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#089 ジブン貸借対照表 その2(大学から現在)

先回に引き続きジブン株式会社の貸借対照表を続けていきます。
今日は一人暮らしを始めた大学時代から書いてみます。

一番言いたいことは最終章「見えない資産をどうやって獲得してきたか。」に書きました。時間の無い方は目次からそちらを参照ください。


大学

大学生になってからは実家を離れ、長野県での一人暮らしをはじめました。
高校までと違い、自分の持っているリソース(時間、お金)の使い道を自分で決めなくてはならなくなりました。
お金で言えば家計のやりくり。
時間で言えば半分くらいの授業は自分で選ぶし、授業以外の時間を何に使うかは完全に自由です。
つまり、自分のアセットをどのように伸ばすかもこの頃から選択して自分で決めることになります。

いま、思い返してみるとかなりの時間を勉強以外に投資しており、ここで伸ばしたスキルは今も役に立っていると感じます。

ひとりぐらし(生きるチカラ)

一人暮らしをすると、日々の掃除、洗濯、買い物、料理、皿洗い、ゴミ出し等の家庭を維持する活動を全て一人ですることになります。加えて、生活に関わるお金の管理や支払いもその頃覚えました。
銀行振込といった普通のことも、この頃に初めて覚えました。
とにかく、ひとりで一世帯の生業を全て行うことを覚えたのは親の寛容さのおかげです。
銀行通帳の残高を見ながら、次の仕送りまでの間を計算して1日にいくら支えるのかを考えました。当たり前かもしれませんが、10代でこれをやったおかげでお金を管理することができるようになりました。

獲得した居場所(フリーライドしない)

人間関係がゼロの新しい街で一人暮らしを始めた私は、大学生活での仲間探しを始めました。
サークルの”新歓”セミナーをはしごし行き、先輩の雰囲気を感じ取り自分に合う場所を見つけました。
高校の頃にバンド活動の快感を知ったことから音楽関係に目星をつけ、軽音楽部と合唱団という音楽サークルを選びます。

なりゆきもあり、合唱団はで自分の居場所を作るべく、100人を超える組織を運営する側を経験しました。
誰かが用意してくれた居場所にタダ乗りするのではなくそのコミュニティを運営していく側に回ると見えてくる景色が変わります。
端っこの方で文句をいいながらクダを巻く人たちとは一線を画した、主催者としての目線で関われるようになりました。つまりオーナーシップ。

変人との出会い(聴くチカラ)

軽音部では留年を続けて8年生になった先輩と一緒にバンドをやりました。
合唱団でも7年生、6年生の先輩たちと、朝まで宅飲みしながらヘルマン・プライを聞く日も。
バイト先では飲食店では親世代のオーナー夫婦に可愛がってもらい、山歩きの話や、料理人の厳しい世界を垣間見させてもらいました。
高校までの生活よりも、幅広い変な人たちとの出会いがあり、感受性を育ててもらい、そういう人たちとどのように接したら良いかの「話の聞き方」の能力を身につけてきました。

クラシック音楽(音感と聴き方)

合唱というクラシック寄りの音楽に傾注したので楽譜とドイツ語とラテン語が読めるようになりました。加えて自然音階である純正律でのハーモニーなどかなりマニアックな音感を獲得。
(ピアノのチューニングに使う音階ドレミも種類があるなんて普通知らんし。。。ましてや音階そのものて誰がどうやって作られたかなんて。。。。)
聴きながらジブンの心を観察するという音楽や楽器の聴き方もここで身につけました。

最初の会社

新卒で配属された福井県大野市での暮らしは、ワイルドさに満ちた刺激のある暮らし。冬の間は50cmの雪が降る地域で、毎日雪かき。雪の無い国で生まれた私は雪かきは珍しく楽しいモノでした。

福井県の山間部に配属されたこの時期は、安全地帯を離れて新しい環境に飛び込む力を鍛えました。一人呑みでふらりと入った店などでマスターとおしゃべり。人脈作りやコミュニケーション力を磨きました。
同時に職場ではPCとエクセルスキル(VBAでの業務改善)だけでなく、計測機器や統計解析の知識も得ることができ、仕事の基礎を固めた時代でした。

