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『初めてのインドひとり旅』4日目
◎4日目10/16
あまり眠れず夜中3時過ぎに目が覚めた。この旅日記をベッドに寝転んだまま書いているとしだいに夜が明けはじめた。部屋の扉を開けるとそこは宿泊者供用のバルコニーになっている。毎朝眺めるそこからの日の出はとても素晴らしかった。
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大気汚染が酷く、太陽は地平線よりかなり上にならないと姿を現さない。でも、そんなことはどちらでも構わないくらい日の出は美しかった。この宿に泊まるのを決めたのも、この景色が部屋から出てすぐ見ることができるという口コミが決め手だった。
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しばらくベンチに座って景色を眺めていると、身体がとても軽くなる気がした。自分に長年溜まってきたオリのようなものが目の前の河に流されていくような気持ちになった。これが聖なる河ガンジスの魅力なのだろうか。
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とても穏やかな気持ちになった後、身支度を整えて、昨日お世話になったBaliのチャイ屋台へ行ってみることにした。宿を出て、細く入り組んだ路地を歩き15分ほどで到着した。
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チャイ屋台に着いたが、そこにBaliの姿はなく、代わりにBaliの弟とお父さんが店番をしていた。せっかくなのでチャイを注文して屋台の前のベンチに座った。
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弟と少しおしゃべりした後、Baliによろしく伝えてくれるよう言い残し、そこから少し離れたガンジス河沿いにある火葬場に行くことにした。
バラナシにはガンジス河の河原に大小2つの火葬場がある。そのうちの小さいほうに歩いて向かった。Googleマップを頼りに、細い路地を歩いて行くとすぐに見つけることができた。
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しかし、そこは本当に火葬場なのだろうか?と思うような特別な設備など無い、河原に小さな焚き火のようなものがいくつかあるだけの場所だ。ご遺体を焼くのはさすがにこんなに小さい焚き火じゃないよな?と、思って近づいてみると、その焚き火に組まれた薪の間から、黒焦げになった膝から下の足が飛び出していた。思いがけず目にした光景に、頭の中が真っ白になった。
しばらくその場に立ちすくんでいるとインド人の男性が話しかけてきた。その男は、お笑い芸人バナナマンの日村さんを短髪にしたような顔をしていた。そして前歯がない上に口の中が噛みタバコのせいで真っ赤に染まっていた。日村さんは、この火葬場の事をいろいろ説明してくれた。しばらく話を聞いていると、この後自分の知り合いのサリー屋へ行こう、行こうとしつこく誘ってくる。もう少しその火葬場にいたかったのだが日村さんに別れを告げてその場を離れた。
その後、そこからまた30分くらい歩き、ダシャーシュワメード・ガートという場所に向かった。
そこではたくさんの人たちが、ガンジス河で沐浴をしたりお祈りをしたりしていた。
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ガンジス河を周遊するボートの客引きや、お祈り用品を売る屋台の呼び込みをやりすごし河沿いを歩き続けた。
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そこからまた河沿いを歩いて下っていくと、ひどくぬかるんだ場所があり、足がスネまで泥に埋まってしまった。
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とりあえず、履き替えるためのビーチサンダルが売っている店を探そうと歩き出した。しばらく歩いていると、道端で何人かでおしゃべりしていたインド人のおじさんが、わたしの足元をみて笑いながら「どうしたんだ?」と、話しかけてきた。「サンダルを買える店を教えて欲しい」と伝えると、着いてこいと言う。しばらく歩いて着いたのは、路地を入った建物の2階にある綺麗な布を売る店だった。おじさんは、「サリーは要らないか?」と笑顔で言う、、、。
「もう自分で探すからいいよ」と店を出ると、今度はおじさんが自分の履いているボロボロなサンダルを指差し「おれのと交換しないか?」と言う。わたしは可笑しくなって、おじさんの引き止める声を背中に聞きながらひとりで歩き始めた。
