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自分の弱さと向き合う勇気

きっかけ

本屋でよく見かける『嫌われる勇気』という本を買った。有名なので知っている人も多いだろう。
今までその題名からなんとなく避けてきたのだが、これまでの自分の生き方に限界を感じていたので、挑戦することにした。

この本で語られるアドラー心理学では、過去の「原因」ではなく今の「目的」に目を向けよ、と説く。
われわれは皆何かしらの「目的」に沿って生きている、と目的論で考えるのだ。

例えば、私がずっと痩せたいと思っているのにも関わらずなかなか痩せることができないのは、ついつい食べすぎてしまうからではなく、「今の体型でいること」が自分にとっての「善」だと判断した、からなのである。

あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだ

あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているから

つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることの方が楽であり、安心なのです。

『嫌われる勇気』

今までの人生

私はまさにこのように「楽」を選び続けて生きてきたと感じる。

小さい頃から私はずっと、人に少し本心が言えなかった。傷つきたくないから言い返されないように、表面的な優しさを笠にして当たりさわりのないことを言って逃げてしまう。未熟な本心を言ってがっかりされたくないのだ。

その結果、自分の気持ちが言えないだけでなく、自分の気持ち理解することすらできなくなってしまった。自分が何を考えているのかわからない。何を感じているのかわからない。やりたいことがわからない。夢がない。

私は感想文が書けないことがコンプレックスの一つだ。行事のあと、みんなはすらすら鉛筆を動かしているのに私は一行目で止まったまま。楽しかった。面白かった。それだけ。
それすらも自分の思いじゃない感じがする。

学校での面談や、親に進路を聞かれたときは、問い詰められているわけじゃないのになぜか涙が出てくる。本心をいうのが怖い。

あと、小学生の時、習い事のバレエやピアノで少しでも注意されると、なぜか涙が出てきてしまう子だった。先生に、泣いても解決しないよ、とか、こっちが悪いことしてるみたいじゃん、とか責められてさらに泣いてしまう。私だってそんなことわかってるし泣きたくなんかないのだ。なんで泣いてるのかなんて私の方が知りたい。


私の「弱さ」とは

でも、今ならなんで泣いてしまうのか理解できる。それは多分、自分の価値を外部からの評価に依存しているからなのだ。行動のベースに「褒められたい」があるから、ちょっと指摘されると、怒られた!!私は悪い子だ!!と、パニックになってしまう。

私は昔から、ほんのちょっぴり要領が良くてバレエも勉強も周りの子よりできる子だった。良くも悪くも素直で、大人たちのことをよく聞くいい子だった。それで、自分はすごい子なんだと思い上がっていた。でも私は自分の頭で考えるということが苦手で、頭を使って努力するフェーズに入ると途端に結果が出なくなってしまう。

そしてここが私の悪いところなのだが、どうやら私は自分の弱みを、自分にも他人にも悟らせないように誤魔化してしまうようだ(その誤魔化しがバレたくないから、他人に対して本心をさらに言えなくなるという悪循環)。その結果が今の浪人生という肩書きにつながるのだろう。

私は模試の振り返りをするのに嫌悪感をすごく感じる。結果を見るのもすごく嫌いだ。でも、自分の現状を把握しないと成長することはできない。自分の弱さにちゃんと向き合った人しか先には進めない。


これから

私は反抗期が無かったタイプの人間だから、アイデンティティが無く自己構築ができていないのだと思う。とりあえず自分の弱点が把握できたから、人との摩擦を恐れずに成長したい。

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