転生しない移動音楽団日記⑬〜1人と12匹の世界観編〜
【Episode:12-燕と魔人と月の機嫌】
まだ昼下がり、家族達が公園から戻るには早い。
桃が戻って来たのは忘れた帽子を取りに来たからだった様で、すぐに公園に走って行った。
白いレンガで造られた巨大な城の中にあるドクターアキラの部屋には、自分の拠点からアポ無しで行く事が出来る。
とりあえず見えないだろうが日記帳と鍵、例のVIPカードを準備しながら、内心少し焦っていた。
連休最終日。一度日記帳を使っているのだから、だらだらと長居は出来ない。
明日は朝イチでスケジュールが入っている。
何が起きても気持ちを落ち着ける余裕が無いと、仕事に影響が出る。
何だか偉い人の所にアポ無しで乗り込むのは気が引けるが、可能性があるのなら行くしかない。
思い切ってドクターアキラの元へ。
「これは、珍しいお客様ですね。お久しぶりです、ドクター夕月。」
壁一面本棚で埋め尽くされた部屋。ピカピカに磨かれた革靴と燕尾服。
柔らかな笑顔のアキラは、私の事を覚えている様だった。
ん?ドクター夕月?
そうか、あの時は音楽の博士と名乗ったのだった。
「ドクターはよしてくださいよ、むず痒いんでねぇ。良く覚えてるね、私の事を。」
「では夕月さんと呼ばせていただきましょう。移動音楽団のお噂はかねがね。団長。」
今は12匹の大所帯だとか。桃は元気ですか?どうぞおかけください、とコーヒーの準備をしながら訪ねるアキラに、少し違和感を覚える。
穏やかでマイペースなのに、隙がない。
どうぞと出されたコーヒーから豊かな香りが漂う。
「貴方は正直ですね。何を知りたいのですか?」
応接スペースの大きなソファ。テーブルを挟んで私の正面に座ったアキラは、いきなり切り出して来た。やっぱり、隙がない男だ。
私はVIPカードをテーブルに置いてコーヒーを啜る。
「覚えているかい?このカードの時の事を。」
「ええ。あの時は9匹とご一緒でしたから、皆様でお楽しみいただける様に僭越ながら。」
「9匹?見学に行ったのは8匹だけど?」
「9匹目をお迎えにいらっしゃったではありませんか。桃の事ですよ。」
何だ?迎えに来た?
あの時、桃と家族になるのを分かっていたのか?
怪訝な顔で眺めていたせいか、アキラがプッと吹き出してカップを置く。
「貴方がリヴリーアイランドにいらっしゃってから、私は不思議で仕方なかったのです。なぜ貴方はリヴリーと会話が出来るのか、1度に1匹以上連れて歩けるのか、ね。」
「家族になって通心が出来たら話せるだろう?今も12匹だけで公園に行ってるんだ。」
アキラは顎の下で指を組むと、これはまた、と興味深そうに私に笑いかける。
「ご自身の矛盾に気付いておられないとは驚きました。迎えたリヴリーと会話が出来るのも不思議な事ですが、貴方は桃を迎える前から会話をしていたではありませんか。」
考えた事も無かった。
日記帳で見てきた私に無い記憶。アキラの言う通り、どの子も迎える前から小さく声が頭に聞こえて会話をしていた。
リヴリーと会話が出来るのが不思議な事?
私はいつもあの子達の声が…。
「なぁドクター。リヴリーと会話は出来ないのが一般的なのかい?あと1匹以上連れて、ってのは、12匹と同時に行動出来るのがおかしい…」
「落ち着いて下さい。知らなかったのなら無理もありませんね。順を追ってご説明いたしましょう。」
デスクから資料を取り出し、パラパラと捲りながらこれだと呟きソファに座り直す。
今更怯えても仕方が無い。手掛かりが欲しいと、自分から出向いたんじゃないか。
「最初から、貴方が迎えたリヴリー達が単独行動を取っていたり、12匹いっぺんに連れていても話しかけ無い様にと巡回担当の研究員には指示を出してあるのですよ。」
通常、ホムはリヴリーを何匹迎えてもアイランドに出せるのは3匹まで。
散歩などでホムと拠点以外を一緒に行動出来るのは1匹のみ。
リヴリー単独で行動は出来ない。
15匹までならホテルヴィラに宿泊できる。
リヴリーは個体毎に決まった鳴き声しか発声せず、会話は一切出来ない。
拠点にホムの別室は存在しない。
移動音楽団の様に、拠点を自由に移動、旅をするのは不可能。
「以上が、貴方とリヴリーアイランドの矛盾、貴方にしか出来ない事です。」
今までの全てが崩れる様な、衝撃。
会話が出来ない?12匹で移動出来ない?自由に行動出来ない?