しばらく歩くと路上で大量のサンダルをリヤカーに積んで路上で売っていたので買ってその場で履き替えた。
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一旦帰るために、歩き疲れたのでそこから宿の近くまで、初めて自転車タイプのリキシャに乗った。
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宿へ帰り、宿のおかみさんに泥々になった靴を見せて洗いたいと伝えると、屋外の水道がある場所を笑いながら指をさして教えてくれた。陽気のいいなか、泥まみれの靴や靴下を洗い、ついでに部屋へ帰ってシャワールームにあるバケツで溜まった洗濯物を手洗いした。
部屋の前のバルコニーに洗濯物を干すと気持ちがよく普段だと何とも思わないこんなことまでが楽しく感じられた。
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お昼になり、お腹が空いたので宿のカフェスペースで食事をした。
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紙ナプキンに包まれたスプーン
カフェスペースのテーブルからもガンジス河が見えとても穏やかな気持ちで食事をすることができた。次の朝からここでチャイを飲むのが日課になった。
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昼食のあと、今度は宿から歩いて30分ほどの距離にあるもうひとつの大きい火葬場に行くため部屋を出た。
しばらく歩いて人通りの多い交差点を越えたところで、たまたま隣りを歩いていたお笑い芸人『次長課長』の河本さん似のインド人男性に話しかけられた。しばらく雑談をしたあと、わたしが河本さんに「どこへ行くの?」と聞いたところ河本さんは「火葬場へ行くんだ」と答えた。わたしは、「それなら一緒だ、わたしもだ」と言ってそのまま一緒におしゃべりしながら向かった。
そして、火葬場に着く直前にあった古い小さなお寺に連れていかれ、急に神妙な口調で河本さんが「今から行く火葬場はとえも神聖なとこだから、写真は撮ってはいけない」とか「遺体を燃やす薪代が払えない人のために1000ルピー以上寄付して欲しい」とネットなどに書いてあった詐欺師の手口と同じことを言い出した。もちろんそのお金は貧しい人の薪代には使われない。
わたしは、これは怪しい展開になったなと思い「今、100ルピーしか持っていないので火葬場に行くのを止める」と答えると、「それなら100ルピーでも構わない」と言うのでとりあえずそのまま一緒に火葬場へ向かうことにした。100ルピーくらいなら(約170円)取られても大した額ではない。
しかし、いざ火葬場に着くと河本さんは、「後はこの人が案内する」と言ってすぐにどこかへ行ってしまった。河本さんからバトンを渡された男は、これまたお笑い芸人のアントニーが全身白い服に身を包みサングラスをした風貌の男だった。わたしは火葬場でお笑い芸人にばかりに水を差される。なんて日だ!
アントニーはわたしに、今からわたしが案内すると言ってきた。「100ルピーしか持ってないよ」と言うと大丈夫だから着いて来いと答えた。それならとわたしは、アントニーに着いて火葬場が見下ろせる階段を登っていくと、彼は「ここは神聖な場所で、火葬に使う薪代を払えない貧しい人たちのために寄付をして欲しい。薪1キロ1000ルピーだ」と話し始めた。わたしは「100ルピーしか持っていないと言ったはずだ!」とアントニーに伝えたが彼は聞く耳をもたず、さらに何度も「薪代を寄付して欲しい」と迫ってくるのでわたしはそのやり取りが面倒になり100ルピーをポケットから取り出し、なおも迫ってくるアントニーに手渡し、逃げるように火葬場を後にした。わたしは河本さんに、ここへ到着するずっと前から、カモとして目をつけられていたことに感服した。
ほとんど火葬場を見ることができず来た道を引き返していると、すぐそばに有名なラッシー屋があったので入ることにした。
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細い路地にあり、扉も何もない狭い店内に入り、店先に腰掛けてラッシーを食べていると、目の前をオレンジ色の布に包まれ、竹で作られた担架に乗せられたご遺体が何体も火葬場へ向けて運ばれて行った。
宿へ帰ると、宿の女将さんが「猿がたくさん来たので、あなたの洗濯物取られてない?」と声をかけてくれた。
50年近く生きてきて、猿に洗濯物が取られるなんて経験はないので、驚きながら階上へ向かう。幸い、わたしの洗濯物は無事だった。
洗濯物を畳みながら部屋で日本にいる家族とLINEのビデオ通話をした後、夕食を食べに宿を出た。向かったのはYouTubeで知った店だ。相変わらず行き交う人の多い街をGoogleマップを頼りに向かう。
