わたしのこと。ー第1章ー#2

〝わたし〟の自伝を書いてもらうなら、佐久間さんしかいないと思いたち2016年にお願いをした。佐久間さんは快く引き受けてくれて、とても素敵な文章が2017年に出来上がり手元に届いた。その文章をここで少しずつ掲載しつつ、その時のことや取材してもらわなかったエピソードを追記していこうと思う。これは、とりあえずの〝わたし〟の備忘録。

鳥飛鳥如、魚行似魚…続き

 両親の深い愛情を受けて育った菜奈美は感受性に優れた子だった。生まれてまもなく半年になろうかという時、富美男と文江は菜奈美を連れて美術館を訪れた。まだ会話にならない時期ではあるが、作品に明らかな反応を示していた。将来、クリエイティブな仕事に就くことになる菜奈美は、物心がつく前から芸術に惹かれていたのかもしれない。
 富美男と文江が共働きだったこともあって、菜奈美は1歳2カ月の時から保育園に通っていた。朝早くから夕方遅くまで親と離れていると、不安に感じる子どもも多い。しかし、菜奈美は違った。大好きなお絵描きをしていれば何も気にならなかったのだ。
 好きな絵が描ければいい。そんな保育園生活がある日から劇的に変化することになる。青山繁が大橋保育園にやってきたのだ。
 青山の教育方針は一般的に見れば破天荒なものだった。小さい子どもに火や刃物を平気で使わせたのだ。保育園に子ども預ける親は、とにかく何ごともないことを願っている。だが、青山の考えはまったく違う。子どもは大人や第三者のためではなく、子ども自身のために時間を使うべきだと考えている。
「僕が考えるのは自分が子どもだったらどういうふうに育ったら嬉しいかってことです。フェンスに囲まれたところで、つまらない平らな園庭で、ただブランコをやったりお遊戯をやったりしても面白くない。発表会で親にいいところを見せろとか、そんなことはやりたくない。面白くないことを親を安心させるためだけにやるなんて、子どものことをまったく考えていない。僕だったらノコギリを使ったり、火を焚いたり、山に登ったり、テントを張ったりしたほうが絶対に楽しいと思う。そういうことを子どもと一緒になってやるんです。
 子どもたちは大人のエネルギーを知りたいんです。大人が毎日『不景気で大変だ』とか言ってたら、子どもは大人になりたいと思わない。未来に夢を持って生きるためには、大人ってかっこいいよね、人生って面白いよねっていうものを見せないといけない。だから子どもたちのために何かをするのではなくて、子どもたちと一緒にやるんです」
 自然豊かな長野だからこそできること。たくさんの陽射しを浴びて新鮮な空気を吸って元気に走り回る。人にはその時々にやるべきことがある。勉強を始める前段階の子どもにとって、自然に触れることは極めて大事な人間活動なのだ。
 菜奈美は小学生になってからも青山の自然教室に参加することになるのだが、当初はその環境の変化に戸惑うこともあった。
 小さい頃から我慢強く、わがままを言うタイプではなかった菜奈美は、祖父母にオモチャやお菓子をおねだりすることもなかった。嫌なことや大変なことがあっても、まずは自分で解決しようとする。やると決めたことはやる。強い意志を持った子だった。
 そんな菜奈美がある時、保育園の不満を口にした。
「お母さん、今日はお絵描きしなかったよ」。あまり不平不満を言わない娘にしては珍しいと思いつつ、文江が「明日はやるんじゃないの?」と返すと、「昨日もしなかったし、最近はあんまりお絵描きをしないの」と、ため込んでいた思いを吐露し始めた。聞けば、青山先生という保父さんがきてからは今までとやり方が変わったという。絵を描ければそれで良かった菜奈美にとって、劇的な環境の変化に戸惑いがあったのだ。
 子どもも一人ひとり性格が違うから、外で走り回るのが好きな子もいれば、部屋の中で絵を描いたり本を読んだりするのが好きな子もいる。青山も当然それは理解している。大事なのは「静」と「動」のバランス。昼があれば夜がある、光があれば影がある。陰と陽、明と暗、そして静と動。心臓の動きにも収縮と拡散があるように、相対するこの2つが宇宙のリズム。それを子どものうちに身につけさせたい。だから天気のいい日は外に出て山に登ったり、火を使ってみたり、ノコギリで竹を切って竹馬を作ったりと、アクティブな行動に終始した。絵を描いたり、本を読んだりという静的な行動は、外で遊べない時にやればいい。最初のうちは半ば強制的だったかもしれないが、これがのちの菜奈美の人生にも大きな影響を与えることになる。
 裁縫をやる。電ノコを使って木を切る。火を焚いてみる。普通ではできないことを幼くして経験した。もともと好きだった絵だけでなく、モノを作る楽しさや喜びを知った。菜奈美のクリエイティブな感性は青山との出会いによって、さらに磨かれることになったのだ。
 青山の生き方は極めてシンプルだ。金、将来性、世間体で人生は決めない。菜奈美との出会いからすでに20年以上の時が過ぎているが、彼の生き方は今も変わらない。
時は2016年。
道が途中でなくなってしまうような山道を車で進み、青山を訪ねるとそこは現代社会とはかけ離れた別世界が広がっていった。国境を越えて集まった人たちが、自分たちの手でログハウスを作り、薪で火をおこし、自家製のソーセージや野菜でバーベキューをして、釜でご飯を炊く。服が汚れても顔がすすだらけになっても気にしない。集まる人々はキラキラとした笑顔に満ちていた。
「僕らにはモノを買うって発想がないんです。作る、生み出す、拾ってくるしかない。作れないものはないというくらい自給自足。ストーブは薪だし、食事はカマドだし、水は湧き水、電気はソーラー。自分で作れないものはない。将来性だとか世間体だとか考えないで、自分のやりたいことをやっていればちゃんと生きていける」
「作れないものはない」と青山は言った。それは人生に置き換えることもできる。自分の人生を作っていくのは、周りの人間や世間ではない。自分自身だ。
 菜奈美は幼少期に青山と出会ったことでお金では買えない大きな財産を得た。道がないなら道を作る。彼女はそうやってその後の人生を生きていくことになる。

青山先生との出会いは間違いなく、私の人生において欠かせない人物だと思う。実は絵を描くことよりも体を動かして、何かを作る方が好き。
佐久間さん(佐久間一彦)
1975年生まれ、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年〜2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。
(webマガジン VITUP! 〝佐久間編集長コラム〟プロフィール引用 )


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