先が見えなかった2年前
私は2年前、看護師として働いていました。
毎日のように泣いて、少しずつ仕事を覚えて乗り越えた1年目。
そんな新人時代を乗り越え、このまま看護師として死ぬまで働き続けるのか、とぼんやり考えていました。
新人の時に感じたこと。
それは、治療をしても全員が助かるわけではない、ということです。
人の命に限りはあるから当たり前だけど、現場でそれを目の当たりにしたとき、私には重く、受け入れることができませんでした。
もちろん、治療が成功して完治した患者さんも、たくさんいます。
ただ、自分の看護の未熟さや、不甲斐なさ、やりきれない思い。
私の手で、この人の命を奪ってしまったらどうしよう、という恐怖。
2年目になってからも、そんな思いが、消えることはありませんでした。
何がきっかけだったのか覚えてないのですが、自分の中の糸が”プツン”と切れてしまった瞬間がありました。
とにかく苦しくて、抜け出したかった。
そうやって逃げようとする自分のことも、嫌いだった。
誰も私のことを知らない場所に行きたい。
そう思って、海を見に行くことだけを目的に、鎌倉に行こうと決意しました。
どうして鎌倉だったのか、どうして海だったのか。
距離的にちょうどよかった、何度か行ったことがある。いくつか理由はありますが、はっきりとしたことは覚えてないのです。
今振り返ると、呼ばれていたのかな。と思います。
人生を変えてくれたぶっ飛んだオーナー
たくさんの宿泊施設がある中で、古民家のゲストハウスに惹かれ、初めての一人旅in鎌倉を決行しました。
ゲストハウスに泊まったことはあるけど、目的もなく1人で鎌倉に行くのは初めて。周りにどう見られているのか、1人で寂しい奴と思われていないか。
一人旅なんてかっこいい響きだけど、実際は周りの目を気にして、不安と緊張でいっぱいだったのを覚えています。
「こんばんは」と出迎えてくたのは素敵な兄さん。
そんなお兄さんが「お客さんと一緒にお酒を飲みませんか」と誘ってくれたのです。
私は知らない土地の、ゲストハウスという場所で、知らない人と繋がれる喜びを感じました。
お兄さんの友人というフランス人(だったかな)と翻訳アプリを使いながら、チグハグな英会話をしたり、ワインの飲み方を教えてもらったり。
日本にいながら異文化に触れて、医療関係者ではない人と話した夜は新鮮で、とても心地良い時間でした。
「明日食器を見にいくんだけど一緒に行きますか?」というお兄さんのお誘いを受け、翌日お兄さんとオーナーと出かけることになりました。
初日で新しい世界に触れ、私はすでに刺激を受けていましたが、ここで今までの生き方や価値観をぶっ壊してくれた人物に出会います。
それが、ゲストハウスのオーナーだったのです。
一見真面目そうなオーナーは、私が今まで出会った人の中で一番ヤバい人でした。
働きすぎて倒れたけど、しばらく放置された話とか。
その後病院行って、ベッドから動けないのに上司に働けと言われた話。
旅をしてお金がなくなって、ホームレスのおじさんと一緒にお金を稼いだ話。
そのおじさんに「お前には帰る家があるんだから、帰れ」と言われた話。
こんな経験をした人が本当にいるのか。と驚き、衝撃を受けました。
太陽は神様だとか、大事なのは愛だとか。見た目からはイメージつかない言葉を何度も口にして。「人生は一回だから。好きなことした方がいいよ」と、何度も私に伝えてくれました。
私からすれば、オーナーはすごい経験をしているのに、面白おかしく、そして穏やかに語ってくれたことが印象的でした。
人生は一回という言葉が忘れられず、それから自分の人生について考えるようになりました。
初めての一人旅in鎌倉を終えて帰ってからも、ゲストハウスでの出会いは忘れられず、私の心にずっと残っていました。
それから何度も鎌倉へ行って、オーナーに会いにいったり、他のゲストハウスを巡ったりして、たくさんの出会いがありました。
鎌倉に住み、鎌倉で働く人たちはみんな幸せそうで、みんな「自分の人生」を生きていました。
目的もなく鎌倉に行って、海を見て、現地の人や旅人と話す。
鎌倉に行くたびに「私は何がしたいのか」「自分の人生はこのままでいいのか」と考えるようになりました。
変わりたかったから、自分に問いかけ続けた
冒頭でも話したように、私はずっと、自分が嫌いでした。
文句を言いながら、口だけで行動できない自分が。
苦手なことや嫌いなことから、すぐ逃げてしまう自分が。
過去の辛かった経験を、いつまでも憎んでしまう。
自分が行動できないことを、人や環境のせいにしてしまう。
自分のことを嫌いな自分が、大嫌いでした。
でも本当は、そんな自分を変えたいと、ずっと思っていました。
私はいつまでモヤモヤしているのか。いつ変われるのか。
少しずつ、私という人と、向き合えるようになってきました。
看護師になった理由は?