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夜になってもまだ暑い店内に座ると、近くに座っていた店員かお客か分からない男性がわたしに手招きしてきた。「そこの席より、こっちの席の方が天井にファンがあるから涼しいよ」と教えてくれたのだ。わたしは礼を言って席を移った。
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バラナシに来て、数日の間に何回もこのような親切な人に出会った。現在の日本にいる時は、もうなかなか出会う事のない小さなお世話を焼いてくれる人がここインドにはたくさんいた。街を歩いていて路地に座っている人に気軽に挨拶しても笑顔で応えてくれたり、見知らぬ子供が外国人のわたしに興味を持って話しかけてきたり。わたしが幼い頃のご近所さんに居たような人達の懐かしい雰囲気があった。
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気持ち良く食事ができ、美味しかったことにお店の人にお礼を言って店を後にした。
そして次は、初日泊まったデリーのゲストハウスで教えてもらったタブラとシタールの演奏会を観に行くため歩いて会場に向かった。
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10分ほど歩いて、目的地に到着した。まだ開場まで少しあったので外で座って待っていると、20代の若い男性が同じく開場するのを待っていたので話しかけてみた。
その男性は、コルカタからこの演奏会をなんども観にきているという大学生の方だった。ご自身もシタールを弾くと教えてくれた。とても感じの良い方で、わたしの英語力が低いため彼の話す事が理解できないでいると、「僕の英語、インドなまりだから分かりづらくてごめんなさい」と、気を遣ってくれる謙虚な方だった。
開場して、受付でチケットを買って中へ入ると、デリーの宿で一緒だったMさんと再会した。知り合って間もないけれど、遠く離れた街でまた会えて
嬉しかった。
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20歳のイケメンシタール奏者と、50歳代のおじさんタブラ奏者の演奏は素晴らしかった。2人が決まった曲ではなく、即興で演奏するのだが、お互いの奏でる音に反応しながら激しく弾いたり、顔を見合わせて小休止を繰り返したりするのがとても心地よかった。30分程演奏して、お茶休憩を挟み、また30分程演奏して終了した。会場は15席くらいで満席のこじんまりした空間だったのものんびりした雰囲気で良かった。
演奏が終わった後、会場で声をかけてくれる男性がいた。
その方は、翌日バラナシのガイドをお願いしていたご夫妻の旦那さんだった。
話は変わるが、わたしは動物が怖い。犬が怖いのだ。特に毛足が短いツルッとした犬、まさにバラナシに沢山いるタイプの犬が特に怖い。
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そして、インドでは年間狂犬病で2万人の方が亡くなっていると聞いたらなおさらだ。そして、昼間は寝ているが夜10時過ぎになると活発に動き出すと、宿の近所のインド人が教えてくれた。そういえば昨晩も、宿の近くで犬が喧嘩して大騒ぎしている犬たちの声がしていた。今晩の演奏会が終わるのがその、夜10時くらいの予定だった。そんな犬がウロウロしている会場から宿までの帰り道があまりに怖いので、演奏会に行くのを止めようかと悩んだくらい怖くなった。
そして、先ほどのガイドの旦那さんが演奏会会場におみえになった訳だが、今日の昼、ガイドの奥さまとメッセージのやり取りをしていた時に、あまりにも怖いので、野犬が夜はどれくらい活発になるのかも質問していた。そうしたら偶然にも今夜の演奏会会場の目の前にご夫妻がお住まいだとの事で、旦那さんがわたしを会場から宿まで送ってくださると言ってくださったのだ。大の大人が情けないとは思うのだが怖いものは怖いのだ。ありがたくご厚意に甘えさせていただいた。道々にいる犬を追い払いながら送っていただけて本当にありがたかった。
日本語のとても上手な旦那さん(さんちゃん)はバラナシ生まれのバラナシ育ちのインド人だ。わたしが来た道とは違う、より細くより暗い近道を案内してくださり、あっという間に宿の裏口に到着した。送っていただいたお礼と明朝の待ち合わせ時間を確認して別れた。
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もう1度言うが、野犬が本当に怖かったので送っていただいけてとてもありがたかった!
おやすみなさい。