「貴方達は私が長年研究を続ける中で現れた特殊なホムとリヴリーの形、まさに求めていた理想の関係なのですよ!」
自分が愛したリヴリーと会話が出来るなんて、夢のようじゃありませんか!個体制限がなく共に行動でき、拠点も移せるなら旅だって可能。
移動音楽団はまさにリヴリー研究の集大成!
心底嬉しそうに語るアキラに、静かに尋ねる。
「あの子達は、今公園で音楽団の宣伝をしているんだそうだ。他のホム達には…その、鳴き声だけが聞こえているのかい?」
お世話になった街に恩返しがしたいという家族達の可愛い願い。
もし会話が出来ないのなら、あの子達はどんな思いで宣伝を続けているんだろうか。
「それが不思議な事に、貴方達が訪れた場所では、言葉は聞こえなくても何を伝えようとしているか分かる様なのです。」
実際に観察を続けている研究員達も同じ証言をしており、皆不思議な感覚を覚えるそうです、と資料を眺めながら笑う。
「今、研究員が観察していると言ったのか?」
「失礼、語弊がありましたね。」
少し勢い良く話し過ぎました、と、コーヒーを飲みながら私の目を真っ直ぐに見つめる。
「貴方達の関係の謎が解明出来たら、全てのホムとリヴリーが今よりももっと素晴らしい日々を過ごす事が出来ると考えております。心許ないかもしれませんが、巡回担当の研究員はボディガードと思っていただければ幸いです。」
研究所に連れて行ったり、貴方達の日常に支障をきたす様な事は一切いたしません。このまま素晴らしいリヴリーライフを送っていただきたいのです!と話すアキラは、終始嬉しそうに笑う。
どうやらアキラと巡回担当の研究員達には、希望の星の様に歓迎されている様だ。
家族達の宣伝活動と思いは伝わっているのだろう。
「そういえば、ドクターはなぜ私が桃を迎えに来たと思ったんだい?」
「あぁ、この様な論文にも書けない事を申し上げるのは研究者失格かもしれませんが…。」
少し恥ずかしそうに言葉に詰まりながらも、小声でこっそりと続ける。
「何となく、分かるのですよ。このリヴリーはこのホムに迎えられるというのがね。」
内緒ですよ?と少年の様に笑う、リヴリー研究に全てを捧げる一族の、等身大の一面を垣間見た。
まぁ、あんなクソ研究員もいる様だから、人選はしっかりして欲しい所だがねぇ。
「いかがでしょう?少しは気持ちが楽になりましたか?何やら随分と必死な様子でいらしたものですから。」
「晴れたと言うよりは衝撃だったねぇ。話せたり旅が出来るのは当たり前だと思っていたから。」
その貴方の当たり前を、皆の当たり前にしたいのですよ、と微笑むアキラは、飲み終わったコーヒーカップを下げようと伸ばした手を止めた。
「ドクター?」
「あの、1つお伺いしたい事が。」
「なんだい?私で答えられる事なら…」
「Blue Moon様という方とはお知り合いですか?」
うっ、何と答えたら良いものか…。
それは現実の私のアーティスト名ですとは言えないしねぇ。
返答に困っていると、アキラは更に続ける。
「最初からギターを持っていたでしょう?貴方がリヴリーアイランドにやって来る数ヶ月前に、手紙が届きまして。貴方の初期アイテムにだけギターを用意する様にと。」
リヴリーに、来る前?
私がこのゲームを知る前に、Blue Moonからこの世界に手紙が届いていた?
「…なぁ、そのBlue Moonっていうのは何者なんだい?名前を聞いたのは2度目でねぇ。」
「私も詳しくは存じ上げませんが、リヴリーアイランドの治安を守っている上層部は何故かすんなりと聞き入れた様なのです。」
私の意志が及ばない所にBlue Moonが、いる?
なら日記帳や鍵のアイテム化を望んだのは、私ではないのか?
