138億年の時間の中で ☆第21話☆「許可されたいんじゃないの」
地元の小学校に通ってきた時の長男は、ある時期からちょっとだけしんどそうでした。低学年の頃までは支援級を中心に時間を過ごしていたんだけど、学年があがると体育や図工などは普通級で授業を受けることが増えてきました。そのころから少しずつ学校から足が遠のいていくようになりました。私が知る範囲では、先生やお友達から意地悪をされたことはなさそうだけど・・・。どうしてかな??
長男が通う支援学校の先生がたは、オーバーなくらい明るい笑顔で毎朝、登校してきた生徒たちを迎えてくれます。帰りもスクールバスに乗った生徒たちに手を振ってくれます。身を置く場所によっては、ともすれば、「この場にいさせていただいてありがとうございます」って謙虚を飛び越えて卑屈な気持ちになりがちな保護者も少なくはないのだけど、学校とあーちはそんな風に思わないでいられる居場所。先生や学生さんたちの在り方を見ていると、「愛とは情じゃなくて行動。だから訓練が必要。」そんな言葉に説得力を与えてくれます。
「今日は学生さんがいっぱい遊んでくれたんだよ」と夫に報告すると「学生さんが長男にあそんでもらったんじゃない?」と。
図々しくもある返しに、なるほどと思うわけです。
息子も私も、「ここにいてもいいよ」なんて許可をもらうよりも違うものを求めている気がします。ましてや「トラブルを起こさないいならね」なんて条件を付けられちゃうとなんだか居心地が悪くって安心できない。それは障がいがあるなしに関係なく、誰しもが感じることだと思います。学校も、あーちも、長男と過ごすことが嬉しい、楽しい、と思ってくれているのが伝わってくるから、彼は居心地がいいのだと思うのです。
私は子ども達の突飛な行動や、遊びに夢中になる様子を見ているだけで、あ~、なんて面白いんだって思っちゃうのです。そう、遊んでもらっているのは私の方。
子どもだけの世界はケンカや仲間外れなんて当たり前で、だからこそ子どもなのだとしたら、せめて大人は誰かに対して条件を設けるのは出来るだけ少なくして、より多くの人へウェルカムの姿勢でいられたらいいなと自分に言い聞かせつつ、色んな子ども達の笑顔につられて私も笑顔になったりするのです。
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