→母親と担任の先生に勧められて、安定と資格が欲しかったから。地元で訪問看護をしたかったから。
今の仕事を続けたい?
→正直しんどい。命と向き合うのが怖い。毎日が辛い。
明日死ぬとしたら何がしたい?
→旅をして綺麗な景色を見たい。好きな人に好きって言いたい。
どんな人生にしたい?
→後悔したくない。楽しく生きたい。周りに感謝できる人になりたい。
何度も、何度も、自分と向き合い続けました。
辛かった過去も、悲しかった過去も、思い出すたびに泣いたけど、逃げたくなかった。
自分の好きなところも嫌いなところも、人に言えないような、本当の気持ちも。
全部を受け入れて、自分のことを認めてあげたい。
自分の気持ちを大切にして、幸せに生きたい。
それが私の気持ちでした。
考え始めるとキリがないし、眠れなくなってしまうので、心の整理として気が向いた時だけ、日記を書くことにしました。
誰にも見せられない本当の気持ちを書くことで、自分の中の”やりたいこと”と”やりたくないこと”がはっきりしてきました。
感情のままに書いた日記帳は、日によって筆圧や文字の形に違いがあって、現実と理想に葛藤した証拠が残っています。
今も気持ちの整理をするときは、日記を書いて振り返るのですが、あの時はこんな気持ちだったのか。と感慨深くなります。
振り返るたびに「頑張ったね私」と褒めてあげるのです。
自分の気持ちと戦った日記帳は、私の大切な宝物です。
はじめて未来を変えた瞬間
自分と向き合う中で、やりたいことが少しずつ見えてきました。
もっと患者さんとじっくり関わりたい。
医療よりも看護を提供したい。
笑顔で退院する患者さんの顔が見たい。
最初に配属されたのが、ガン治療の病棟だったため、毎日点滴や処置に追われていました。
本当は訪問看護がやりたい。
祖母がリハビリを受けていたこともあり、患者さんの回復する姿が見たい。
鎌倉に初めて行ってから半年後、私は異動届を出しました。
異動しないまま悩んで過ごすより、たとえ失敗しても、挑戦した方が後悔しない。と思ったのです。
誰にも相談せずに、師長さんに伝えました。
初めて自分の気持ちに素直になり、行動して、未来を動かした瞬間でした。
一度自分の気持ちに素直になり、行動してからは、挑戦したい気持ちがどんどん出てきました。
今までできなかったこと、やってみたかったことをたくさん実行しました。
・気になってたシェアハウスに住んでみる
・エアーズロックを見たいから、初めての海外旅行に行ってみる
・職場の二次会に参加してみる
・自分にとって心地良くない人とは距離を置く
・ブログを始める
・SNSで自分の気持ちを発信してみる
・歯列矯正を始める(これは大きかった!!)
私はどうしたいのか?どうすれば後悔しないのか?納得できるか?