「その上層部って所には行けないのかい?」
「私もお会いした事はございません。上層部が何処に存在するのかも不明なのです。ただ、通達だけが届くのみでして。」
お知り合いではないのですね、と考え込んでしまったアキラの向かい側で、震えが止まらなかった。
マハラジャも、アキラも名前しか知らない。
上層部…恐らく運営なのだろうが、Blue Moonの要求は通るのか?
何者なんだい、「そのBlue Moon」は?
「どうされました?顔色が悪いですよ?」
「今何て言った?あんたも顔色が悪いですよ、だって?私はホムだぞ?」
おや、それはまた。と驚いたアキラは、しれっととんでもない事を言ってのけた。
「貴方は最初から人間ではないですか。リヴリーとの通心に特化する様に進化したホムではなく、ホムに進化する前の人間の姿。」
「何を言っているんだい?この前窓に映った私は、ホムの姿をしていたがねぇ?」
困ったアキラは、棚から手鏡を取り出した。
「これは私専用のアイテムです。人前に出る仕事をしておりますので、ホムを映す鏡がないと不便でして…マハラジャに頼んで作ってもらいました。」
ご覧になられますか?と差し出された鏡を見ると、映っていたのは、人間の私。
日記帳で見ていた姿そのままの、人間の私だった。
「嘘…何で…?」
「もしかしたら、個人の専用アイテムでないと正しく映らないのかもしれません。何か手掛かりが無いか調査いたしましょう。」
大丈夫、貴方達の生活を脅かす物は研究者として見過ごせません。
そう言って私を励ますアキラは続ける。
「貴方は他のホムからは同じホムとして見えている様です。ですが迎えられた12匹のご家族達は、貴方に心を許してから徐々に人間の姿に変化して見えている様だと報告を受けております。」
研究員達は最初から貴方は人間の姿として目視しておりましたので、何か条件があるのかもしれませんと、PCで研究員の報告書を調べ始めたアキラ。
部屋の時計を見ると15時を回っていた。
「…見つけました。報告書ではありませんが。」
どうぞこちらを、と向けられた画面には、私個人のデータベース…つまりアカウント情報。
上層部から、私がリヴリーアイランドにやって来たと同時に何故か写真付の個人情報が届いたそうだ。
『ホム名:夕月。リヴリーを特殊な迎え方で通心をし、リヴリーと会話が出来る人間。研究員達には見分けが付くようにそのままの姿にしてあるが、混乱を避ける為に一般のホムからはホムに見える様に保調整済。本人からも窓や水面等の通常アイテムでは、自分の姿はホムと目視出来る仕様。ID◯◯◯◯、パスコード◯◯◯◯』
何だ、この人を実験対象にした様な文章は。
私のプライバシーとやらは何処にいったんだい?
IDとパスコードまで丸見えじゃないか。こんなんじゃアカウントが乗っ取られ…
「…まさか。」
「賢い方だ、ドクター夕月。我々もまんまとやられましたよ。先日貴方の身に起きた異常事態。」
上層部…運営が、関与している?
個人情報を漏らしたのは、運営だったのか?
「…っはは、私自体がバグだってのかい?」
「焦らないで。私達研究員が総力を上げて調査いたします。それに、まだ味方はいるでしょう?」
貴方をアイテムを駆使して守る、大きな味方がね。
「マスターマハラジャ。」
「はい、ドクターアキラ。こちらに。」
無音で現れた、白いターバンのショップ店長。
アキラと組んで動いていたのか?
「マハラジャ、何で…?」
「夕月様、先日は大変失礼いたしました。このマハラジャ、夕月様の世界観とご家族を守る為に馳せ参じた次第でごぜぇやす。」
Blue Moon名義の発注でバグをアイテム化した張本人。アキラと組んでいるのなら、もしかして。
「あんた、最初から人間に見えていたんだね?」
「…左様で。発注と度重なる異常事態をドクターアキラに報告前でしたので、夕月様には詳細をお話出来ておりませんでした。」
マハラジャは陰で守ってくれていたのか。
アキラと研究員達と合わせて、さしずめゲーム内でのボディガードとは上手い事を言うねぇ。
発注、と、ここで口にしたという事は、知っているんだろう?
