わたしのこと。ー第1章ー#3
〝わたし〟の自伝を書いてもらうなら、佐久間さんしかいないと思いたち2016年にお願いをした。佐久間さんは快く引き受けてくれて、とても素敵な文章が2017年に出来上がり手元に届いた。その文章をここで少しずつ掲載しつつ、その時のことや取材してもらわなかったエピソードを追記していこうと思う。これは、とりあえずの〝わたし〟の備忘録。
鳥飛鳥如、魚行似魚…続き
中学生になる頃、菜奈美は油絵セットを買ってもらった。両親には小学生時代に美術館によく連れていってもらい、自分も油絵を描きたいと思っていたから、中学では美術部に入部した。
当時美術部には約30人の部員がいるはずだったが、放課後に美術室に行くとそこにいるのは自分だけだった。部員全員が名前だけの幽霊部員だったのだ。
「自分の中で内的な楽しみを持っている子は人に依存する必要がないから、ブレないし媚びないんです」
大橋保育園時代から菜奈美を知る青山がこう語るように、自分がやりたいことをやっているから、菜奈美は部員が一人でも孤独や不安を感じることはなかった。毎日放課後は顧問の先生とマンツーマンで絵を描いていた。そして1998年には地元の長野でオリンピック・パラリンピックが開催された。それに先駆けてポスターデザインの募集があり、菜奈美の作品は優秀賞に選ばれ、駅にも貼り出された。中学3年の時には文化祭で体育館のバックステージのデザイン画が採用された。そのデザイン画にただ色を塗るのではなく、貼り絵の要領で彩っていき、見る者の目を惹きつけた。
好きなことをやるだけでなく、人から評価される喜びも知り、より目標も明確になってくる。自信がついたことにより、高校時代はその活動も積極的になっていった。
小学生の頃の楽しかった思い出と言うと、合唱部の仲間と朝夕一生懸命に練習を重ねた日々が一番で、合唱部に入る前はクラスメイトの男子数人と放課後、神社でキャッチボールや鬼ごっこして遊ぶのが楽しくて、女子とはあまり遊ばず髪の毛も男の子のように短くて大人には男の子によく間違えられていた。小学校3年生の時に犬を飼って、毎朝全力で犬と一緒に走って散歩していたおかげで持久力がつき足が速くなった。
中学生になって美術部に入り油絵やエアーブラシに没頭。とにかく放課後、美術室に行って絵を描くのが楽しかった。美術の土屋先生は、優しくて色んな技法を教えてもらい、そのいくつかの技法を試して絵を描いていました。
ある日の体育の時間にトラックを何周かしてタイムを測る授業があった時に、小学校3年生から毎朝走り込んでいたおかげで、美術部なのに無駄に持久力と足が速かったため余裕で陸上部の子たちを追い抜き、良いタイムでゴールした時に先生に「お前、陸上部に入らないか」と言われましたが「美術部と両立できないと思うので無理です」と断った。その光景を見ていた陸上部の子たちに、よく思われなかったみたいで数日間、同じクラスの陸上部の子たちに無視されるということがあった。そもそも、女子と群れるのが好きじゃなかったので特に気にせずにいた。そういえば、体育の選択授業で剣道を選択していて、剣道部の先生に「お前、剣道のセンスがあるから剣道部に入らないか」と言われてそれも陸上と同じ理由で断った(笑)今思うと、運動系の部活に入っていればよかったかなって時々思うことがある。
佐久間さん(佐久間一彦)
1975年生まれ、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年〜2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。
(webマガジン VITUP! 〝佐久間編集長コラム〟プロフィール引用 )