一つ一つ決断するたびに悩んだけど、ブレなかったのは自分の気持ちに素直になること。
自らの意志でとった行動に、後悔することは一度もありませんでした。
行動するたびにたくさん学ぶことがあって、うまくいかなかったとしても「しょうがないよね〜!!」と笑えるようになりました。
失敗さえも、経験だと捉えることができました。。
そんなふうに行動を積み重ねているうちに、私もやればできるんだ!という自信がつき、自分を好きになっていきました。
自分の気持ちを優先できるようになり、改めて
本当に看護師を続けたいのか?いつ行動を起こすのか?と考え直します。
そして、看護師を辞めることを決意するのです。
あの時の選択に、今も後悔はありません。
自己評価に限界はない
そしてタイトルの自己評価78点!この2年で急上昇しましたね〜。
2年前、鎌倉に行く前の私は、自分に自信がないマイナスちゃんでした。
でも、自分の気持ちに素直になると決めた今の私は、スーパーハッピーガールです。
今の私が自分の選択に自信を持っていられるのは、一歩ずつ自分の意思で行動してきた私がいるからだと思います。
良い時も悪い時も、その全てが私なのです。
今でこそ自分の行動に自信はありますが、まだまだ認められていない部分も、たくさんあります。
ずっと自分の顔と体型がコンプレックスで、周りに褒められたとしても、自信が持てませんでした。
歯列矯正をして、ガミースマイルが少しはマシになったけど、やっぱりなんかブス。
鏡や窓ガラスに映る自分の体型は、バランスが悪くてだらしがない。
可愛い友達を見るたびに、妬んで、僻んで。
そんな自分が醜いと負い目に感じ、外見に関して自信を持てない自分がいました。
そんな自分を終わりにしたい。と思った時に目に入ってきたのが、SHEbeautyプロジェクトでした。
“美しさ”を再定義をする。
自分らしい美しさを実現する。
「ああ、私こんな世界を望んでいたんだ」と、救われた気持ちになったのを覚えています。
誰かに言われた”美しい”ではなく、自分自身の”美しい”を見つけたい。
「これが私です」と自信を持って笑いたい。
だから、熱い想いを載せてモニターに応募しました。
ありがたいことにモニターに採用していただき、ただいま絶賛ボディメイク中です……!
SHEbeautyを始めてから3週間弱。
すでに自分の心と体の、変化を感じています。
顔を出すことは緊張したけど、応募してよかったと思っています。
あと一ヶ月ほど続くのですが、一ヶ月後に自分がどんな姿になっているのか、とても楽しみです。
実はSHEbeautyに応募するときに、自己評価の点数をつける欄があって、それが78点だったのです。
すでに高めの自己評価なのですが、私の考えとしては、100点が満点ではないと思っています。
私は自己評価に”限界”をつくるのはやめました。
限界をやゴールを決めずに、どんどん自分を好きになればいい。
100点、120点、200点、300点……
「今の私が好きです!」って笑顔で言えるように。それができたら一番最高。好きな自分を、もっと積み重ねていきたいのです。
笑いながら”ありがとう”と言える人生に
SHEbeautyは”自分自身の美しさをつくる”がコンセプトなので、自分と向き合う練習をたくさんします。
だから改めて自分と向き合ったときに、noteに書き留めておきたいと思ったのです。
私は、これからも自分の気持ちに素直であり続けたい。
自分を大切にしながら、大好きな人たちと笑っていたい。
そう感じています。
ありがたいことに、学生時代から社会人まで、周りの環境にすごく恵まれていました。
先輩方は今でも気にかけてくれて、連絡をくれて。
このnoteを書きながら、泣きそうになるくらい、大好きな人たちです。
私が3年間、看護師を続けることができたのは、支えてくれた方々がいたからです。
だからこそ、看護師としての経験は決してマイナスではなく、私の財産であり、私の全てです。
そして、私のことを支え、笑顔にしてくれる友人。
どんな時も受け入れてくれる家族。
みんなが私を助けてくれました。
だからこそ、大切な人を、大切にできる人間でありたい。
”ありがとう”を積み重ねながら、人生を送りたい。
noteに書くと知り合いが見るかもしれないし、ちょっと恥ずかしい。勇気が必要だったけど、すごくスッキリしています。
ちなみに私の今の夢は、留学でも世界一周でもなく、地元に貢献することです。地元で訪問看護をしたい、と思っていたくらいに、大好きな地元。
そこで新しい風を吹かせられる人になりたい。
そのために、今は自分に何ができるのかを探して、ぶつかって、挑戦していきたいと思っています。
今の人生が最高に楽しい。そう思える人生を、これからも送りたい。
長くなりましたが読んでいただき、本当にありがとうございました。
頑張るぞ〜〜、わたし!!