「ドクター。日記帳と鍵は知っているかい?」
「貴方は本当に頼もしいお方ですね。ええ、マハラジャが上層部に怪しまれない様に、早急に対応してくれました。」
報告が間に合わず、アイテムの件を研究員達に連絡出来たのは、貴方の手に渡ってから24時間後でした。と話すアキラは、上層部から守る為にアイテムの目視は私とマハラジャにしか出来ない様になっていると説明した。
「夕月様がアイテムの書くモードを使用している際は、周囲からは楽譜を制作していると目視される仕様でごぜぇやす。違いは、羽根ペンだけで。」
なるほど、それなら誰からも怪しまれない。巡回している研究員も、羽根ペンで譜面を書いていたらアイテムを使っているのが分かるのか。
やっぱり敏腕店長じゃないか!
「だけど、マスターは私に時間が止まった時の事を要点以外話してくれないんだよ。」
いやぁ、流石に夕月様のプライバシーを全て暴くのは如何な物かと思いやして…と頭を掻く。
私がアイテムを使用しなかった事で時間が止まる少し前、マハラジャが事前にアイテムに仕込んでおいた異常検知システムが作動した事でいち早く気付いたと説明する。
私に何かあった時は上層部の影響である可能性を加味して対応したらしい。
「…て事は、Blue Moonは上層部と敵対してるんじゃないのかい?」
ぽかんとするアキラとマハラジャ。
だってそうじゃないか?私がログインせずアイテムを使わなければ時間が止まるなら、他のユーザーからしてみればただのゲームのエラー。
つまり上層部…運営のせいになるだろう?
マハラジャは現実の私の所に来た時点で、ここがゲームの世界だと気付いた筈だ。
なのにアキラには要点以外話さないと言う事は、アキラもここがゲームの世界だと知らないのだろう。
__この世界が変わろうとしているかも__
これは、1人のユーザーに上層部…運営が、異常な執着を見せる中で、私の世界観が抗ったから。
__夕月様と、ご家族の為に必要かと__
あの時の言葉は、ゲームと現実を平行世界として行き来出来る私の世界観なら、家族達とリヴリーアイランドを守れると信じてくれたから。
「ギター、日記帳、鍵。Blue Moonの要求は、全て上層部にとって邪魔でしか無いだろ?私がそれを使わなければ時間が止まるんだ。自由に行動させるしか無くなってるじゃないか。」
その間にアキラ達研究員の調査が進む。
私がアイテムを使わなければ、上層部が困る。
家族達を傷付けようものなら私が黙っちゃいない。
怒ってログインしなくなればアイテムが使われず、また上層部が困る…のループだ。
「流石です、ドクター夕月。私も黙ってはいませんよ。利用されたとあっては、一族の名折れです。」
アキラは静かに怒りながら、今後の対策を練り直さなければと燕尾服を乱暴に放り投げる。
研究者って、自分の分野を土足で踏み躙られてからが怖いんだよねぇ。
「ワタクシはいつも通りショップを運営しながら情報収集を。夕月様、ワタクシの名前を呼んでいただければいつでも馳せ参じやす。」
全てを知っているマハラジャは、少し寂しそうな笑顔を浮かべながら一礼する。
ごめんな、色々対策してくれていたのに、マハラジャめ!とか言って…これは黙っておこう。
「なら私は拠点に帰るとするよ。家族達と幸せに過ごす姿を見せ付けて、歯軋りする上層部を引っ張り出してやるさ。」
何か分かり次第ご連絡いたします、と言うアキラの声を背に、拠点に戻ろうとした時だった。
ふと嫌な予感がした。
「ドクター。マハラジャ。身の回りに気を付けた方が良い。全ては上層部の掌かもしれない。」
アカウント情報は全て管理されている。
ゲームの仕様も、運営の一存でどうにでもなる。
記憶も、設定も何もかも。
私に存在しない記憶を日記に綴るように。
いとも簡単に作り変えられる。
消えかけた照明は電池で元通りになる。
人の心の灯りに、電池は無い。消えたら戻らない。
「ドクター夕月、承知いたしました。用心いたします。そして必ず守ってみせます。」
その言葉ですら、蠟燭を吹き消すように儚いもの。
無くならない様に、私も守ってみせるさ。
まだ見ぬ青い月は敵か味方か?
今歩いている青い月は、私自身の味方だ。
続きはこちらから。
__それではまた、お会いしましょう。