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切実からしか学びはない。参考文献:「やまびこ学校(岩波文庫)」無着成恭編

興味の正体

社会で、山形県のさくらんぼの収穫について興味がもてない。なぜなら山形県出身ではないから。
僕にとってクラスのソフトボール投げの成績の平均値を出すなんかどうでもよかった。

しかし、実家の一階が流行っていない飲食店のぼくにとっては、
客がその日に落として行ったお金が気になるし、
そもそも片田舎で飲食店を経営することに勝算があるのかという分析は興味がある。

いや、もはや興味を通り越して
切実」に知りたいだ。

学生にとって
授業に「興味」がもてるかどうかというのは、
「切実」か「どうでもいい」
に言い換えられる。

ひとまず言えることは、
子どもにとって「切実な教材」を提供できるかどうかが、どうやら教師の腕の見せ所らしい。

生活綴り方


しかし、日本のどこに「○○県で焼肉屋を経営することの勝算」を算数や社会で学んだことを総動員して調べ上げる小学生がいるのか。

いや、いた!
戦後、山形県の田舎の学校で無着成恭という男のもとで学んだ学徒である。

やまびこ学校という本には、中学2年生の日記が文集になってまとめられている。
感性豊かな中学生の「切実」を集めた文集。
その「切実」をもとに問いを掲げ、みんなで問いに全力で答えるという授業を実践したのが無着先生。

江口江一くん

その中でも江口江一くん(今は多分おじいちゃん)は特に「切実」

タイトルは「母の死と、その後」
たばこ農家の江口家は父も母も病気で亡くしてしまう。
その死因は、貧乏からくるストレス。

江一くんは母を亡くした次の日から、
「次は自分が働いて稼がないと、次に死んでしまうのは自分だ、、、」

そうならないためにどうしたらいいか、
考えます。
「もっと金持ちになる」
「田んぼを買って、もっと働く」

でも「本当にできるのか?」
そこで、生活するのに必要なお金をめちゃめちゃ計算します。
たばこ葉の収支、食べるためのお米にかかる値段、固定費、、計算して出た答えは、

・今の畑からとれるたばこ葉には収入に限界がある。
・畑を買って増やすと、そのぶん借金が増える。
・お母さんは会計簿を書いていなかったからデータもない。

このままじゃ、貧乏でほんとに死ぬ

絶望の淵に立たされた江一くんのもとに現れたのが、無着先生

「今日はなんの仕事するんや?」
「それには何日かかるんや?」
「お母さんが書いてないから、わからん!?」
「それじゃあかん、今日から記録をつけろ」
「で、次はなにするんや?」
「そのペースじゃ学校に何日来れるかわからんやろ」
「一年の計画表を立てろ」
「明日学校にもってきて、ついでに友達にお母さんの葬式のお礼を言いにこい」

そんなふうに淡々と、今できることを導いてくれる無着先生に江一くんは気持ちが軽くなります。

次の日、ちゃんと計画表をもってきた江一くん。
学校には地元の農家のおっちゃんたち。
無着先生はおっちゃんたちに意見をもらう。
「できる!!
江一くん、頑張っとるから俺たちもがんばるから!
だから、この計画を全力で支える!!」

まとめ

江一くんは、お金がないことに悩んでいたが、
もっと奥には、
今自分が何をすればいいかわからないことに困っていた。
お金がない=死
は両親の死からこびりついて離れない。

しかし、無着先生は
淡々と現実的な問いを投げかけることによって江一くんが本質的に困っていることを、
江一くんに自分で気づかせることに成功した。

そんな、論理的に子どもを導く無着先生の元で学んだ子どもたちの文集、興味ありませんか?

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