特に社会人になってからも勉強を続けるスタイルは師匠「イワぶっさん」の影響が大きいです。ウィットに富んだ飲み話も面白いので学問的だけでなく幅広い経験(今で言う人文知)の重要さを感じたことも覚えています。

今の会社へ転職

自動車業界へ転職(英語のできる工業系エンジニアへ)

年収アップを目指して愛知県へ転職、会社を選んだ基準は社内の教育充実。
その充実した社内教育を最大限活用しました。
 会社の補助を受けながら自費で英会話トレーニングを受けました。おかげで苦手だった会話ができるようになり、TOEICのスコア向上。これがアメリカ赴任指名へのきっかけでした。
 電子回路やPLCプログラムなどもそれぞれOff JTトレーニングの機会に応募して基本を習得し、実際の設備設計に活かしました。
 苦手意識のあった機械系分野も製図の本を買って、図面を書いていくうちにコツを掴みます。
生産設備の仕様決め、設計/組立て/プログラムまでやり、ライン投入まで実施したことで、どんなものでも「人が思いつくものは作れるんだな」変な自信がつきました。
ロボットを使ったはんだ付け装置に取り組んだことで、はんだ付けの基本であり、応用についてもこの頃に深めることができました。

北米時代(チーム組成力、コーヒー焙煎)

アメリカ赴任時代は、生産管理の実践を通じて現場での課題解決力を身につけます。不良品低減のために本当に必要な当たり前のこと。チーム組成のポイントや物流の最適化をカラダで学ぶことができました。

そして、不本意にもリコールを経験。
緊急事態への柔軟かつ強靭な対応力も養われました。
もちろん、英語についてもこの頃が一番伸びました。通訳なんてついてくれない下っ端ですので生き残るために必死。黒人英語と白人英語、北部、南部の違いがはっきり説明できるくらいに自然と上達しました。

コーヒー焙煎を始めたのもこの頃です。生豆(グリーンビーンズ)を通販で購入してポップコーンメーカーでコーヒーを焼いていました。

ラーメンの麺が売っていないので自宅でホームベーカリーとパスタマシンを使って打ったことでなんでも作れる自信をさらに深めます。

日本へ戻って(健康な体、空手、ビジネス感覚)

体づくり、空手

北米時代の無茶な生活がのせいで体重が増えて腹がました。体づくりのためにジムに通い、長男と一緒に伝統派空手を始めました。更には大東流という古武術まで。週4で稽古に行く日々を2年ほど過ごします。孫悟空ばりに修行ばっかりしています。

コーヒービジネス

会社員生活が20年を超えた頃に勤める会社で副業解禁となりました、そこで新たなキャリアを考えるべく副業を開始。マーケティングスキルと会計の勉強のためにStoresでコーヒーを売り始めます。tomajoDAOというコミュニティーの仲間とともにマーケティングを勉強させてもらい、マルシェも一緒に経験。
ここではビジネス感覚が少し身につきました。


見えない資産をどうやって獲得してきたか。

自分の持っている見えざる資産(インビジブルアセット)はまさに私と言う人材の価値を無理やり見える化したものと言えるでしょう。気づけば見えない資産が結構な数あります。(説明するために文字数が足りないのでいくつか割愛したほどです。)

それらを俯瞰して遡って見ることで気づきました。
親から機会とお金を借り入れして作った最初の資産は小さなものでした。

それを
大学以降に再投資を繰り返してジブンバランスシートを成長させてきたことがわかります。

それはなんとなく資産の複利運用みたいなもので、小さな核をつくって転がし続けていけば大きくいろいろなものを取り込んで大きく育っていくのです。

[余談]
あんなちっちゃかかった自分が「ずいぶん遠くまできたものだ」と言う感覚と
「限界なんてこんなもんじゃ無い、こんなんじゃ無い」(by pillows)という感覚両方あります。

自分に無いものを数えるのではなくて、今自分が何を持っているかをもう一度数えてみる。重要ですね。やる気出てきました。

次回の記事で自分のために
インビジブルアセットにいて改めて羅列してみます。

でわ、週末楽しんでいきましょう。
ばいちゃ!

背景は勉強する長男


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