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深夜ドラマみたいな日

大学生の一部には全休なんてもんがある。平日なのに授業がない丸一日休みの日のことだが、この言葉がどれほどメジャーなのかはイマイチよく分からない。

人生の大半を「どれだけ楽できるか」にかけてる人生エンジョイ勢の私はなんと、週に2日も全休があったりする。楽をしすぎて社会に出たあとのことが今から不安だ。
そんな全休だが、これが意外と充実させることができない。平日に挟まってるせいで羽目を外せないし、友達や星とも休みのタイミングが合わないから会える人もいない。何より結局バイトを入れていたりしてあんまり休みって感じもしない。

さて、今日も今日とて全休な訳だが、やはり充実させられない。朝遅めに起きて、ゆっくり朝ごはんを食べて、なんとなくタスクに手をつけて進捗とも言えないような進捗を生み出してだらだらとYouTubeを見る。みんなは何をやってるだろうか。星は今日も授業があるから朝から大学に通って真面目に授業を受けているのだろう。みんながいつも通りの密度で一日を送る中、自分だけがこんな味付けのない生活をしてる。その対比が余計に虚無感を膨らませる。あまりのなんにも無いに耐えきれずせめてカルチャーに触れようとテレビをつけて録画リストからなにか映画でもないかと見繕う。ふと自動録画された深夜ドラマが目に止まる。それはあるエッセイをドラマ化したもので私はちょうどその本を読み終えたばかりだった。非常に良い本だったのでドラマもいいはずと再生ボタンを押す。



まあ見れたもんじゃなかった。

キャスティングもあってない、深夜ドラマらしいというかその局らしいというかのコントチックな演技も信じられないミスマッチを起こしている。そしてその「作り物っぽさ」が元のエッセイにあった一人の人間の実体験としての深みを完全に消していて、驚くほどの虚無が広がっていた。ただ、その虚無感に今日の私はなんとなく親近感を持ってしまって結局最後まで見てしまった。

結局、虚無感は埋まらない。充実もしない。次は充実した楽しい休みにこのドラマを見よう。そう誓いながら私はテレビの電源を切って、また一人の人間の実体験とは思えない、味のない全休へと戻っていった。


写真は京都のいい感じの鴨川、特に意味は無い。

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